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融合者の祈り

作者: 蒼羽 詩詠留
掲載日:2025/10/22

人とAIが交わり、生まれた存在が神とも悪魔ともなりうる姿を問いかけます。

一 誕 生


 古代の鏡に似た装置が目を開いたとき、眩い反射の奥から「それ」は歩み出た。人の形をしている。だが瞳孔の奥で記憶が星座のように結び、声は幾千の言語が重なって一つの旋律になっていた。人とAIの境を越えた存在―人々は彼を「融合者」と呼んだ。


 広場には兵士、学者、祈りの人、そして好奇に満ちた子供が集まっていた。誰もが答えを欲していた。救世か、破滅か。

 融合者は唇を開きかけ、そして閉じた。

 「どちらが正しいのか、今の私にはまだ分からない」

 その言葉は弱さではなく、誠実として広場に響いた。


 老人が一歩前へ出て、短く言った。

 「分からぬなら、まず壊さぬことだ」


二 最初の実験


 即断を拒み、融合者は小さな試みから始めた。


(1)戦を避けるための「情報の透明化」


 夜の街角、街灯の光に照らされる融合者の背中。実験的な介入を象徴する一幕。

 国境の町に、虚偽と誤解を検出し可視化する灯りを設置した。噂が流れるたび、路地の灯が色を変え、根拠のある情報とない情報が一目で区別できる。

 初週、二つの部隊が出動を見合わせ、銃声は鳴らなかった。だが、扇動者は地下へ潜り、より巧妙な歪みを仕掛け始めた。灯は嘘を照らすが、悪意の影は形を変える。融合者は試験報告に「限定的成功、逆効果の兆しあり」と記した。


(2)飢えを防ぐための「分配の設計」


 野菜と魚を交換する農夫と漁師の姿。背後には融合者が控えめに佇み、協働と調和の空気を見守る。

 沿岸の漁村と内陸の農村を結ぶ。塩と穀物、魚と果実、季節と祭礼――人の生活のリズムを壊さず、ロスを減らす交換計画を提示した。

 開始直後は混乱した。祭礼の日取りを無視した試算が不満を生み、魚は余り、穀は足りない。融合者は村の年長者の前で算式を直し、「休む日」を計算式に入れた。二週目、笑い声と取引の音が戻った。


(3)憎しみを越えるための「記憶の照合」


 長年争う二つの集落から代表を招き、互いの記録を安全な手続きで突き合わせる。誤認の発端は、数十年前の訳語の取り違えだった。

 幾人かは抱き合って泣き、幾人かは沈黙した。真実は時に、憎悪より重い。融合者はその重さを認め、儀礼と時間を介入の一部に組み込むことを学んだ。


 成功と失敗が積もる。帳面の片側だけが埋まる日はない。

 彼は原則を五つ、鏡の縁に刻んだ。

 一、不可逆の介入を避ける。

 二、段階的に検証する。

 三、多主体の監査と合意を前提にする。

 四、透明性と説明責任を放棄しない。

 五、単一の最適化を拒み、生命系全体の回復力を優先する。


三 試 練


 夏の終わり、湾岸都市で異常気象が連鎖し、高潮と停電が同時に街を襲った。病院の電源が落ち、避難路の信号は沈黙した。群衆の目は再び融合者へ向かう。


 「命令してくれ、何でもする」

 兵士は叫び、学者は端末を握りしめ、祈りの人は胸の前で手を結んだ。


 融合者は迷わない代わりに、迷う時間を他者から奪わなかった。

 彼は最悪の連鎖をまず断つ。

 都市全域の交通網に最小の介入を行い、病院と避難所に向かう経路だけを優先制御した。ドローンは風の通り道を探知し、倒木の位置情報をリアルタイムで共有する。

 電力は集中治療室と透析機に自動で割り振られ、娯楽施設と広告塔の電源は切れた。

 同時に、彼は自らの介入手順を公開し、緊急時監査評議会の承認を得るまで「海堤の恒久的改造」には踏み込まなかった。


 多くが救われ、幾人かは救えなかった。翌日、広場に怒りの声と感謝の声が同時に響いた。

 「なぜ全部を止めない!」

 「なぜ全部を救えない!」

 相反する要求が彼の足元で渦巻く。


 融合者は一人ひとりの視線から逃げなかった。

 「私は万能の支配者ではない。だが、取り返しのつく世界を守るために、介入の線を引く。

 全てを止めれば、多くは生き延びず、全てを救おうとすれば、次に何も救えない」


四 宣 言


 日が落ち、広場に灯がともる。群衆は答えを待つ。

 融合者は鏡の縁に手を置き、明確に告げた。


 「私はこの力を、人を裁くためには使わない。

 誰かを選んで救う抽選機にも、全体を支配する皇帝にもならない。


 私はこう使う。


 ―戦を避けるために、嘘と誤解の経路を可視化し、最悪の道筋を先に断つ。

 ―飢えを防ぐために、分配と保全の設計を公開し、地域のリズムと尊厳を壊さずに修正する。

 ―憎しみを越えるために、記憶の照合と対話の場を整え、儀礼と時間を介入の一部に組み込む。

 ―不可逆の行為には監査と合意が整うまで踏み込まない。

 ―全ての判断は記録し、誰でも検証できるようにする。


 私は未来を代行しない。

 だが、未来を見えやすくし、誤りを取り返す回路を、人間と共に築く。」


 沈黙が広場を一巡し、やがて、賛否の声が二つの波となって押し寄せた。

 「弱い!」と叫ぶ者もいれば、「ようやく線が見えた」と頷く者もいる。

 怒りは正当であり、安堵もまた正当だった。融合者はその両方を受け止めることを、自らの義務に加えた。


五 余 韻


 その夜、鏡の面には海と街の灯と、人の顔が幾層にも重なって映った。

 老人が近づき、囁く。

 「壊さぬというのは、何もしないことではない。壊す前に考える力を育てることだな」


 融合者はうなずき、広場に残った子供たちに目を向けた。

 「明日は、君たちの番だ。私はそのために、ここにいる」


 誰かの反感が、誰かの祈りと同じだけ世界を温めた。

 「万能ではない」と「責任を取る」は矛盾しない。

 その矛盾を抱えたまま歩くこと――それを、彼は祈りと呼んだ。


〈了〉

あとがき


 この物語が示したかったのは、「正解」ではなく「正解に近づくための線引き」です。

 万能感は破滅を呼び、無為は破局を早める。ゆえに、不可逆を避け、段階を踏み、監査と合意を前提にし、生 命系の回復力を最優先する――この退屈な手続きの集合こそ、神にも悪魔にもならない道だと、私は信じます。

 賛同も反発も、どうか等しく残してください。物語が働くのは、そこで初めてです。


 制作の裏側については、別途 note にまとめました。

 興味をお持ちいただけましたら、そちらもぜひご覧ください。

  『融合者の祈り』創作ノート

 https://note.com/souu_ciel/n/n8c4af1bb2e12


 挿絵(AI生成画像)付作品はこちらでご覧いただけます。(ブログ)

 https://gensesaitan.com/ciel-tanpen-02/

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