1+その御伽話のような出逢い
「う、わ!」
ギヴンは思わず叫び、跳ねるように道の脇に避けた。それはギヴンだけではなくて、その道にいた人々共通の動作。
小さな、ギヴンとそう変わらない背丈の誰かが慌しく走り去っていった。薄紫の大きな布を頭から被り、それより色の濃い深い菫色の髪を一房はみ出させて。
それだけなら別にこれと言って文句は無かった。なに急いでいるのかな、とは思ったけれども。
けれどそのすぐ後に大勢の大人が道に横に広がって走ってきた。結構凄いスピードで、それでギヴンたちは避ける羽目になったのだ。
明らかにそれは先刻走り去った誰かを追っている感じだった。
人々は良識を弁えない男たちに不平の言葉を漏らしたが、徐々に混乱は収まりまた祭りの賑やかさが戻ってくる。
そんな中空気に取り残されてしまったのはギヴンだった。
(走ってた・・・逃げてた?)
ギヴンは爪を噛む。何か悪いことをしたのだろうか、それで追いかけられていたのだろうか。
「おっ坊主じゃないか」
眉根を寄せていたところに突然背後から声をかけられて、ギヴンはまた吃驚することになった。
「えーと、昨日の・・・」
「ソル。何やってんだそんなとこで」
そう、昨日この街に着いたばかり、聖誕祭による人の多さに疲れて一休みしていたところに声をかけてきた青年だった。今日は自由時間でも貰ったのか、軽装で一人らしかった。
「うん、ちょっと気になることがあって」
ソルはギヴンの応えに、少年の視線の先を追った。
「何、さっきの集団?」
「ん。見てたんだ」
「まあな、目立つし。アレはやばい匂いがするな、関わらない方が」
「うん、やっぱり見てくる」
「っておい!?」
「じゃね」
ソルの言葉などまるで無かったかのようにギヴンは走り出す。だがそうして2、3歩ほど行ったところでぐきり、と嫌な音を立てて首が後方に曲がった。
「!!」
「あ、悪い思わず」
ギヴンの一房伸ばした後ろ髪を慌てて離して、ソルは誤魔化し笑いをする。
「った、た・・・ソル!」
「悪かったって。いきなり走り出すと思わなかったんだよ。やけにこの髪は持ちやすいし」
「だからってなあ」
まだ首の筋がじんじん言っている。涙目で抗議し詰め寄ったギヴンにソルは待て待てと手を振った。
「お前な、ツバメの癖に他人に首突っ込むなよ。しかもあんなやばそうな連中」
「でも、気になったんだ。気になったのに、放っておけって言うのか?」
「気になったって・・・、お前なあ」
ソルはギヴンの身を案じてくれているのだろう。昨日初めて、それもほんの何分か会っただけの自分にどうしてそんな風にしてくれるのか、ギヴンにはむしろそっちの方が不思議でならなかった。
「ソル」
まだ延々と危ないと連呼している心優しき青年に、最大限の感謝と拒絶の意味を乗せて名を呼んだ。その響きに青年の呟きが止まる。
「ありがとう。でも、行きたいって俺が思ったんだ」
何がしたいのではなく、ただ行きたいと。そう告げる少年に、青年はこの目の前の小さな存在は確かにツバメなのだと理解する。
弱くて儚くても、自分の足で行く者たち。自分はそうあり続けられなかったけれど。
ため息一つ。
「この街は初めてか?」
「ううん」
「じゃあやばそうになったらA地区まで何とかして来い」
「え?」
「いいな、A地区だぞ」
両手を腰に当て半ば睨むように見た青年は、ギヴンにそう強調し踵を返す。
「あ・・・」
ギヴンはその意外に広い背中を見詰め、青年の意図を図る。
やがて。
「ありがとう!」
小さくなっていく背中に声をかけ、ギヴンは走り出していた。
王都はメインストリート周辺は整備されて美しい景観を持っているが、王宮から遠ざかる、すなわち郊外に近づくにつれ蜘蛛の巣のような構造になっていく。ギヴンはその人気の無い道を走っていた。
「曇ってきたな・・・」
ふと空を見上げて呟く。先刻までは青空が広がっていたのだが、いつの間にか鈍色の雲が青を食らっていた。
ギヴンはそんな中を迷うことなく走っていく。勘、ではなった。確信。足音は確かにこの先から聞こえてきている。
勿論常人には聞こえない小さな音だ。音にもなりきれていない振動と言っていい。けれどギヴンには聞こえていた。
「この耳が役立つなんて、な――」
不意にギヴンは自嘲めいた笑みを浮かべる。決して穏やかではない、悲しい笑み。
