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白色艦隊 ①

 ヴィクトリー軍港――帝国海軍最大の港は、各地から集結した大型軍艦によって埋め尽くされていた。

 中でも一際水兵や群衆の目を引く船が、両舷合わせて百門の砲を備える巨大な一等戦列艦『インペリアル・グローリアス』号だった。

 三層にも渡る砲列甲板にずらりと最新式のカロネード砲を揃え、帝国の造船技術の粋を集めて建造されたこの巨艦こそが、水兵たちの恐れを吹き飛ばす柱となっていた。


 ならず者の私掠船たちに負けていられるものか。

 帝国の海を護る宝剣は我ら海軍なのだ。


 というのが将兵一同の共通意識であり、ある意味で犬猿の仲の陸軍よりライバル視しているといってよい。

 女帝ルーネフェルトの宮中改革に伴って海軍の様式も大いに変わり、八つの艦隊はそれぞれ色で区別されるようになった。

 即ち赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、そして女帝直轄の白色艦隊である。

 その白色艦隊を率いるのが、女伯ローズ・ドゥムノニア中将だった。

 旗艦は先述の一等戦列艦インペリアル・グローリアスで、他にも多数のフリゲートやコルベットを従えている。


 ヘンリー率いる私掠船団の任務が敵国の通商破壊であることに対して、海軍に与えられた任務は、帝国の海上通商路シーレーンの防衛、および敵艦隊の撃滅、そして戦争目的である南方の香辛料生産地の確保である。

 既に橙、青、そして紫色艦隊がその任務のために海原へ進軍していた。

 帝国の特産品である砂糖や茶葉などを載せた商船団は中立国へ赴き、それらを黄金に換えて戻ってくることだろう。

 あるいは他国の特産品で帝国の市場を彩ることだろう。

 私掠船による略奪もさることながら、勅許を得た商社による貿易の利益も疎かには出来無い。


 赤いレンガによって建築された司令部のデスクに就くローズは、作戦計画書を幾度も読み返しながら熱い紅茶を味わっていた。末端の小型艇に至る艦隊総員六千名の命を預かる身として、重責が肩にのしかかる。

 しかし彼女は自分だけが安全な司令部にとどまることだけはしたくなかった。

 義務ノブレス・オブリージュともいうが、旧男爵家の令嬢として宮廷の綺羅びやかな行事は彼女の肌には合わなかった。

 伯爵として家を継いだ今でもそうだ。

 絢爛なドレスを身にまとうくらいなら、血染めの軍服のほうが余程着心地がいい。

 時折、なぜ自分は男に産まれなかったのか、と疑問に思うこともある。

 しかし神はローズを女としてこの世に送り込んだ。

 故に彼女は自ら女であることを忘れ、男に嗤われぬように生きてきた。


 軍に入隊し、海賊退治に勤しみ、親の七光りと陰口も叩かれたが騎士爵ナイトにも叙せられた。

 血の滲むような努力が実ったのだと舞い上がっていた彼女であったが、大公による帝位簒奪の企てに利用され、あのヘンリーに出会った。

 私掠船も含め、海賊などは唾棄すべき汚物だと考えていたが、短い時間でも同じ船に乗り、彼という人間に触れて、言葉にこそ出さないが海の男として尊敬は出来るまでになった。

