開戦 ②
出港の前日、ヘンリーはルーネの部屋を訪ねた。
扉を開けるといつも以上に鬼気迫る顔で書類の山を向き合う彼女の気迫は、もはや殺気にも似たものがあった。
しかし、ヘンリーが顔を見せると眉間のシワも緩む。
「いらっしゃい。出港は明日だったかしら?」
「ああ。一応、雇い主様に挨拶をしようと思ってな」
「それは殊勝なことね」
と、休憩がてらに執務机からソファへ移動したルーネは、疲れからか、甘ったるいチョコレート菓子を手で掴んで口に運んでいた。
「それで、何か用があって来たんでしょ? 足りない物資でもあるの?」
「いや、お前さんの覚悟のほどを確かめておこうと思ってな。俺も、ローズのヤツも、背中を預けるお前さんが迷っていちゃ困るからな。で、思惑通りに戦になったわけだが、お前、血みどろのドンパチをやった末に何を目指しているんだ? 何を手に入れようとしている?」
「んふふ、聞きたい?」
ぺろりと小悪魔のように指先を舐めたルーネは、壁に掲げられていた世界地図を引っぺがして机に広げる。
世界地図とはいえ今現在判明している海と陸地だけであるが、彼女は手のひらを地図の中央に叩きつけて言い放つ。
「夢は大きく! 世界征服よ!」
これには流石のヘンリーも唇を尖らせた。
「おいおい、疲れで頭が沸騰しちまったか?」
「あら、失礼ね。至って真面目よ? いつだか貴方が言った台詞、覚えてる? 世界で一番力を持っている武装強盗団は、国だって。貴方は一隻の船で海を支配した。私は一国で世界を支配するのよ! この地図に描かれた世界も、この地図の外に広がる世界も、全てこの手の内に収めてやるんだから。国境を全て取り払い、海という海を、陸という陸を帝国の下で一つにしてみせるわ」
呆気にとられて口が開きっぱなしだったヘンリーだったが、やがて口の端を吊り上げて喉から低い声で嗤う。
「いいねぇ、最高だ。世界をまるごと奪っちまおうってわけだ。全く大した悪党になったもんだぜ。だが、出来るのか? お前さんに」
「勿論よ。だって、貴方がいるんだから。私が誰の見習いだと思ってるの?」
「違いねえ。南を奪った後は東か、西か……」
「それを見つけるのが貴方の仕事よ。世界の全ての海を貴方が暴きだし、全ての土地を私が暴きだす。その先はどうせ私も貴方も地獄行きよ。だったら地獄も全て奪えばいいじゃない?」
「悪魔をも従えるつもりか?」
「当然よ。だって……もう、悪魔より恐ろしいことをしているのだから」
女帝という冠を被った少女の哀しげな顔。
彼女の本当の姿を知るヘンリーは、無言で手をのばすと、彼女の金色の髪を乱暴にかき撫でる。
突然のことに驚くルーネはキョトンとした目で彼を見つめた。
するとヘンリーはぎこちなくはにかむ。
「そう気負うな。お前さんの牙は俺だ。一度、敵を食い殺せと言われりゃ其のとおりにしてやる。血の海の真ん中で吠えるのは俺の役目だ。俺の生きがいだ。俺の縄張りだ。お前にはくれてやらん。せいぜい綺麗なドレス着て玉座でふんぞり返ってろ」
「何よ、その言い方…………生きて、帰ってきてよね?」
ヘンリーはそれに応えることはせず、パイプの紫煙を旨そうに咀嚼する。
そのときルーネが思い出したように手を叩いた。
「ああ、そうそう。ローズとも相談したのだけど、貴方達私掠船団と海軍との間で共同作戦をやる機会もあるだろうから、団長の貴方には、一時的に海軍中将の位を与えておくわ」
「中将だと? ハッ! 俺も出世したもんだなぁ。だが俺は堅苦しい海軍なんかとつるむつもりは毛頭ないぞ? 好きにやらせてもらうからな」
「勿論よ。これはあくまでも舐められないための肩書とでも思っておいて」
