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侵略 ⑤

 座礁したフリュート船からは二隻の僚船に積み込めるだけの荷を得られたが、それでも三隻が満足出来るだけの収穫には程遠かった。

 勝利の宴を楽しむ酒樽すら不足している。

 ヘンリーは船団長として獲物の全てを僚船に与えた。

 しかしそれではグレイ・フェンリル号の水夫たちは納得しない。

 縛り上げられた捕虜たちをどうするべきか、グレイ・フェンリル号の甲板では激しい議論が巻き起こる。

 首をマストに吊るせと言うものもいれば、捕虜として身代金を要求しようと言う者もいた。

 そんな手下たちの言い争いを、ヘンリーは船の指揮所の手すりに腰掛けて紫煙をくゆらせていた。


「お頭ぁ! なんだって獲物を僚船にくれてやったんですか! 俺たちの給料は!」


 不満のあまりヘンリーに食ってかかる者もいた。

 彼らの気持ちはよく分かる。言いたいことなど山ほどあるだろう。

 故にヘンリーは手すりから飛び降りて、顔を赤くする水夫の肩を両手で支える。


「俺だってそうよ。この船で一番口惜しいのは、俺だと自信がある。ようやく得られた獲物が、香辛料の樽三つときた。たまらんよなぁ。えぇ?」


 普段は船の絶対者として君臨する船長が、こうして優しげな声をかけてくることに水夫は畏怖し、同時に、底知れぬ嬉しさも感じた。

 自分たちのような下っ端の気持ちもきちんと理解してくれているのだ、と。

 ヘンリーは更に言葉を紡ぐ。


「俺達は船団だ。僚船の助けが要る。ここで獲物を独り占めしちまったら、僚船は嫌気がさして俺たちを裏切るかもしれん。それだけは避けねばならん。心配するな。次のことは考えてある。お前にも握らせてやるぞ? 両手から溢れるほどの金貨の山を、な」


 気さくに背を叩くヘンリーの目は、マストに縛り付けられた捕虜たちに向けられた。

 このまま黙って許すわけにはいかない。

 解放すべきだと言うウィンドラスの意見は無視し、敵ガレオン船の甲板に再び乗り込んだヘンリーは、おもむろにカットラスを抜き払った。

 まさか首を刎ねられるのでは、と恐れた捕虜たちは口を閉ざす荒縄越しに叫ぶ。

 黒豹を始めとした水夫たちも固唾を呑んで見守る中、ヘンリーはジロリと捕虜一同を見渡した。誰もかれも傷ついて肌には血が滲み、男としての誇りなど忘れ、目に涙を浮かべている。

 するとヘンリーは彼らを捕縛する荒縄を切って捨てた。


 まさか助かるのではないか?


 そんな淡い期待を抱く捕虜たちであったが、切られたのはあくまでも彼らをマストに縛る縄であって、手足は未だに封じられている。

 ヘンリーは甲板に伏す男の背を踏みつけて、その場にいる全員に聞こえるように叫んだ。


「諸君らの意見はよぉく聞かせて貰った! 愛する同胞どもの意見、助けを乞う哀れな者どもの意見を! 熟考に熟考を重ね、双方にとって満足のいく結論に達した。ここに船長として、捕虜共へ判決を下す。解放すると!」


