開戦 ⑤
四十六隻の私掠連合船団の二千人を超える乗組員たちによって、キングポート中の酒という酒が飲み干され、長い略奪航海に向けて店という店から食料や生活物資が調達された。
船の補給を専門に扱う業者も今が儲け時とばかりに俄然張り切り、特に保存に適した肉や魚の塩漬け、薫製などを詰め込めるだけ樽に押し込み、少々ではあるが値を上乗せして売りつける。
しかしヘンリーをはじめとした船長たちは気前よく金を支払い、船倉からあふれ出る程にたっぷりと食料と飲み物を運び込んだ。
暴飲暴食をしなければ、およそ三ヶ月は食いつなげるだろう。
いざとなれば海に網を投げ込むなり、適当な港をおそって食料を頂戴するまでのこと。
他に、生きた鶏や山羊なども運び込まれ、船倉の檻に入れられた。
大切に飼えば新鮮な卵や山羊乳を与えてくれるし、非常食にもなる。
死肉は腐るが生きている間は腐らないという理屈だ。
「船長、食料の積み込みが粗方終わりました。これだけあれば、暫くは困らないでしょう」
「ご苦労さん。飯と酒だけはしっかりしておかんとな。何せ食い物を巡って殺し合いをした例なんぞ掃いて捨てるほどある」
「ですね。いざとなれば船長が食卓のメニューになる話もちらほらと」
仏頂面でとんでもないことを言ってくるウィンドラスにヘンリーは苦笑いを返し、航海計画を確認するために海図室に入った。
普段の航海用のものと、先日に各船長が情報を書き込んだもの。二枚の海図がテーブルの上に広げられており、襲撃予定地点に向けて進路が引かれている。
目指すはピサロ海峡だ。
南方王国の本島と他の八つの島国を繋ぐ要所。
ここを封鎖して運び込まれる財宝や物資を奪う。帝国海軍が派手に動いてくれるならば、敵は正規の軍艦と非正規の私掠船を同時に相手せねばならず、自然と戦力は分散されるだろう。
つくづく私掠船というものは良い生業だ。
海賊でありながら国の後ろ盾を得て、公然と略奪にいそしめるのだから。海にでれば小うるさい出資者もいない。略奪が成功して港に戻ればあらゆる快楽を味わうことができる。
陸でせこせこと労働に勤しむ連中の気が知れないと、ヘンリーは完璧な航海計画に満足して船長室に篭った。
威勢のよい船乗りたちの掛け声、さざ波の音、風の声を肴に、グラスに注いだワインを舐める。
再びキングポートの灯台の火を見ることが出来るだろうか。あるいは遥か南の海に沈むかもしれない。だが、それもまた一興。神に祈りなどしない。人もまた獣にすぎないのだから。
喰うか、喰われるか。
ただ強いものだけが生き残るのがこの海の掟だ。
だからこそ狼となった。
主人から鞭で打たれる羊や驢馬になどなるものか。
幼少の頃に刻まれた背の古傷に思いを馳せていると、部屋の扉がノックされた。
「船長、出港準備完了です。甲板へお願いします」
「あいよ」
ウィンドラスに伴われ、甲板に上がったヘンリーの眼前には、今正に出港せんとしている船団とその乗組員たちがマストに登って彼の号令を待っていた。
ヘンリーは伝声管を手に取り、船団全員に聞こえるように声を響かせる。
「……出港だ! 覚悟はいいな!」
『はい! 船長!』
全ての船から、港から、そして目の前の仲間たちから、空が張り裂けんばかりの歓声と祝砲の砲声が轟く。
「帆を開け! マストに旗を掲げろ! 錨を上げよ! 狩りの時は来たれり! 灰色狼どもよ、いざ共に波濤の彼方へ!」
『いざ! いざ! いざぁ!』
白い帆が、黒い帆が、灰色の帆が風の加護を受け、グレイ・フェンリル号を筆頭に四十六隻の私掠船団が単従陣を組んで紺碧の海原へ駆け出す。
進路は南南西。南方王国とその船乗りたちはやがて恐ろしい悪夢を見るだろう。
両国の中間海域に到達すると、当初の予定通りに船団を分散させ、各々が与えられた縄張りへ転進していく。
グレイ・フェンリル号に随伴するのは小型の快速船『アドラー号』、武装商船『アルフレッド号』の二隻。
三隻は信号旗で互いに連絡を取りながら周囲の警戒を強め、南方王国が支配する海域へと足を踏み入れた。
「なあ、ヘンリー。なんだってあんなちっちぇえ船と商船なんか選んだんだよ?」
黒豹の問いに、ヘンリーはさらりと答える。
「ちっちぇえのは囮、でっかいのは籠だ」
「籠?」
「略奪品はたくさん持って帰ったほうが金になるだろ?」
「船団相手にそんなので大丈夫なのかよ?」
「俺が羊の群れと番犬に遅れを取ると思うか? 心配するな。俺はお前らを信じている。お前も俺を信じろ」
ぽんと黒豹のしなやかな肩に手を載せ、ヘンリーは望遠鏡を覗きこむ。
相変わらず気楽に言ってくれると黒豹は呆れたが、何年も同じ船で無茶な航海を乗り越えてきた信頼が彼女の不安を拭い去る。
それは黒豹だけではなく、ウィンドラスも、ハリヤードも、医師のジブも同じだった。
いつもは自分の部屋に閉じこもったまま滅多に出てこないジブが、今日に限って甲板に姿をあらわす。
船乗りらしからぬ白い肌と痩せこけた顔が幽霊のように不気味で、目の下の青いクマが連日の徹夜を物語っている。
「よお、ジブ。陽の光を浴びて灰にならんのか?」
「クククッ……冗談きついねえ、船長。私だってたまには日光浴くらいする」
「そうかい。今度も、お前さんの腕が頼りだ。なにせ連日ドンパチやるからな。またぞろ新しい薬を試したくてウズウズしているんだろう?」
「まぁねぇ。船長も怪我をしたら私が手術してあげるからねぇ? クククッ」
ジブは喉で笑い、懐から鋭いメスを取り出してみせる。
それを見た水夫たちは途端に視線を合わせないように顔をそらし、なるべくジブから距離を離した。
ある意味で乗組員の中で一番血を好む男なので、ヘンリーも頬を引き攣らせ、ジブの背を押して医務室へ押し戻す。
しかし、イカれてはいるが医術だけは確かなので、無碍に扱うことはしない。
誰一人として欠けていい者などいないのだから。
そして三隻は南方王国のピサロ海峡に差し掛かった。
 




