開戦 ④
キングポートの人々が新聞に熱狂するのは異常なことだった。
女帝による宣戦布告の演説内容もさることながら、彼らの王であるヘンリー・レイディンがこのキングポートに私掠船団を招集する記事に彼らは釘付けになっていた。
一足先に島へ戻ったフォルトリウ伯は停泊中の商船を帝国本土へ退避させる命令を下し、自身が指揮する小規模の艦隊も手早く整備を終わらせて、当初の予定にある艦隊の集結地点へ向かわせた。
おかげでキングポートの港には漁船さえも姿を消して、沿岸には敵襲に備えて砲台が新たに設けられた。
そして繁華街に屯している連中も、私掠船団の来訪を絶好の稼ぎどきだと息を荒らげた。
酒場、賭場、そして娼館や商人たちが集うギルドやコーヒーショップまで、暇さえあれば水平線に望遠鏡のレンズを向けて待ちかねている。
やがて水平線からマストの先端が現れた。
一つ、二つ、三つ……それはいつしか二十を超える数の船がキングポートに向けて波間を押し進む。
各々が誇りと掲げる髑髏の旗をなびかせ、女帝と国家の為にを建前に海を荒らしまわる狼の群れ。
小さな船は岸壁に綱を投げ渡し、大きな船は離れた場所に錨を落として、続々と荒くれ者たちがキングポートへ上陸を開始した。
更に海の彼方から後続の私掠船が日を追う毎に増えていく。
おかげでキングポートの街は今までにない大盛況となった。
無数の金貨が波のように宙を舞い、飲んだくれの乞食たちは地面に落ちた金貨を必死で懐に収めていき、娼婦たちも取っ替え引っ替え柔肌に飢えた男どもの相手をする。
フォルトリウ伯も「挨拶」として各船から送られた宝石や金銀に白粉顔が緩み、私掠船団の集会場として街で最も大きく広い食堂を貸し切りとする許可を出した。
港も海も帝国の私掠船によって埋め尽くされ、帝国と敵対していない中立国の商船はそのあまりの光景に息を呑む。
真面目で善良な船乗りたちからすれば、これほど背筋が震える場面もそうそうないだろう。
中にはマストに白旗を掲げて通行する船さえあった。
そんな臆病者たちを私掠船乗りどもがゲラゲラと嘲笑い、彼らの王の到着を待ちわびた。
それから三日後の朝、キングポートにグレイ・フェンリル号が到着した。
大小の私掠船が数にして四十六隻。随分と遅れた帰港ではあったが、存分に船旅の疲れを癒していた野郎どもがこぞって岸壁に集まり、各船の船長が一列に並んで彼を迎えた。
船からタラップが降ろされ、ヘンリーがウィンドラスを伴って岸壁に立つ。
「よお、諸君。出迎えご苦労さん。実に壮観な眺めだった。寄り合いの席は準備ができているな?」
ヘンリーは贔屓にしている食堂が会場だと知っていたく満足し、他の四十六人の船長らに酒を振る舞った。
「残りの四隻はどうした? まさか昼寝をしているわけじゃあるまいな?」
冗談交じりに笑うヘンリーに、船長の一人が遠慮がちに言う。
「……沈んだよ。今じゃサメの腹の中さ。南方の奴ら、俺達を恐れて大規模な船団を組織しやがった。しかも護衛までしっかり張り付いている」
「なるほどな。返り討ちにあったってわけか? 連中も少しは知恵が回るらしい。道理で単独行動している商船が見当たらなかったわけだ」
「ヘンリー、感心している場合じゃねえ。これから俺達はどうするってんだい? 棟梁のあんたの意見が聞きたい」
皆が押し黙り、上座に座るヘンリーに視線を集中させた。
「俺の意見? 意見ねえ――」
彼はコツコツと指先で机を叩きつつ、言葉を紡ぐ。
