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6.森の主

 その日、行商人ビゼーは何時もより短い日程でムサンへと到着しつつあった。彼の拠点はガストン南東部に位置する王国の飛び地の港町ニウラ。通常そこからムサンへの旅程は半月程。これは賊などの襲撃や砂嵐を見越しての日数なので、今回のように特に何も起きなければ三、四日は短縮される。ニウラからムサンまでのうち三分の二程は、ガストンヴィルへと直接向かう護衛隊付きのキャラバンに同行するのでそこそこ安心できるのだが、彼らと別れた後の残りの道程は、通い慣れているとは言え緊張の連続だった。しかし、砂煙の向こうに鬱蒼としたフロイの森が目視出来るあたりまで来ると、気を抜くとまではいかないものの安堵の溜息をつい洩らしてしまう。特に今回のように護衛も同行の商人もいない単独行の場合は尚更であった。



 ビゼーは元々はガストン地付きの商人ではない。冒険家時代に一山当てた資金を元手として、王国最大の海洋都市ラージュを本拠に、ニウラ、そしてガストンとアサン帝国を隔てるように流れる大河キルシュナの河口に浮かぶ島にある自由都市ツォレルンを行き来する名うての海洋商人であった。

 自前の大型商船を繰り出し順調に航海を繰り返していたある日、ツォレルンの沖合いを航行中に突如現れたアサン帝国の艦隊からの一方的な攻撃にあい撃沈。瀕死の重傷を受けるも何とか救助艇に転がり込んで漂流していた所を、応戦するために駆けつけた王国白鯨艦隊に救助される。そのままラージュへと搬送されるも怪我の状態が思わしくなく、当時ラージュ一の名声を誇っていたクリスの師匠の診療所へと運び込まれ、そこでクリスの治療を受け一命を取り留める。

 しかし虎の子の商船を失ったビゼーは積荷の弁済等の膨大な負債を抱え、新たな商船を購入することもままならず一旦店ををたたむこととなった。負債は航行権や各地の商館の売却益で何とか穴埋めすることが出来たが、元手を失い従業員達も離れてしまった為手広く動くことが出来なくなり、止む無くラージュで細々と小売商を営んでいた。

 その後ようやく軌道に乗りかけ再び手を広げようと思っていた矢先、今度はラージュの乱によって彼を取り巻く情勢が大きく変わってしまう。王都からラージュに乗り込んできた宰相派の商会が新たなギルドを立ち上げ利権を占有、既存のギルドを締め出しにかかる。既存のギルドの一員で海洋商時代に旧ラージュ公爵家とも取引のあったビゼーは締め出しの対象となり、宰相派の影響力の弱いニウラへと居を移すこととなる。

 二度の挫折で自暴自棄気味になってしまったビゼーは、店を構えることもせず、ガストンとニウラを行き来する一介の行商人としての日々を送っていた。この頃の彼は何時命を落としてもおかしくない無謀な日程をこなしていたらしい。昔の彼を知る行商人仲間はビゼーが再起のための資金を闇雲に稼ごうとしているのだろうと静観していたのだが、その実彼は稼いだ金の殆どをラージュを離れる際に残してきた妻子の元へと送っており、何時まで経っても店を構えることも手を広げることもしなかった。


 そんな綱渡りのような生活を続けていたある日、ガストン評議会からの依頼品を届けにガストンヴィルの領主館を訪れたビゼーは、そこに居合わせたウィルフォードと出会う。ツォレルンの沖合いで救助されて以来の再会である。そこでウィルフォードから久しぶりの再会だからと近くの酒場へと誘われる。断る理由もないビゼーは喜んでウィルフォードに付き従った。

