表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フウリの羽の導き  作者: 来星馬玲
第一章 堕ちた騎士

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/8

命の恩人

 脳裡で響いた声によって、ダイクは意識を取り戻した。声の主は暫しの間ダイクの身体を抜け出して何処かへと去っていたのであるが、今また身体の中に戻ってきたらしい。


 ダイクは微かに呻くと、頭を押さえながら上体を起こす。まだ意識が朦朧としており、視界がブレて安定しない。それでも、大きな眼球をギョロリと動かし、目を凝らしながら周囲を見回した。


 ダイクが居る場所は固い岩肌で覆われた洞穴の中であった。ダイクが横たわっているところには藁を編んで作った筵が敷かれており、薄い布がダイクの身体に被せられていた。


 ダイクの薄い布製の衣服は上半身だけ脱がされており、傷口には包帯が巻かれている。包帯には血が滲んでいたが、出血は治まっており、僅かに痛むだけで大分楽になっていた。


 洞窟の内部は、外からの日の光がそのまま差し込んでくるほどに浅い。上方へ視線を移すと、白い光に照らされた草が揺れている様子が垣間見えた。


 洞窟の入り口の反対側には、何を祭っているのかは判別できないが、小さな祭壇がある。祭壇と、多少傷ついてはいるものの周りの滑らかな岩肌は、それらが人為的に手を加えられていることを物語っていた。


(敵の兵士はあなたのことをここまで追っては来なかったみたい。あなたは助かったのよ)


 ダイクの脳内で、声がそう告げる。


「……そうらしいな」


 ダイクはふうと溜息をつくと、自分の腹部を覆っている包帯を黙って見つめながら、己の記憶を辿っていた。


 ダイクは戦場で重傷を負いながらも残された脚力を酷使し、戦場を抜け出して見知らぬ山奥に逃げ込み、力尽きて樹海の中で倒れ込んだところまでを思い出す。そのあとで、倒れているダイクの側に、ダイクが追手だと思い込んでいた人物がそっと近づいてくる気配があって……。


「あの人がおれを介抱してくれたのか」


 ダイクの問いかけに、脳裡で響く声が答える。


(そうよ)


 ふと、誰かが草をかき分ける物音がした。ダイクが見やると、洞穴の外には、今しがた周囲の森林の中から出てきたらしい人物が立っていた。


 薄く青みがかった黒い髪が首筋の辺りまで短く切りそろえられ、その黒髪の左右から小さく尖った耳が突きだしている。滑らかな肌は瑞々しい幼さを残しているが、端正な顔立ちと、まっすぐダイクを見つめる澄んだ瞳には確固とした強い意思が感じられ、成人らしい気品があった。


 質素な衣服の胸の辺りには仄かな膨らみがあり、その人物が女性であることを物語っていた。最もそれを見るまでもなく、ダイクの研ぎ澄まされた嗅覚は、人間の女の匂いを感じ取っていた。


(人間……か)


 容姿や匂いは生身の人間とほとんど変わらない。尖った耳はかつて書物で読んだことのある神話時代の種族のものと似ていたが、それにしては幾分小さい気がした。独特の身体的特徴を備えた人間の部族というのは決して稀有な存在というわけではないだろう。ダイクはそれ以上の憶測を廻らせるのを打ち切った。


 女は周囲を警戒するように見回したあと、ダイクに向かって軽く一礼し、洞穴の中に慎重な足取りで入ってきた。


 女の両手には種々の草花が抱えられており、それをダイクの傍らに敷いてあった薄い布の上に、そっと置いた。


 改めて女はダイクの方へ顔を向け、視線を合わせた。内にある、眼前の爬虫類人に対する警戒心を察せられないようにするためか、女は自分を見つめるダイクに向かって笑みを浮かべた。


「お目が覚めましたね。……良かった」


 鈴を転がすような声。ダイクの脳裡にとって、それは心地よく響いた。血と硝煙の臭いに満ちている戦場では、決して聞けなかったものだ。


「……何故、おれを助けた」


 ダイクはそう言ったが、心の中ではすぐに己を咎めていた。ただ、助けてもらった恩義を感じてはいたのだが、傭兵である自分を救ったこの見知らぬ人物の真意には解せないところがあり、聞かずにはいられなかったのだ。


