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フウリの羽の導き  作者: 来星馬玲
第一章 堕ちた騎士

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落ち延びた傭兵

 漆黒の闇夜に染められた木々の葉の合間から垣間見える月が、妖しく揺らめいた。落ち葉に覆われた獣道に仰向けになりながら、その爬虫類人は月の光に照らされている葉を、ぼんやりと眺めていた。その瞳には疲労の色がありありと浮かんでいる。


 腐った落ち葉と、己の脇腹のあたりからどくどくと流れ出ている血の臭い。それらが入り混じった空気を、己の鼻腔に取り込む。爬虫類人は何度もその動作を行うことで、自分がまだ生きている証を認識し、生にしがみつこうと必死になって深呼吸を繰り返した。その度に傷口が開き、そこから激痛が奔ったが、疲弊した身体の要求する呼吸を止める理由にはならない。


(あなたは本当は死にたくないのね)


 爬虫類人の脳裡で響いたのは、今となっては聞きなれた声。妙齢の女性を思わせる、柔らかさがある。


 爬虫類人は鱗に覆われた腕を腹部に廻し、掌を傷口にあてがった。かぎ爪を備えた指の間から、血液が流れ出る。


(いつ死んでも悔いはない、死に場所を追い求めている。……と、あなたは言っていたわね。でも、今のあなたは死を恐れている。生きたい、生き延びたいと強く願っている。……ねえ、ダイク)


 ダイクと呼ばれた爬虫類人は、苦し気に開いている薄眼で、朧げな月の輪郭を見据えている。 視界がブレ、暗緑の葉の動きが幾つも重なって見えていた。


「……そうだ。おれは死にあらがっている。だが、もうじき追手もやって来るだろう……諦めるのにちょうど良いかもな」


 ダイクはそう言うと、げほげほと咳き込んだ。口からごぼりと血を吐き出す。内臓が傷ついているのだろう。


 かつての地位を失い、傭兵に身をやつしてからのダイクの日々は、戦に次ぐ戦であった。


 世間では野蛮で卑しい種族として忌み嫌われている爬虫類人であるが、発達した筋肉と下手な鎧よりも頑丈な鱗を持ち、人間などよりも遥かに強い生命力を持つこの種族は、戦の兵力としては重要視されている。特にトカゲ型の爬虫類人は機動力に優れ、ダイク自身、幼少より培った剣の心得も十分にあり、傭兵になるのは容易いことだった。


 無論、金さえ貰えば死をも恐れない戦士として前線に赴き、敵兵を殺すことが前提であるが。


 信念も何もない世捨て人である自分が、国のため、家族のために戦っている者を大勢犠牲にして生き延びてきた。これまで、ダイクは、共に戦った友軍や、己が斬り捨てた敵対者たち……数多くの者たちの死に様を見ている。その時のダイクの眼差しは酷く冷淡なものであった。


 こうして己が死の淵へ追い込まれて初めて、彼らも生きるために戦っていたのだということが真に理解できる。誰も、死ぬために戦場へ赴くわけではないのだ。


(そうよ、ダイク。何故、あなたはそんな当り前のことに気づかないで……いえ、気づかないふりをしてきたの?) 


 ダイクはそれに答える気はなかった。黙って眼を閉じ、苦痛に堪えながら追手が来るのを待った。


(わからない? ……あなたは自分に嘘をついて生きてきたからよ)


 わかっているさ……と、己の脳内で相槌を打つダイク。声に出さなくとも、この相手には何もかもお見通しであろうこともまた、理解していた。


 だが、もう全てを諦めるしかない。


 先の負け戦で、重傷を負いながらも追っ手を撒き、この森の奥深くまで、己に残された脚力を振り絞って逃げてきた。やがて力尽き、その場に倒れ込んだ。


 ……万全は尽くしたのだ。ならば、もう黙って己の運命に準ずるしか道はない。


 草を踏む音がした。誰かが慎重な足取りでこちらに近づいている。ダイクは観念せねばな……と、怯えの色が顕わになっている自分に言い聞かせた。こちらに抵抗する力が残っていないと知れば、相手はすぐに止めを刺すだろう。


(諦めるの、ダイク。あなたは生きたいはずよ)


 今更、この声は何を自分に求めているのだろう? その疑念は、どのみち助かる見込みがない者にとっては、些細な問題だった。


「生きたいさ。……でも、もう無理だ」


 ダイクはそう言うと、目を閉じた。生への名残を思わせる幾つかの過去の情景が脳裡を過ぎったが、ダイクは敢えて何も考えようとはしない。


 僅かな間があった。やがて、声はダイクの脳裡に直接語りかける。


(あなたは助かるわ、ダイク)


「……なんだって?」


 ダイクは思わず聞き返したが、返答はない。何かが己の身体の中から抜け出ていくような感覚がおこり、冷たい空気の流れが足元の方へ向かって流れていった。


 それと同時に、ダイクは唐突な虚脱感に襲われた。これまではあの声の主が、死にかけのダイクの身体を持ち堪えさせてくれていたのだろうか。


 不意に、何者かの息を呑む気配があった。


 その者は足を速め、ダイクの傍らに近づいた。視界がかすんでいるため、ダイクはその者の容姿をはっきりとは視覚できなかった。


 ただ、華奢な身体を質素な薄い布地の服に身を包んだ小柄な人物の影が、視界の隅に映った。敵国の兵士にしては、違和感がある。


 ダイクの傍で足を止め、その爬虫類人の全身を見下ろしている人物が何事かを叫び、それに応えたもう一人の人物が駆け寄ってきた。


 やがて、ダイクの意識は急速に失われていき、相手の姿をそれ以上知覚することもかなわなかった。


 ただ、薄れゆく最後の意識の片隅で聞き取った、ある一つの名前だけがダイクの脳裡に刻み込まれていた。


 その名前は……ヘリオン。

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