「俺達の雇い主からの依頼は、敵さんの通商、輸送の破壊とのことだ。とどのつまり、今までと同じ仕事ってことよ! 実に簡単で俺たち向きの仕事だとは思わんか? 敵が群れている? それがどうした! だったら俺達も群れて狩りをすればいいだけのことよ!」
呆然とする彼らを畳み掛けるように、更に彼は意見を述べる。
「群狼作戦だ。俺達は数にして四十六隻。お行儀はいいとはとても言えんが、腕っ節は海軍に遅れはとらん。俺達は狼だ。羊が群れているなら、俺達もまた群れて狩りをする。ウィンドラス君、例のアレを」
傍らに直立していたウィンドラスが、机の上に巨大な海図を広げていく。
そこには赤いインクで複数の線が引かれており、航海者たる彼らはすぐにその線が南方王国の海上輸送ルートであることを察した。
同時に、日時、船の種類、数、進路、積み荷等の情報が事細かく記載されているではないか。
「こいつはうちの航海日誌から割り出したものだ。いつ、どこで、どんな船を何隻奪ったかを書き込んである。あんたらもこの海図にありったけの情報を書き込んでくれ。獲物の数、護衛は何隻いたか、どの進路を通ったか、全部だ」
「なるほどぉ、情報を共有しようってわけだな?」
「そうだ。今までのように各々が好き勝手に縄張りで狩りをする場合じゃなくなった。国と国の大げんかが始まる。俺たちはそのドサクサに紛れて大いに獲物を食い散らす。そのためには情報がいる。獲物の匂い、足あとだ。獣道がわかれば待ち伏せも出来る。数が多かろうが所詮は羊どもだ。番犬がいようが散り散りに逃げていくだろうよ。あとはこっちのものだ」
船長たちはそれぞれ航海日誌を持ち寄って海図に情報を次々に書き込んでいく。
その間にも、群狼の割り当てなども決められていった。
基本は五隻編成。船団を九つに分け、南方王国の航路を完全に封鎖する。
厳命として、船団護衛の小型艦は除き、敵艦隊との交戦は厳禁とされた。
略奪品は船団で平等に山分けとすること。
各船は指定された信号旗で連携を密にすること。
その他、細かい罰則などが新たに『掟』として明記され、船長たちは誓約書にサインと血判を押して結束することを誓った。
「ところで棟梁、改めて狼の紋章の下に誓い合った俺達の大船団に、あんたから名前をくれてやっちゃぁくれないかい?」
すると彼は暫し考え込んだ後、ニヤリといたずらっぽく口の端を吊り上げて答えた。
「そうさな……貴族院なんてのはどうだ?」
途端に全員が腹を抱えて絶倒した。
「そいつはいいや! 傑作だ! 俺たちは貴族様ってか?」
「いやいや素晴らしい皮肉だ! 都でふんぞり返ってる連中に聞かせてやりたいもんだ!」
すっかり気分をよくした彼らは都の貴族何するものぞと声を張り上げて、我こそが海の貴族であると大胆に嘯き、ヘンリーを王と讃えて店にある全ての酒樽を飲み干した。
どんちゃん騒ぎが夜通し続く中、当のヘンリーは密かに店から出て静かな夜の海を眺める。
さざ波一つ無い凪いだ海は鏡のように月を映している。
それを見つめる彼の右目は憂いを秘め、いつになく神妙な空気を漂わせていた。
今度の出港で船団の半分は海の底へ消えるだろう。
自分の船とて例外ではない。
海で死ぬのは本望だ。
特に命の奪い合いの最中ならば言うことはない。
しかし、何故だか彼の心には、ルーネの嘆き悲しむ顔が浮かんでいた。
ただ己の名前が刻まれただけの空の墓の前でむせび泣く彼女の背が、目蓋の裏に描かれる。
どうしてかはわからない。
だが決していい気分ではなかった。
この気持の正体が一体何なのか、彼には未だ理解することが出来無い。
「けっ! アホらしい」
などと吐き捨てたヘンリーは、馴染みの娼婦たちが待つ繁華街の喧騒へ身を沈めた。