「とにかく、先回りしないと」
ただ走る。考えなくてもいいように。
どれだけ道を行っただろうか、雲の所為かスラムに近くなった所為か、どんよりとした空気と暗い道にギヴンはいた。立ち止まり、周囲に意識を向ける。
「来た」
建物の間に体を滑り込ませ、それを待つ。幾許かの時を挟んで、
「!」
紫の布がはためいた。ギヴンは半身を道に出し、その誰かを見詰める。
「・・・」
誰かは思わずといった風に立ち止まる。こんな場所に人がいるなどと思わなかったのだろう。
「どうしたの?」
ギヴンは問いかける。誰かの肩がぎくりと震えた。
「追われているの?」
ギヴンは誰かに一歩を踏み出す。誰かは逃げはしなかったけれど、困惑はしているようだった。
「おいで」
強い、言葉。誰かは息を呑み、数瞬身じろぎした後走り出した。ギヴンは誰かの手を握る。細い手。多分女の人。
「こっち」
小さくて短い言葉でギヴンは少女に語りかける。少女は何も言わず、けれどしっかりした歩調でギヴンに手を引かれたまま走った。後方から複数の足音。さっきの男たちだろう。
「凄いしつこさだね、結構逃げてるでしょ?」
「ええと、はい・・・」
細い声。やっぱり女の人だ。
「うーん形成的にはやっぱり女の人を応援しちゃうよなあ」
「そう、なんですか?」
「むさい男よりは可愛い女の子の方がいいって断然・・・こっち!」
軽口を叩きながら少年は少女の手を引き、T字路を右に曲がった。
「え!?」
隣で少女の息を呑む声。そこは袋小路だった。すぐに男たちが追いついて、二階建ての建物を背後に立つ二人を見やった。少女は酷く息が乱れていたが、気丈に男たちを睨む。袋小路に入ってしまったギヴンをまるで責めようとしない少女に、ギヴンは心なし吃驚した。
同じく息を切らした男たちが間合いを詰めてくる。その中の一人が口を開いた。
「お戻りくださいフォート様、どうか」
(様?どうか?)
目を見開いたギヴンは未だ繋がれた手が強く握られたことにまた戸惑った。
「ごめんなさい、私・・・」
少女のギヴンの手を握る強さが増す。それにギヴンは頷いた。
「話は決裂しそうだけど、続ける?」
不適に発したその言葉に、先ほどの男がギヴンに目を向ける。
「お前は・・・」
「いやなんか気になって。取り合えず俺としてはこっちに加担したいなー、何て思ったり思わなかったり?」
「貴様!」
ギヴンはそう笑うと、ふわりと少女を抱き上げた。少女は短く悲鳴を発するが、ギヴンはそのまま後退する。そして、
「しっかり掴まって?」
少女の耳元に囁き、返事も待たずに跳躍した。
「っ、きゃ、ああ!?」
案の定少女は叫ぶ。仕方ないなあとギヴンは苦笑した。
その一足で建物の屋根までをいとも簡単にギヴンは上って見せた。その跳力は常識を超えて、人外。
ポツリと頬に冷たいものを感じて、ギヴンは空を仰ぎ見る。
「やっぱり降ってきた」
下を見ると、男たちがまだ唖然としてこちらを見ていた。
「じゃーね」
そのギヴンの言葉に正気に戻るも、そのときにはギヴンは踵を返していた。少女を抱えたまま、屋根を渡り走る。少女はその状況に何とも思わないのか単に頭がそこまで回らないのか、ギヴンの首にしっかりと掴まっていた。
・・・実は案外、高所恐怖症なだけかも知れない。
「ん、そーだ。A地区に来いって言われてたっけ」
ふと呟いた声に、ようやく少女は顔を上げる。被っていた布が零れて、その顔が覗いた。
菫色の細い髪に緑の鮮やかな瞳を持つ少女は、単純に美しいと思った。
「あの、有難うございます」
「んー?わかんないよ、お礼言うのはまだ早いって。俺が何者かも分からないのに」
茶化して言えば、少女は微笑む。それは酷くぎこちなかったけれど。
「いいえ、貴方が何者かは関係ないのです。この後私がどうなると言ってもそうなることを選んだのは私自身ですから」
「そこまで覚悟して手握ったんだ?」
「ええ」
「・・・なまえ」
「え?」
「名前、聞いてない」
ギヴンは前を見続ける。だから少女が今、どんな顔をしているか知らなかった。
知りたくなかったのかも、しれない。
やがて少女は口を開く。
「フォート。フォート・ナレッヂと申します」
雨足は段々と強くなっていくようだった。
ということで、フォート登場。
此処から物語は動き出します。・・・予定です(ぉぃ!)