「少し引き締まったというか線が細くなったというか…噂では色々と苦労したという話も聞いているが?」

「そうですね…色々ありましたが…。ウィルフォード殿や皆様方のご苦労に比べれば私など大したことはありませんよ」

「いやいや…まあ、お互い無事にこうして再び出会えたことは喜ばなければ」

「ええ、その通りですな」

 その後はそれぞれの近況やガストンの情勢など四方山話に花が咲き、話はいつの間にかビゼーが助けられた際の思い出へと移ってゆく。

「ところでウィルフォード殿。クリスさんの消息はご存知でしょうか?」

 ビゼーにとってクリスは命を救ってくれた恩人である。自分の商会を畳んだ後だったので余裕があるわけではなかったが出来る範囲で援助をし、その交誼は彼がサーラと片田舎へと駆け落ちた後も続いていた。しかしラージュの乱でクリス一家が突然姿を消して以降はビゼー自身のゴタゴタもあり行方は知らず終いであったのだ。

「ん…?そうか…そなたの元には話は伝わっておらんか…。実はな…」

 ここでビゼーは初めてクリス一家を襲った悲劇を知る事となる。そしてその後サーラとナジャもこのガストンヴィルに逃げ延びてきていたこと、最近サーラがムサンの村へと隠遁したことなどを聞くうちに、それまで少々俯き加減で葉巻をふかしながら話していたウィルフォードが、いつの間にか灰皿に葉巻を置き居住まいを正してビゼーの方を向いている事に彼は気付いた。

「で、だ。実は今日私がそなたと出会ったのは偶々ではない。そなたが領主館に納品に来るという話を聞いて待っていたのだ」

「…何か私に?」

「ああ。ひとつ頼まれて欲しいことがあってな…」

 ウィルフォードは、異種族との融和政策の一環として彼らとの交易が各地で始まっているという話をし始めた。その話は行商人であるビゼーの元にも勿論伝わっては来ていた。そしてガストン評議会としては、サーラを通じてフロイの森のエルフ族と交易を始めたいものの、ムサンには信頼できる交易商人が定期的に出入りしていないので話が進んでいないらしい。

「そこで私にその役割を担えという事でしょうか?」

「まあ早い話がそういうことだ。そなたであればサーラとは旧知でもあるし、商人としての信用も申し分ない」

「いやいや、私は取るに足らない一介の行商人ですよ」

「何の何の、帝国の馬鹿のせいであのような事になったとは言え、一代であそこまで上り詰めたのは紛れもなくそなたの実力だと思うが…」

 勧誘のためではあろうがここまで正面から自分を持ち上げる言葉を聞かされたビゼーは、気恥しげな表情を浮かべながらも、それでも素直に受け止められない気持ちをポツリポツリと吐露した。

「…昔の私であれば喜んで飛びつくような話ですが、正直今の私には荷が重過ぎます。手を広げるとまた何かよからぬことが起きるのではないかと…。今はそれをも乗り越えて何かをしようという気力などはもう持ち合わせていないのですよ…」

「しかしエルフ族との取引はそんな大規模のものではないぞ。先の評議会で挙がった試算からしても…」

「ええ、確かにそうでしょう。交易が軌道に乗る保証もない。それこそ大店よりも私のような個人で動いている商人向けの交易ですね。身軽に動けますからリスクの回避もしやすい」

「うむ。そうであればやはり…」

「続きがあります、ウィルフォード殿。…我々商人にとってこれはただの小さな交易だとしてもあなた方統治者側が考えておられる意味合いは違う。フロイのエルフ族といえばガストン領内において最大の勢力を誇る異種族。もし交易が続くならば、その後は人材交流、さらには共同統治などという話も出てくる可能性もある。そうであるならばこの交易は単に取引量の大きさでは測れない。例え細いパイプでも、政治的な意味合いにおいては今後の辺境領の行く末を左右するかもしれない太いパイプとなるかもしれない」

「………」

「今の私は自分を背負うので精一杯です。これ以上何かを背負うのはもう疲れました…こんな私にそのような大役の一端は務まりません」

 背筋をぴんと張って軍人らしい居住まいでじっとビゼーの言葉を聞いていたウィルフォードは、申し訳なさそうに頭を下げるビゼーをじっと見つめていた。


 灰皿に置かれたままのウィルフォードの葉巻の火はいつの間にか消えており、それでも気にせず葉巻を銜えるウィルフォード。その口から吐き出されたのは煙ではなく只の溜め息。葉巻を再び灰皿に置いた彼は先程よりも少し砕けたような雰囲気でこう切り出した。

