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4.目覚め


 彼、生野達人がこの世界で意識を取り戻すのはこれが二度目である。しかし一度目、それはコッドに発見される一日前のことであったが、その時のことは彼の中では今はまだ現実として捉えられてはいないようであった。そして二度目の目覚めを迎えた今も、混濁する記憶と、彼が過ごしてきた世界とは異質な空気感に戸惑いを覚えるばかりで、彼の自意識はこの状況を再び夢のなかであると認識付けようとしていた。


「×××××××?」

 誰かが何か話しているような声が聞こえる。しかしその言葉は全く聞いたことのない言語で、彼には理解できるものではなかった。

 意識が少しずつ明瞭になってくる。目蓋を開いてみるとそこは覚えのない景色だった。木板の天井が一番に目に入ってきたということは、ベッドか布団か何かに寝かされているようである。そういえば柔らかいものに包まれている感触もある。しかし何故そんな漠然とした表現かというと、体をこれ以上動かすことが出来ないのだ。何かで四肢を拘束されているわけでもないようだし、痛めて動けないのとも違う。もっとこう体の内側から制御されているような…

「×××」

 また声が聞こえる。女性のようだが相変わらず言っていることは意味不明である。しかも身動きできないため声の主は視界に入ってこない。扉を閉める音と足音、あっ…多分コケた。

 達人は今の自分の状況を整理してみようと思うのだが、判断材料の少なさと、未だに混沌から這い出せないような自意識にそれも儘ならなかった。


 そんな中、暫しの静寂の後、複数の近づいてくる足音と扉が開く音、こちらへ更に近づいてくる気配。達人は動かない体を強張らせた。

「××××××!」

「××…×××××」

 入ってきたのは話し声からして女性二人のようだった。

「××ーユーアンダスタンマイランゲージ?」

「………!」

 一人の女性から発せられた言葉に達人は反応した。声の響きの変わり具合からして、自分に向けられた言葉らしい。理解できない言語が飛び交っていたせいで、うっかり聞き過ごしてしまうところであったが、それは先程の理解不能の言葉ではなく達人でも何とか理解できる言語、英語のようであった。

「……ドゥーユーアンダスタンマイランゲージ?」

「英語?」

「エ、イ、ゴ…エ、イ、ゴ……」

 思わず呟いた達人の〝英語〝という言葉に反応するかのように女性の呟きと何か紙をめくるような音がする。

「××××××!…××××……アナタハニホンジンデスカ?ハイカイイエデ、コタエテクダサイ」 

「え……はい」

 突然女性の口から発せられたのは今度は日本語。達人はいきなりのバイリンガルな対応に戸惑いながらも、取り敢えず言われた通り質問に答えた。そういえば今まで気付かなかったのだが、声は出すことは出来るようであった。

(よかった…どうやら言葉は通じるみたいだな…)

「ミョウジトナマエヲオシエテクダサイ。ミョウジハ?」

「生野です」

「ナマエハ?」

「達人です」

「デハアナタハ、〝タツヒトデス・イクノデス〝サンデスネ?」

「…えっと……いいえ…」

「イイエ?…××××……ミョウジトナマエヲオシエテクダサイ。ミョウジハ?」

 達人は先程の、言葉は通じるという認識を早々と撤回した。どうも何かマニュアルのようなものがあるらしく、それに沿って質問をしているようで、日本語を理解して会話しているようではなさそうだった。

 そして幾らかの遣り取りのあと、漸く自分の名前を理解してもらえた達人の視界に女性の姿が入ってくる。白銀色の髪を緩くポニーテールにした妙齢の女性、こちらを覗き込んでくるおっとりとした顔立ちはどことなく母性を感じさせる。

 彼女は手元の分厚い本を見ながら日本語で自己紹介をしてくれていた。

「ワタシノナマエハ、サーラメルジェ・フロイベルンデス。サーラトヨンデクダサイ。シゴトハ……」

 しかし達人の耳にはこれ以上のサーラの言葉はあまり入っていないようであった。何故なら彼の意識は、サーラの隣でおずおずとこちらを覗き込む蜂蜜色の髪の少女に目を奪われていたからだった。別に一目惚れをしたなどということではない。達人の全ての関心が注がれたのは唯の一点、彼女の髪からはみ出しピコピコと動いている、映画や漫画でしか見たことのない尖った長い耳だった。

(…ここ………どこだ?)



