白色艦隊 ③
翌、早朝。
甲高い起床ラッパに叩き起こされた水兵や陸兵たちは、それぞれの指揮官が司令部から出てくる前に寝床をすっかり片付けて岸壁に四列横隊で整列していた。
一番前に各艦の艦長が肩を並べ、その後ろに参謀、そして水兵と陸兵から選りすぐられた優秀な者たちと続く。
昨夜のどんちゃん騒ぎなど無かったかのように冷静沈着な相貌ではあるが、中には、二日酔いを必死で堪えている者も少なからずいた。
停泊している各船の甲板にも士官たちがずらりと並んでおり、出港準備は既に万端といった具合だった。
程なくして司令部からローズに伴われたケレルマンが姿を見せた。
どちらも帝国の将として恥じぬ礼装で身を整え、栄えある勲章の数々が陽光を反射して煌めく中、興奮と二日酔いで顔色鮮やかな部下たちを見渡している。
いざ出撃の時を迎えた両将も緊張が表情に色濃く浮かんでいた。
しかし恐れはない。
部下たちの手前、指揮官が恐れを抱くことは許されない。
「ローズ・ドゥムノニア中将、シャルル・ケレルマン中将閣下に、敬礼っ!」
踵を繋げ、背を壁として一斉に挙手の敬礼を捧げた彼らに対し、両将もまた誠意ある返礼を示す。
兵たちへの訓示をケレルマンに促したローズだったが、彼らの士気高揚のためには救国の英雄である彼女こそ相応しいとケレルマンは遠慮し、年下の伯爵の背を軽く押しやった。
兵たちの視線を一身に受けたローズは瞬時に思い浮かんだ言葉を述べていく。
「帝国は諸君らがその忠勇を以って義務を全うすることを期待する。皆に神の御加護があらんことを、そして女帝陛下の赤子たる諸君らに限りなき栄光があらんことを――」
彼女は普段のような生真面目で果敢な雰囲気を和らげ、頼りとする部下たちに親身に語りかけた後に、再び軍人の顔へと改めた。
「命令! 艦長以下、総員乗艦せよ! これより出港する!」
艦長らを先頭に駆け足でそれぞれが所属する船へ駆けていき、後に残る陸軍の将兵は岸壁にタラップを下ろす輸送船に乗り込んでいった。
ローズは旗艦の一等戦列艦に座乗する際、ケレルマンにも同乗するように勧めたのだが、彼は部下たちと同じ船に乗りたいと固辞した。
「よろしいのですか? こちらのほうが客室は快適ですよ?」
「いやいや、どの道船酔いで居てもたってもおれませんよ。綺麗な客間を汚してしまうのは忍びないので、こちらで結構」
これにはローズも苦笑するより他になく、陸軍を載せた輸送船団を中心に周囲を軍艦で囲う輪形の陣容で白色艦隊は南方に向けて出港した。
縦帆、横帆合わせて十四枚の巨大な帆を備えた巨艦は操縦性が非常に難しく、風の抵抗や潮流の影響が強いために速力の低さが悩ましかった。
しかし百門もの砲を誇る姿は速力を補って余りある威圧を敵に与えるであろう。
操艦と監視任務に従事する兵たちもよく規律を維持していた。
が、案の定というべきか、輸送艦に詰め込まれた陸兵たちは悲惨な状況に陥っていた。
「よお! ベッツェル軍曹! 調子はどうだ?」
「……ヴォエ!」
右へ左へ揺れ動くために耐え難い不快感に悩まされた兵士たちの手には常にバケツが抱えられ、顔は青く、右腕は口元を抑えて離さなかった。
早めに揺れに慣れた者は美しく蒼い海原を楽しみ、あるいは許しを得てマストに登ってみる者もいたが、いつまでたっても慣れない兵士は船倉に閉じこもったままだった。
輸送艦を動かす水兵らは情けない連中だと笑ってはいたが、一夜とはいえ共に杯を交わした仲なので、非番のときは積極的に介抱に訪れていた。
さて件のお荷物こと、軍馬であるが、ともかくも馬が揺れに耐えかねて暴れては困るので最も船の奥底に設けられた厩に繋げられた軍馬たちに、馬の扱いに長けた兵士が飼育係として任務についていた。
床は飼料が散らばって、馬たちは早く走らせろと言わんばかりに蹄を鳴らし、夜になれば眠れない馬の鳴き声が船の中に響き渡った。
途端に輸送艦からの苦情とケレルマンからの詫び状が旗艦に届けられ、提督の私室のデスクに座るローズは頭を抱えた。
優秀な敵将よりも味方に悩まされるとは思ってもみなかった。
しかも敵地への輸送任務で、だ。
予想はしていたがここまで苦情が殺到するとは想定外で、船酔いに苦しむ者が溢れている状況で、本当に彼らは陸戦に耐えうることが出来るのか。
もしも上陸したところを敵に襲撃されたら橋頭堡を防衛出来るのか。
そんな不安ばかりが頭に次々に浮かんでくる。
「お茶でもお持ち致しましょうか?」
従兵の気遣いが有りがたく、彼女は無言で頷いた。
午後のティータイムを素直に楽しむことも出来ず、従者に髪を梳かせる彼女はぽつりとボヤく。
「このような姿、敵には見せられないな。張り合いが無いと笑われてしまう」
「ははは、すぐに敵が泣いて許しを請うてくるでしょう。この船の威容を前にすれば」
ローズも同感とばかりに微笑んでみせたが、一方で彼女は心中で呟いた。
この世に沈まぬ船など、在りはしない……。
如何なる大艦巨砲であろうとも、船である以上は沈むのが摂理だ。
この一等戦列艦さえ例外ではない。
しかし……と、紅茶を飲み終えたローズの目は鋭かった。
女帝陛下から預かったこの最新鋭艦を沈めては合わせる顔がない。
何よりもあの男から笑われるわけにはいかないのだ。
今度こそ目覚ましい戦果を上げて、この海軍こそが海の主役であることを思い知らせてやる。
と、密かな対抗心の炎を燃やす彼女を嘲笑うかのように、艦隊は敵船団に遭遇すること無く南方王国の勢力圏へ侵入していった。