「頭を上げてくれないか、ビゼー殿。…実は私もこの話をするのはあまり乗り気ではなかったのだ」

「え……」

「実際評議会でもヴィルの大店の一つに任せようかという話で纏まりそうだったんだが…」

「でしたら…」

「続きがある。実は…是非そなたをというサーラメルジュ様からのご要望があったのだ」

「えっ?サーラさんが…ですか?」

「ああ。サーラメルジュ様はとある事情からヴィルの商人共の事を快く思っていない。更に今はあまり見ず知らずの者との接触は避けたいようでな。そこで旧知の商人ということでそなたの名前が挙がったんだ」

 それを聞いて若干戸惑ったような表情を見せるビゼー。てっきり自分を指名したのはウィルフォードか彼のことを知るガストン評議会の誰かだと思っていたのだ。

「しかし…」

「聞いた話だとそなたはクリス殿とサーラメルジュ様がラージュの街を離れた後も色々としてくれていたそうではないか」

「いや…私は普通に必要とされていた物を届けていただけですから」

「それこそだ、ビゼー殿。世間だの中央だの色々な視線を意識するあまり、他の連中はその普通のことすらしなかった。斯く言う私もランドルフ様の命で家を用立てることぐらいしかお役に立つことは出来なかったよ。その点そなたはそういった事に構わず〝普通に〝クリス一家の為に動いてくれていた」

「まあ、あのときの私は…それ程しがらみの有る立場ではありませんでしたし……何よりクリスさんに救って頂いたような命ですから…出来る限りのことはしようと…只それだけでした」

「サーラメルジュ様もそなたのそういったところを見ておったのだろう。だからそなたならと…。改めてお願いする。どうだ、この話是非引き受けてはくれまいか?」

「………」

 テーブルに両の手をつき、頭を下げるウィルフォード。今の自分はそんなことをされる価値の有る存在ではないとビゼーは思いつつも、在りし日の一場面が頭を過ぎる。


 片田舎の小さな診療所で歩くようになって間もない我が子を愛しむ若い夫婦。放っておけばどこまでも歩いていってしまいそうな幼な子を抱き上げながら、そのエルフ族の若い医者はビゼーに言う。

「こんなに愛しいのに、こんなに健気なのに……どうして人々は混ざり物などと言って忌み嫌うのでしょうねえ。僕と妻の間にこの子が生まれた。即ちそれは人族とエルフ族が交配して子孫を残せるということ。これこそこの世界が我々を同じ存在として捉えている事実。エルフ族だろうが人族だろうがこの世界にとっては同じもの…。僕にはそう思えるんですよ」

「……」

 穏やかに、そして毅然と言い切った彼の傍らには、そんな夫の姿を微笑ましく見つめる人族の女性。ラージュの領主館にいた頃垣間見せていた激しい直情は影を潜め、夫と同じような穏やかさを身に纏っている。

 どこにでもありふれているささやかな幸せを謳歌する家族の風景。そして二度と見ることが叶わない風景。

 

 その一片を形造っていた、ビゼーの恩人である若い医者は戦乱に巻き込まれ命を散らした。そして残された親子は結局、人目を避けるように小さな村へと去っていった。


 ビゼーは心の内で自問する。恩人の残した大切な家族からの願いを自分は聞き届けなくていいのか?自分は本当に何も出来ないのか?今の自分は本当にそれすらも出来ないほど堕ちてしまったのか?


