開戦 ①
南方王国による港湾攻撃の報せは、帝国の宮中を騒がせた。
いよいよ仇敵との戦いが始まると貴族たちは腕を撫し、各々の領地に兵を整えるように伝令を送る。
その中でも特に意気軒昂であったのが、ローズ・ドゥムノニア女伯である。
彼女は女帝が帰還するまでの間に宰相と共に議会を招集し、さらに帝国中の軍港に対して臨戦態勢を指示した。
きたるべき開戦に備えてシミュレートを繰り返してきた作戦が決行されるに当たって、大臣、将官、そして水兵に至るまで、鉄の規律によって出撃準備を進めていた。
ローズ自身、女帝から預かった第一艦隊の指揮官としての責務を全うすべく、参謀を招集して軍議を重ねた。
女帝ルーネフェルトを乗せた私掠船グレイ・フェンリル号が帝都へ帰還したのは、臼砲艦コルテス号を撃沈して三週間の後であった。
岸壁に係留されるや否やルーネはタラップを駆け下りて宮殿に馬車を走らせ、ローズの出迎えを受ける。
「おかえりなさいませ、陛下。議会は既に陛下をお待ちしております」
「ご苦労様。軍の状況は?」
「各方面に出撃準備を指示いたしました。あとは陛下の認可を待つばかりです」
宮中に入ったルーネは直ちに身支度を整え、議事堂へ足を運んだ。
そこには爵位を問わず国中の貴族や有力者が集い、普段は姿を見せない面々も背筋を伸ばして彼女を待っていた。
キングポートの領主であるフォルトリウ伯さえも出席するほどだった。
ヘンリーも正当な貴族ではないものの、準男爵の称号を持つものとして出席を許された。
どかりと無遠慮に足をテーブルに乗せ、パイプに火を灯す彼の傍若無人に他の貴族は辟易していたが、文句を言おうものなら鉄拳が飛んでくるので女帝に目を向けたまま静止している。
ルーネは最上段の玉座に腰を下ろし、議長を兼ねる宰相の開会宣言を静かに聞いていた。
そして各方面、とりわけ襲撃を受けた地区を管理する陸軍将校や現地の名士が悲惨な状況を皆の前で証言していく。
涙を流し、また砲撃によって手足を失った傷痍軍人も加わって、議会はどよめいた。
特に軍人たちは王国に対して怒りを露わにし、何とか場を静粛させようと宰相が呼びかける。
「皆々様、どうか、どうか静粛に。これより女帝陛下よりお言葉を賜ります」
場が一転してしんと静まり返り、議長に譲られる形で壇上に上がったルーネが一同を見渡して語り始めた。
「まずは犠牲となった街の住民の皆さん、そして義務を果たした兵たちに心からお見舞いを申し上げます。帝国の長として出来る限りの補償と手当を約束致します」
と、前置きした後に彼女は水を一口で飲み干し、予め議会が用意していた演説の原稿を掲げると、それを皆の目の前で破り捨てた。
「他人が用意した言葉など今は無意味です。私は私自身の言葉でここに集う忠臣たちに、そして私の言葉に耳を傾ける民に訴えます。皇祖が国を興して以来、父祖は幾多の苦難に打ち勝ってこの帝国という大船を動かし続けました。そして今、再び大きな嵐が帝国を襲っています。遡れば三年前、皆の前で王冠を戴き、帝位に就いた私は誓いをたてました。
『私は如何なる困難からも逃げない。そして決してあなたたちを見捨てることはしない。この帝国という、一隻の大船の一員である以上、私は愛する仲間を決して裏切りません。皆、どうかこの私に力を貸して欲しい。私を支えて欲しい。そして共にこの国を、父祖に誇れるような国にしていこうではありませんか』と。
私達の偉大な父祖は歴史を作りました。
私達は今まさに歴史の一ページにペンを走らせています。
そして、私達の子孫が、私達が紡いだ歴史を学ぶのです。
私達を育んでくれた母なる国を、他国の手によって奪われるわけにはいかない。
栄光のため、名誉のため、そんなものは無意味です。全てはこの国で生きる全ての命のために、これから生まれてくる命のために、私は女帝の名において、南方王国に宣戦を布告するものであります。我が愛する同胞よ、忠烈の士よ、薔薇冠の下に集いし獅子たちよ。
共に行きましょう。嵐を乗り越え、彼方に広がる眩い未来へ」
議会からは万雷の拍手が鳴り響き、演説の内容が号外として都にばら撒かれると、民衆もまた歓声を上げて女帝を讃えた。
そして正式に宣戦布告の手続きが進められ、同時に、帝国軍に対して総動員命令が下された。
貴族たちは領地の私兵を率いるべく各々の土地へ引き上げ、海軍では船舶協会、港湾組合と協力して民間商船を徴用し、兵員輸送の準備にとりかかる。
ルーネも執務室に篭って軍事報告書や各種命令書にサインと国璽を乱打していく。
一方、ヘンリーは議会が散会された後も議事堂に残っていた。
他にフォルトリウ伯とローズ女伯の姿もある。
三人とも、皇女暗殺事件に深く関わった当事者たちだ。
「やれやれ、全くとんだことになったものだねぇ。よく考えてみれば、私のキングポートが南方に最も近い最前線ということになるではないか。これは困ったよ。夕飯後のデザートが喉を通らない」
「おうおう、白粉顔が頼もしいこと言ってくれるじゃねえか。以前のお前さんなら宝石箱抱えて逃げ出していたことだろうよ」
呵呵と笑うヘンリーに、ローズがため息混じりに苦言を呈する。
「もう少し緊張感というものを持って貰いたいものだ。非常時なのだぞ?」
「俺にとっちゃあ、平時なんてものは普段から無いものでな。毎日が戦時中よ。あんたも俺に求めるものはひとつだろう? いや、俺達といったほうがいいか」
するとローズは不敵に笑って頷く。
「レイディン卿には、私掠船団を指揮して、敵の通商破壊、及び輸送妨害任務についてもらいたい。貴様の本領だろう?」
「そりゃいいね。実に俺好みの仕事だ。で、積み荷は好きにしていいのかい?」
「可能な限り拿捕し、軍に提供して貰いたい。弾薬の類は特に」
「あいよ。さてと、それでは死に損ないの狼共に遠吠えを聞かせるとするかねぇ。おい、フォルトリウ。キングポートの港を開けておいてくれ。拠点にする」
「手配しておこう。各地に手早く招集を報せるならば、新聞に書かせるのがいいだろうねぇ」
「あとで私から伝えておこう」
「頼んだぜ? くっくっく、面白くなってきたぞ」
海原を行き交う無数の獲物を思う彼の顔は、獰猛な肉食獣の笑みを浮かべていた。