 これに全員が目を見開いて驚愕した。

 あのヘンリーが、よりにもよって獲物を自ら海に投げ捨てた連中を解放すると宣言したのだ。

 ウィンドラスは彼の決断に強く頷いて安堵のため息を漏らした。

 やはり彼は以前とは変わったのだ。

 誇りある帝国の一員としての自覚に目覚め、捕虜に対する慈悲を示すことで己の度量を周囲に見せつけたのだ、と。

 捕虜たちもしきりに頭を下げて彼に感謝の態度を見せた。

 逆に、彼の手下たちは拳を固め、歯ぎしりを鳴らす。

 ふざけるなと叫びたかった。

 だが他ならぬ船長の決定に逆らうわけにもいかず、違う意味での涙を流す者もいた。

 やがてヘンリーは一番若い捕虜の男を掴みあげる。


「せいぜい頑張って泳いで岸へ至るがいい。忍び寄る死に怯えながらなぁ!」


 次の瞬間、ヘンリーは手足を縛られた捕虜を海面目掛けて放り投げた。

 皆が驚いて言葉も出せずにいると、さらに両手で二人の捕虜を投げ込み、更に次々と捕虜たちは海に落とされた。

 手足を縛られているので泳げない者は必死に身体をくねらせるものの、大量の海水を飲んだことによってパニックを起こす。

 また泳ぎが達者な者もなんとか浮かんで呼吸を保つが、それでも半分は溺れているに相違ない。

 ヘンリーはその様子を見下ろし、さながら地上の人間に試練を下す神の如き傲岸不遜な態度でつぶやく。


「さあ、集まってこい。食事の時間だ。俺の奢りだぞ。飢えた腹を満たすがいい」


 彼の真意は間もなく不満に震えていた水夫たちにも理解できた。

 マストに登っていた見張りの一人が海面を指さして叫ぶ。


「サメだ! 背びれが見えるぞ!」


 はじめは一つだけだった三角の背びれが、いつしか十以上も捕虜たちの周囲をぐるりと囲んでいるではないか。

 彼らの肌から流れ出す血や誰のものとも知れぬ返り血の匂いを嗅ぎつけ、溺れまいと足掻く獲物に、その鋭い牙を突き立て、海中深くへ誘う。

 途端に群青の海面が真紅に染まった。

 身の毛もよだつ叫びが辺りに響き渡り、首を吊るせと叫んでいた者たちも、あまりの光景に言葉を失って目を背けようとする。


「どうしたぁ? 何故顔を背ける? まさか良心が咎めるとでも言うつもりか?」


 ヘンリーの眼が彼らを射抜くと、荒くれ者たちは石化したように血肉に染まる海の捕食ショーを凝視した。

 幸か不幸か最後の一人となった者が、荒縄の拘束を解いて岸に向けて泳ぐ。

 無我夢中で水をかき分ける彼の背後に無数の背びれが迫った。

 略奪を終えた僚船からもその様子は見えた。

 戦死した遺体を処理するために解体して海へ投げ込むことはあるが、生きながらにして餌食となる同じ人間の姿は見るに耐えない。

 だがヘンリーはその地獄を肴にワインを飲む。

 ウィンドラスは掴みかかる勢いで詰め寄った。


「貴方という人は、どこまで心を獣にしているのか! 解放すると言いながらあまりの仕打ちです!」


「何を言う、ウィンドラス君よ。俺は確かに解放したさ。運が良ければ岸へたどり着いただろう。それに俺は、双方の意見を聞いたと言ったはずだ。うちの連中の不満と怒りを無視できようか。だが彼奴らも助かりたいと願った。ともなればこれが一番真っ当な決定だろうよ」


 などと言い返す間にも最後の一人は群がるサメによって肉片となり、今や生き残りはいなくなった。捕虜の最期を見届けたヘンリーはウィンドラスの肩に手を置く。


「行くぞ、まだ仕事は終わっちゃいない」


「次は何処へ? 一体何をすると言うのですか!」


 ワインを飲み終えたヘンリーは愛用のパイプを咥えながら答える。


「決まってるだろうが……敵の港へ乗り込むんだよ。まだまだ喰い足りんからな」


 ウィンドラスは更なる血風と鉄火の嵐が吹き荒むことに胸を痛めた。

 幾ら自らにこれが戦争なのだと言い聞かせても、納得することが出来無い。

 されど船を降りる考えは浮かばなかった。

 たとえ地獄の釜の底に落ちようとも、ヘンリーについていくと自ら決めたのだから。

 帆を広げた船団は静けさの中を進む。

 更なる獲物を目指し、飢えた腹を満たすその時まで……。



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