 そして次に浮かぶのはこんな風景。

 ラージュの街の片隅で帰ってこない家主を待ち続けているであろう母と子達。自分が愛した妻子。最後に見たのは、泣き続ける姉弟を両脇に抱えて無理矢理作ったような気丈な顔で自分を見送る我が妻の姿。そしてそれを諦めた顔で一瞥して無言で立ち去る自分。


 自分は逃げた。逃げ出した。自分の意志ではなく別離させられたクリスと違って、自ら手の内にあったささやかな幸せを放棄したのだ。

 そして逃げ出した自分が没入しているのは、正直傍から見れば無謀ともいえる日程をこなす行商の日々。それは別に何時命を落としても構わない諦めの気持ちの表われでもあり、更に言えばラージュに残してきた家族への後悔の気持ちから逃げるためのものでもあった。ラージュを去る際に家族に残した金は子供達が成人するまでの生活費としては多過ぎる位の額である。今自分が命を落としても家族が路頭に迷うことはないだろう。そんな気持ちでビゼーはずっとこのガストンの荒野で行商を続けてきた。

 でもこの命は元々クリスや今目の前で自分に頭を下げ続けるウィルフォードに助けてもらったもの。その恩人、そして恩人の家族が今自分を必要としてくれている。ならば、せっかくもらったこの命、無駄に散らすぐらいなら彼らの為に役立てるのが筋道というものではなかろうか。今まで忘れかけていたそんな想いが心の中に広がっていく。…そして、こうしてクリス一家のことを考える内に顔を覗かせるもう一つの想い。ずっと押し殺してきたそれは……もしまだ自分を必要としてくれているのであれば、もう一度あの家族というささやかな幸せを身近に感じてみたいという想い。


 結局その日ビゼーはウィルフォードに明確な回答を返さなかった。暫し考えさせて欲しいと言って常宿へと戻っていった。ビゼーの表情を見たウィルフォードは何故か笑みを浮かべていた。

 そして数日後。ビゼーは領主館を訪れて交易の仲介を受諾する旨を伝え、その足でラージュに残した妻子を迎えに行くべく王国へと旅立ったのだった。



 そんな経緯でエルフ族との交易の仲介を担当しているビゼー。目の前にはもう幾度となく訪れた馴染みの景色。砂煙の向こうにぼんやりと広がるフロイの森、そしてその森に寄り添うように佇むムサンの村。

(……ん?)

 その家並みがはっきりと目視できる距離まで近付いたあたりで、ビゼーは自分の前方を歩いている場違いな存在を確認した。

 濃緑の長い髪を風に靡かせて、やはり濃緑の髪の子供の手を引く女性の後姿。一見旅の親子連れのようにも見えるが、それにしては二人共その服装があまりにも、なんというか軽装過ぎる。母親(?)の方はちょっとしたパーティにでも行くのかというような肩まで露出したドレスのような服。少し距離があるのではっきりとは確認できないが、ブーツなどは履いておらず一見裸足の様に見える。子供は女の子だろうか?何だか布を巻いただけのような格好でやはりこちらも裸足っぽい。二人とも服の色は髪と同じような濃緑。

(ガストンでも親子旅は偶に見かけるが…あの格好で護衛も付けず歩いているとなると…ありえん…。ムサンの住人でも村の外へあんな軽装で出歩くものはいないだろう…何だか怪しいな)

 談笑しているのだろうか?たまに向き合いながら仲良さげに歩く二人だけを見ているととても微笑ましい情景なのだが…。場所が場所だけにその微笑ましさは逆に、異常さに一層拍車を掛ける要因となってしまっている。

 前の二人に対してビゼーの進む速度が速すぎるのか距離はどんどんと狭まっていく。ビゼーとしてはこれ迄の経験から接触するのは避けた方がいいと思っているのだが、何故だか歩みが緩まらない。

 更に距離が近くなって遠目にはわからなかったことが見えてくる。母親(?)はかなりのスタイルの良さを誇っており、それは即ち一見してスタイルの良さが認識できるぴったりとしたドレスを身に纏っているということ。子供の方は布を巻いているのではなく母親(?)とお揃いの服を着ているということ。まあ四、五歳ぐらいの子供なので全く色気を感じさせるものではないのだが。そしてやはり二人とも裸足であるいうこと。

(日もあまり高くないこの季節とはいえ、この砂の上を裸足…気違いかそれとも乞食か?)

