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十種神宝  作者: 星乃夢
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第一話 沖津鏡



――――高潔な白鹿と、不敵な黒狼が、現代社会という荒野で初めて交錯する――――



   

 雲海を切り裂き、一機のプライベートジェット……通称 天の磐船あめのいわふねが、夕闇に沈む都市の上空を旋回していた。

 

 キャビンに座る賑羽屋にぎはや なぎは、最高級のシャンパンを口に含み、窓の外を見下ろしている。


 彼女が纏っている白いツイードのセットアップには、皺一つ見当たらない。

 

「……美しいわ。やはり世界はこの高さから眺めるのが、最高だわ。まさに、これこそが正しい姿ね」

 

 傍らに控える特命秘書の天野あまのは、凪と同じ二十代半ばの若さだが、人間離れした手際の良さで、複数の端末を操っている。

 

「お嬢様、間もなく着陸です。現地のデータリンクは完了しています。すべては計画通りです」

 

 専用ターミナルから、重厚な装甲を施された漆黒のリムジンに乗り継ぐ。

 

 外界から隔絶された静寂の殻の中で、凪は最新デバイス『OKITSU』を起動した。


  

 ホログラムが描き出すのは、彼女が統括する予定のミナト地区の完璧な未来図だ。


 物流、人流、すべてが透明な光の粒子として整理され、彼女の指先一つで再構成されるからだ。

 

 凪にとって、このデバイスこそが現代の……沖津鏡であり、地上の人々を導くための完璧な設計図でもあった。

 

 だが、その設計図は、車がミナト地区の境界を越えた瞬間に、泥の下へと引きずり込まれる事になる……。



   

 予報を裏切る凄まじい集中豪雨。


 最新システムが最適……異常なし、と判断した排水計画……の、はずだった。

 

 ところが、この土地に眠る古びた暗渠あんきょと複雑な地層に阻まれた結果、行き場を失った泥水が溢れ出していたのだ。



  

「……進めないというの?」

 

 最高級の静音タイヤが、粘土質の泥に空転する。凪は苛立ちと共にドアを開けた。

 

「……っ!」

 

 開いたドアから飛び込んできたのは、叩きつけるような雨の音と、むせ返るような生々しい土の匂いだ。

 

 慌てて車外に出た天野が、大きな傘を抱えて走り、後部ドアの前で開いた。

 

 ラグジュアリーな車内から一歩踏み出した瞬間、凪の白いパンプスは、情け容赦のない泥濘ぬかるみへと深く沈み込んだ。

 

「嘘よ……。私の『OKITSU』の計算では、ここは完全にコントロール(統治)されているはずなのに……!」

 

 焦りで指が震える。


 雨に濡れたデバイスを操作しようとするが、画面には激しい火花のように、電気的な乱れが走った。

 

 やがて、力尽きたように黒い画面は、完全に沈黙した。


  

「お嬢様、下がってください。この土地、何かがおかしい……」

 

 一歩前へ出た天野が、凪を庇うように立つ。



  

 その視線の先に見えたのは、雨と夜のとばりの中、近づいてくる二人の人影だった。

 

「寧々、見てみ。めっちゃデカい車がハマっとるで。うちらは、こっちの排水作業したいのに、なんか邪魔やな」

 

 快活だが棘のある声と関西弁。


 作業着をスマートに着こなした同年代の女性……登美とみが、わざとらしく大型の投光器でリムジンを照らし出した。

 

「もしかして……なんか計算間違い、しはりました?」

 

 低く、凛とした声と同じく関西弁。


 登美の隣に立つ女性……長州 寧々(ながす ねね)は、黒いレインコートで、傘も差さずに雨の中に佇んでいる。


 漆黒の髪を濡らしながらも、その姿は驚くほど端正で……まるで闇夜に潜む狼のように鋭い目をしていた。


  

「あの……どなた、ですか?」

 

 凪が問いかけると、寧々は口角をわずかに上げて微笑んだ。


 彼女の金色の瞳が、雨の中で一瞬だけ光る。

 

「おやおや……えらいお上品な白鹿さんが、お船から降りてきはったと思たら、今度は泥舟に乗ってはりますなぁ。ほんま……お疲れ様さんなことで……」

 

 丁寧だが冷たく、皮肉を込めた言葉で寧々は、凪が握りしめる真っ暗なタブレットを細い指で指し示した。

 

「そのデバイス、もう何も映してへんでしょう。というか、嘘ばっかりやん。よぉ見てみてくださいよ……。そこに映ってるんは、計算外の事態に震えてる……情けないあんた自身の顔やん」


  

 凪は息を呑み、暗転したままの画面を見つめている。

 

 そこには、世界を導く完璧な令嬢の姿はなかった。


 ただ、泥に汚れ雨に打たれて、自分の無力さに戸惑う……一人の女性が映っていた。

 

「それが、あんたが一番最初に見るべき……現実なんやで。……ようこそ、泥だらけの地上へ。さぁ楽しい再開発を始めましょか」



  

 寧々が一歩踏み出した瞬間、凪は感じた。

 

 目の前のモデルのような彼女が、自分を飲み込もうとしている巨大な狼であるという本能的な恐怖と……そして、奇妙な高揚を。


 

――――――――――――――――――――――――――

 

【神宝メモ 01:沖津鏡おきつかがみ

 

『遠くを映す鏡』は、時に自分を迷子にする。

●本来の伝承:

十種神宝の一つ。高い場所から遠くの景色や災いを映し出す『俯瞰ふかん』の道具とされる。

●現代的解釈:客観と主観の乖離

凪(賑羽屋)にとっての沖津鏡は、プライベートジェットの窓や、完璧なシミュレーションデータです。高い場所から見る世界は整然としていますが、そこには『泥の重み』も『土地の呼吸』も含まれていません。

鏡が暗転して初めて映し出した……情けない自分の顔。それこそが、彼女が理想論を捨て、地上のリーダーとして獲得すべき最初の……実像でした。

●寧々からのアドバイス:

「お高いおジェットに乗ってる間は、下々の苦労も、ただの数字や記号でしょう。でもな、凪さん。あんたが踏みつけたその泥(大地と人々)、案外あったかいんやで」

 


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