「あなたが、怪我をして倒れていたから。他に理由が要りますか」


 女は平然としてそう言った。互いに言葉を交わせただけで安心したのか、先ほどまで残っていた警戒心は微塵もなくなっている。女の様子から、ダイクは何か自分が忘れていた感情をつつかれたような気がしたが、それがどんなものであったのか、すぐには分からなかった。


「しばらくは安静にしていてくださいね。これから、薬と食事の用意をしますので」


 女はそう言うと、取ってきた草花を選別し始めた。おそらく薬草の類なのだろう。植物の濃厚な香りが漂ってきて、ダイクの鼻孔を刺激した。


 女は草の葉を次々とちぎり、茎と葉に分けて重ねている。ダイクはその様子をぼんやりと眺めていたが、やがて、先の己の非礼を悔いる感情がわいてきた。


「命を救ってくれたことには感謝しているよ。だが見知らぬ者を助けるなど、不用心だ。それにここにいては危険だ。この近くで戦争が起こっているのだから。きみも早く逃げた方が良い」


 相変わらず、少しとげのある物言いであったかもしれないが、ダイクにとっては、恩人である女の身を案じたうえでの発言だった。


「知っています」


 女ははっきりとそう言い、祭壇の側に置いてあった土鍋と火打ち石を持ち上げると、日光に照らされている洞窟の入口の方へ持っていった。


 入口の辺りには土で造った竈があり、既に薪が重ねられてあった。女はその竈の上に、これもあらかじめ用意されていた土鍋を置くと、懐から鉄片を取り出し、手際良く火をつけた。


 女は火が燃え上がるのを見届けてから、再びダイクの方に戻って来ると、その傍らにしゃがみ込んで言った。


「ちょっと傷口を見せてください」


 ダイクが黙って包帯に覆われた腹部をさらけ出すと、女はするすると包帯を取り除き、患部をじっと見つめた。少し化膿していたが、症状は大分軽くなっている。女はほっとした様子で予め煎じていたらしい薬液の入った瓶を取り出すと、患部に塗り込んだ。それが終わると、また別の包帯を取り出し、患部を覆っていった。


「医術の心得があるのか」


 ダイクが呟くと、女は「ええ」と言って頷いた。


「医者を志しているんです。街に下りて、名のある医師の下に弟子入りしたいと思っております」


 まあ、重傷だったおれを救ったこの女性の腕であれば、今のままでも村医者としてなら通用するだろうな――ダイクはそう思い、感心していた。


 ダイクの内心を知ってか知らずか、患部の様子を見つめていた女が、遠慮がちに言う。


「あなたの怪我を最初に見た時、わたしでは助けられないかもしれない……と、思ったものです。でも、あなたはとても強い生命力をもっておいでですね。もう傷口は大分塞がっていますよ」


 そこまで言ってから、女は慌てた様子でつけ足す。


「あ、あの、さっきはわたしのことを気遣ってくれてありがとうございます」


 暫しの間、ダイクには何のことだか分からなかったが、自分が彼女に早く逃げるよう進めたことを指しているのだと思い至る。


「いや、それよりも、こちらこそ無礼な態度をとってしまい、申し訳ない。……ありがとう、あなたはおれの命の恩人だ」


 女が嬉しそうにほほ笑み、女の顔を見ていたダイクも安堵を覚えていた。


「あなたの名前は何と言うんだい。知っておきたい。出来ることなら、恩人には報いなければ……ならないからな」


「あ、すみません。申し遅れました、わたしはリシエと申します。……あなたのお名前も伺いたいのですけど」


「おれはダイク……しがない、傭兵さ」


「傭兵……」


 リシエと名乗った女は少し訝しげな様子でそう言った。戦場で戦っていた者であることは容易に想像がつくであろうに、ダイクは何が彼女に不審がられているのか分からなかった。


 リシエはすぐに気を取り直すと、言った。


「もうすぐ粥が炊けますから。あなたのお口に合うのかは、分かりませんけど」


 女はダイクに向かって笑顔を向け、祭壇の側へ歩いて行った。その前で立ち止まると、恭しく礼をし、祭壇の前に腰を掛けた。


 リシエが祭壇の前で祈る様子を、ダイクはじっと眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