「まあ貰えるものは貰っておくさ。さて、出港前に一杯引っ掛けてくる。この世の名残にな」
宮殿を離れ、港に見える自分の船を見遣りながら、酒場の戸を押し開ける。
ここでも開戦の話題が後を絶たず、中には山奥へ疎開すべきかどうか話し合う連中までいた。
カウンター席に腰を下ろし、ラムを舐めるヘンリーはこれからのことを考えていた。
キングポートで私掠船団と合流してからのことだ。
まさか大小五十隻をいっぺんに連れて行くことは出来無い。
元々がならず者の集まりだ。
しかし全く統率が取れないようでは話にならない。
今までのように好き勝手に海で暴れればいいというものではないのだ。
通商破壊といっても簡単な仕事ではない。
航路の封鎖、航路を外れていく船の捜索、そして襲撃の確実性。
何よりも数ヶ月に及ぶ航海で乗組員たちの規律と士気を保つことが至難の業だ。
今度は今までに無い長期の狩りとなるだろう。
自分の船のことだけを考えていた頃が余程気楽だった。
厄介な役割を引き受けてしまったものだと、つまみに頼んだ燻製肉を齧る。
「ちくしょう……またウィンドラスの仕事を増やしちまう。それに……」
ヘンリーはグッとグラスのラムを飲み干すとカウンターに金貨を一枚置いて、乗組員たちが宿泊している都の宿屋に赴いた。
そしてある男の部屋の戸を叩く。
「爺さん、俺だ、ヘンリーだ」
「……入ればえかろう」
相変わらずぶっきらぼうな物言いが聞こえ、扉を開けると、彼はいつものように酔っていたが、机の上には白い薬袋がいくつも置かれていた。
老齢でありながら酒浸りで、しかもただでさえ体力を使う航海を続けていれば、身体を壊すのも当然だった。
ヘンリーは椅子に座って、背を向けているキールに薬袋を投げ渡す。
「具合はどうなんだい? えぇ?」
「やかましいわい。若造が気にすることじゃねえ」
「そうもいかんだろう。俺は船長だからな。爺さんが連れてきたエドワードての、お調子者だが結構腕はいいようだな。ここへ戻る途中、索具を直してくれて助かったぜ」
「ふん……儂から見りゃ、まだまだヒヨッコじゃ。だが、あんたが気に入ってくれたなら、儂も育てた甲斐があるってもんじゃ。で、何の用じゃ?」
「わかってるだろう?」
「いや、わからん。さっぱりとな」
「なら言うが……今度ばかりは、爺さんを乗せていくわけにはいかん。年寄りにゃキツイ航海だ。特にそんな有り様じゃ、とうに引退してもおかしくはない」
キールは低く唸ったまま黙りこむ。
本心では否定したかったろう。
まだまだ若いものには負けないと。
自分がいなければあの船の面倒はみきれないと。
しかし波のように寄せてくる年端と、酒に犯された身体によって、もはや縄梯子を登るだけで精一杯という有り様だった。
「あんたには、随分と世話になった。船長として、何かしてやりたい。ほしいものがあったら、何でも言ってくれ」
「……一つ、頼まれてくれ」
キールはヘンリーに向き直ると、珍しく、深く頭を垂れた。
「エドワードを、頼む。あいつは儂が見込んだ船大工じゃ。一流になる素質がある。あんたの手で、あいつを一人前にしてやってくれ。儂に代わって」
「わかった。今まで、ご苦労さん」
肩を何度も叩いて長年の苦労を労ったヘンリーが部屋を出ようとしたとき、キールが思い出したように呼び止める。
「すまんが、もう一つ」
「なんだ?」
「キングポートまでは連れていってくれ。儂は都よりあっちのほうが好きじゃけ」
いつもは決して見せることがないキールの緩んだ頬を前に、ヘンリーはただ無言で頷く以外に術がなかった。