 女帝の信頼と愛情を掻っ攫っていったことへの妬みこそあれど……。


「そろそろ到着する頃か」


 デスクに置かれた金細工の懐中時計の針が正午であることを示し、席を立って背後の窓を開けて外を見れば、陸軍の一団が二列縦隊で行進している様が見えた。

 ざっと数えて三個旅団、合わせて一個師団といったところか。

 歩兵、騎兵、砲兵、工兵にて編成された一万五千名ほどの遠征部隊を敵地へ護送するのも海軍の役割だった。

 平時ならばいがみ合う両軍であるが、戦時ともなれば互いに我儘を言い合っている場合でもない。輸送用の大型商船も既に用意が整い、あとは彼らを乗せて出港する。

 一体何人が慣れぬ海の上で船酔いに苦しむのか、思わずほくそ笑んでしまいそうになるのを堪えながら、従卒を連れて早速出迎えに向かった。

 鉄格子の正門が重々しく開かれ、番兵をはじめとした海兵らが規律正しく整列し、礼装したローズが歩み出て指揮官に敬礼を送る。


「白色艦隊司令、海軍中将ローズ・ドゥムノニア伯爵であります」


「先遣師団長、陸軍中将シャルル・ケレルマン子爵です。わざわざのお出迎え、痛み入ります」


 互いに軍帽を脱いで握手を交わすことで両軍のいさかいが無いことを兵たちに示し、二人の指揮官は司令部の応接間に入った。


「遠路ご苦労様でした。出港は明日を予定しておりますので、今宵はごゆるりと」


「かたじけない。しかし真の遠路は明日より始まる。我らは後続の第一軍に先んじて威力偵察を行う予定です。海軍には兵員と物資の輸送をぜひともお願いしたい」


「心得ております。白色艦隊の名誉にかけて、海の上にある限り敵に手出しはさせません」


「頼もしいお言葉です。海軍の兵はよく規律が行き届き、先程も見事な整列でした。感服です」


 と、ケレルマンがひと通りのお世辞を並べたところで、ローズはわざとらしく咳払いを鳴らす。


「コホン……社交辞令はそのくらいにして、暫し同じ釜の飯を食べる者同士、腹を割って話しませんか?」


「然り――」


 ケレルマンはにこやかな顔を急に引き締めて、ローズのすぐ目と鼻の先に顔を寄せる。


「兵士どもに良からぬ噂が飛び交っておる。此度の戦は、たかが胡椒のために始められたのだ、と。帝国に仇なす敵を討ち滅ぼす小奇麗な理想を抱いて訓練を重ねてきた兵士どもにすれば、あまりにもつまらぬ大義だと言う者も少なからず。海軍では如何に?」


 するとローズは同意のため息を漏らした。


「こちらもそれとなく、は。しかし我が帝国は香辛料を南方王国に頼ってきた。陛下はそれを憂い、香辛料貿易の独占を目指しておられる。それは帝国にとって莫大な利益となる」


「されど兵士にはそれが分からぬ。戦場の駒として、ただ敵に向かって引き金を引き、命令にしたがって死んでいくのが勤めではあるが……心から納得は出来まいな」


「事実は事実です。曲げようがありません。嘘偽りの大義名分など、彼らの誇りを傷つけるだけでしょう。胡椒のため? 大いに結構。皆の家族、家庭に溢れんばかりの胡椒を届けるための戦だと言えばよろしい。私は部下にそう言った」


 実際、彼女は自身の部下たちに公然と言い放っていた。

 今度の戦争は香辛料のためなのだ、と。

 水兵たちにも同じように言った。

 ついでに不平を口にしようとする部下にはこう言った。


「陛下の御意に従えぬという者あらば、貴様達の食事から一切の香辛料を抜く!」


 これで誰もが黙った。

 香辛料が無い食事など考えるだけで嫌気が差す。

 獣臭い肉や、生臭い魚と毎日付き合わなければならないと思えば、成る程香辛料を是が非でも手に入れようとする国の意図もそれとなく理解出来た。

 どんな精鋭であっても兵士は元が庶民である。

 貧しい家庭で育った者も多い。

 故に現在の市場で売られている香辛料が如何に高値かも知っていた。

 それを格安で家庭に提供出来るともなれば、帰りを待つ家族の喜ぶ顔が脳裏に浮かぶ。

 国の為であり、家族の為ともなれば、兵士たちは今まで通りの規律を保った。


 それを聞いたケレルマンはすっかりローズに感嘆したらしい。


「流石は陛下の信頼厚い女伯殿だ。小官も見習わせて頂く」


「恐縮です」


 間もなく従兵が昼食の用意が出来たことを報せ、二人は歓談もそこそこに、南方王国産の香辛料がよく効いた羊肉のスープで腹を満たすのであった。

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