「気違いだの乞食だの失礼しちゃうわね」

「!!」

 考え事に没入していたためであろうか。いつの間にかビゼーの目の前にその女性はいた。年の頃は二十歳ぐらいか?茶褐色の肌にはっきりとした目鼻立ち。とても美人である。肌の色からして自由都市ツォレルン辺りの出身であろうか?それにしてはあまり見ない髪の色だが。

 それにしても女性が返してきた台詞は一体?…頭の中で思っていただけなのに…思わず呟いてしまっていたのであろうか?

「まあ細かいことは気にしないで」

 まただ。何かがおかしい。まるで心の内を読まれているようだがそんな魔法は聞いたこともないし…自分はそんなに表情に出やすい人間だったか?困惑するビゼーを余所に女性は一方的に話を進めてきた。

「あなた、ムサンに向かうのよね。丁度良いから私達をエスコートして下さる?」

「は?」

 既に目と鼻の先にある村へエスコートとはどういうことであろうか?格好といい言動といいやはり怪しすぎる。しかもあからさまに誘惑するように科を作りビゼーへと更に近付いてくる女性。ビゼーの心の中では警報が鳴り響いていた。

「淑女をエスコートするのは紳士の嗜みではないのかしら?」

「えすこーと、えすこーとー!」

 彼女が連れている子供が何故か嬉しそうに茶々を入れる。ちなみに顔立ちは隣の女性をそのまま幼くした感じ。

「確かに仰る通りですが…。ちなみに私には妻子がおりますので、その、あまり…」

「……ふっ。貴方何か勘違いしてない?」

 急に冷めた口調で言葉を返す女性。さっき迄の蠱惑的な眼差しは一転、刺すような視線をビゼーに投げかける。

「おっちゃん、えっちい?」

 子供にまで同じような視線を向けられたじろぐビゼー。

「いやいやいや!?……わ、わかりました。畏まりました。僅かな距離ですが同行させて頂きます。…で、ム、ムサンには何か用でも?」

「この子が世話になった者がムサンにいるという話を聞いて…祝福を還しに行くところよ」

「しゅくふくー!」

 ビゼーの問いに答えながらも、まるで悪戯が成功したかのようにニヤリと笑いあう女性と子供。そんな二人の様子にも、そして警戒していた筈なのにいつの間にか当然のように二人が同行しているという事実にも気付かないビゼーは、〝祝福〝などという女性の意味不明の言葉にも、はあ、と上の空で返事するのみであった。



 そうこうしている内にムサンの村の入口に到着する一行。門番はビゼーにとっては馴染みのいつもの若者であった。

「ビゼーさん、ようこそ」

「やあ、ご苦労様です。えーと…」

「おやそちらの方…」

 ビゼーが村の門番にこの奇妙な同行者の説明をどうしようか躊躇していると、その女性を見た門番の表情が見る見るうちに強張っていった。

「…も、も、も、」

「も?」

「も、森の主様!!」

「ええ。御苦労様」

「ごくろー!」

 彼女達の労いの言葉に直立不動の門番。何時だったかビゼーが魔獣に追われ、そいつらを引き連れてしまったまま這々の体でここに辿り着いたときですら、この若者にはもっと余裕があった気がする。

「ほ、本日はいかなるご用件で…?」

「この子が世話になった者がこの村に居るらしく、祝福を還しに来たの」

「しゅくふくー!」

「祝福…ですか?」

「そうよ。取り敢えず、誰か呼んで頂戴。サーラが空いてるなら彼女がいいわ」

「は、はい!少々お待ちください!」

 返事するや否や慌てて走り去る門番。状況の掴めないビゼーは呆然とその場に佇むばかりであった。



「せ、先生ー!」

 門番が駆け込んだのはサーラの診療所であった。森の主の指名というだけでなく、主との関わりも含めてフロイの森とムサンの村の交流はサーラに一任されているからだ。村外れにあるサーラの家は村の入口からは少々離れていたが門番は全力で走りきった。

「どうしたんです?そんなに慌てて。」

「森の、森の主様が…村の入り口に!」

「え!?なんで…〝お供え〝はまだ先のはずなのに?」

「それが…それが…主様がおっしゃるには〝祝福を還しに来た〝んだと」

「祝福?どういうことかしら?」

「いえ、それ以上のことは…」

「そう…、わかったわ」


 なるべく早く村の入口へ向かうと門番に伝えたサーラは、眉間に皺を寄せながら達人の部屋へと向かった。

「入るわよー」

 扉を開けたサーラが目にしたのは、木の棒を持って僅かに警戒している風の達人と、その右腕にしがみ付いて不安げな表情を覗かせるナジャであった。その様子から二人が玄関でのやり取りを聞いていたことを理解した彼女は、ナジャの方を向いて少しからかい気味にこう言った。

「ナジャ?どうしたのそんな顔して。あなたが何かしたの?怒ったりしないから正直に言ってね?」

「ふぇ?…何で…わたし?…ちがうよー!こんな時期にいきなり森の主様が来るなんて何かあるのかと思って…だいたい主様に何かするなんてとんでもないよ!そんなこと出来る人はムサンにはいないよー」

「ナジャ?何か、いたずらした?」

「ふぇー!?おにーちゃんまでひどい!!」

 ちょっとやりすぎたかと泣きそうなナジャの頭を撫でて宥めつつ、サーラは再び眉間に皺を寄せる。

「ま、冗談はさておき。確かにいきなり村に来るなんて……何かあるのなら森に呼びつけるのが普通なのに…。大体〝祝福〝って言ってたらしいけどまともに受け取っていいものか…。ま、とにかくあなた達はこの部屋にいなさい」

「…うん」

 まだ眉を八の字にして拗ね気味のナジャの頬に軽くキスをしてサーラは部屋を出た。


「うーん。確か義兄様の話だと、昔アレに〝褒賞〝って名目で手厳しい制裁を受けたエルフがいたはず。今度もそんな所かしら?とにかくアレは常識ってもんが…」

「誰がアレだって?」

「うわっ!?」

 廊下を歩きながら独り言を呟いていたサーラの目の前にいきなり現れたのは〝森の主様〝と呼ばれていた件の女性。連れの子供は腰にしがみついている。

「ちょっと!何勝手に入ってきてるの!?」

「あら、ノックはしたわよ。で、誰がアレだって?」

「…アレ呼ばわりしたのは謝るわよ。でも、ノックしたら普通は返事を待つもんじゃないかしら?」

「だってー、待ってるのかったるいじゃない?だから、入っちゃった。えへっ」

「〝えへっ〝じゃないわよ、クイン!大体村の入口で待ってるんじゃなかったの?」

 クインと呼ばれたこの女性、サーラに対しては随分と砕けた態度である。そしてそれはサーラも同じであった。

「確かに門番の子にはそう言ったけど、よく考えたらあんな所で待たされるのもやだしー…」

「…じゃあ最初からそうすればいいのに。…で、今回は一体どうしたの?プリンちゃんまで連れて」

「サーラママやっほー!」

「プリンちゃんお久しぶりね」

 プリンちゃんと呼ばれた子供は満面の笑みでサーラに手を振る。

「人探しよ。森の耳長からムサンにいるらしいって話を聞いてね、それで来た訳」

「ふーん…でも、プリンちゃん森の外に連れ出すのあんなに嫌がってたのに?」

「今回はこの子が関わってるし、そろそろ外の世界を見せておいてもいいかと思って、ね」

 その時そのプリンが、奥の扉の影からナジャと共にこっそり様子を窺う達人を目聡く見つけ大声を上げた。

「あー!」

「ん?どうしたのかしら、プリン?」

「あのにーちゃんだよ」

「え…」

 いきなり指名された達人。隣のナジャは慌てて達人の陰に隠れた。

「ふーん、そう。これはこれはウチの娘が世話になったようね…」

 ニヤリと意味深な笑みを浮かべながら達人へと近付いてくるクイン。彼は訳もわからずただ立ち尽くすのみであった。





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