 暫くして自分の話を半ば上の空で聴いている事に気付いたサーラ。彼女の若干冷たげな視線に我に返った達人は、少女の耳の事は一旦置いておいて、慌ててサーラの話を聴き入ることに意識を戻した。決して少女の尖った耳を遣り過ごすことなど出来ないのだが、それ以上に今は、サーラの話をしっかり聴いておかないといけないと虫の予感が知らしていた。サーラの話の内容の大切さもさることながら、サーラから漏れ出している冷気というか負のオーラのようなものというか、とにかくそれを感じ取った自分の直感がしっかり話を聴くように激しく警鐘を鳴らしているのだ。


 やはり彼女の持っている本はマニュアルのようなものらしく、サーラはそれをわかり易くゆっくりと読んでいく。

「タツヒト・イクノサン。アナタガイマイルコノセカイハ、チキュウデハアリマセン。イママデアナタガ、イキテイタセカイトハ、コトナルセカイデス。アナタハ、ナニカシラノキッカケデ、ワタシタチノスムコノセカイヘ、トバサレテシマッタノデス」

 俄かには信じがたい話であったが、そうであれば確かに少女の耳の謎も一応は腑に落ちる。それにしても達人は自分でも不思議な位落ち着いていた。体の自由が利かないので肉体的にはともかく、精神的にはもっと取り乱しても良い状況なのだが、今は目の前の女性の言葉を何故だか冷静に受け取ることが出来ていた。たどたどしい日本語だが何か相手をホッとさせるようなサーラの声色のお蔭か、それとも達人本人は気付いていないが既に一度この世界と触れ合っているからであろうか?


 それでも達人の瞳は無意識に少女の耳をちらりちらりと伺っているらしく、それに気付いたサーラは少し困惑しつつも読み上げるのを一旦止めて、本を捲り目当てのページを見つけると少女の肩に手を置いて達人に言った。

「ナマエハ、ナジャブル・フロイベルンデス。ナジャトヨンデクダサイ。ワタクシノムスメデス。」

 ナジャと紹介された少女はどうして良いのかわからない表情を浮かべつつも、取り敢えずぺこりと頭を下げた。その少し小動物的な仕草に達人は微笑ましげな表情をしようとしたのだが、顔の筋肉が旨く動かない部分があるらしく、なんだかよくわからない表情になってしまった。親子は、いきなりのその表情に、戸惑いつつも思わずそろって笑みを浮かべたのだが、耳はともかくそのそっくりな笑顔の浮かべ方で、達人は二人が親子ということを即座に納得した。


 その後サーラの説明は再開されたのだが、達人は落ち着いているとは言え、異種族だの魔法だの、聞けば聞くほど非常識な事実が飛び出してくるこの状況に内心驚いてばかりであった。その度に、顔の表情が変わるのだが、動かせる筋肉に制約があるため、結局どんな表情をしてもさっきのような顔になってしまう。ふと気付くとナジャがしきりに顔を動かしている。どうも達人の表情が気に入ったのか、それとも単に面白いのか…真似しようと色々とやっているみたいなのだが、彼とは対照的にその表情は喜怒哀楽めまぐるしく変化していた。それを見ていた達人は、まだこの世界での人一人の命の重さなどは理解していないものの、この親子は自分に危害を加えたりはしないと何となく根拠のない確信のようなものを抱いていった。


 サーラの説明は時計が無いのではっきりとはわからないが、三十分ほど続いただろうか。

「デハ、イジョウノコト、リカイシテモラエマシタカ?ハイカイイエデ、コタエテクダサイ」

 達人は勿論完全に納得したわけではないのだが、サーラの言ったことは大まかに理解できたので、はいと返事をした。するとサーラが達人の顔の近くに手をかざし何かを呟いた。それと共に彼の動きを制限していた何らかの力が不意に弱まるのを感じた。

「アナタヲウゴケナクシテイタ、マホウヲトキマシタ。ソレデモシバラクハ、ジユウニウゴクコトハデキナイデショウ。アト、モシテイコウスルヨウナコトガアレバ、イツデモマホウヲカケナオシマス。マタ、アバレタリスルト、セイメイノホショウハデキナイノデ、アシカラズ」

 確かにさっきまでとは違って、得体の知れない感じは無くなり、単に疲れで体が重たくて動けないような感覚に変わっていた。それでも自由が利くような状態からは程遠く、とてもじゃないが抵抗なんて出来ないし、端からするつもりも無い。それにこれも魔法が解かれた影響だろうか、急にふっと意識を持っていかれる感覚に駆られた。

(あー…ガキの頃稽古で叩きのめされたときの感覚だ、これ…懐かしいけどあんまりいいもんじゃないよなあ……いまは起きていたいなあ…はらもへったし……そういえば荷物どこやったっけかなあ……あー荷物は飛ばされないんだっけか……さーらさんさっき言ってたな………なじゃちゃんのみみ、さわらせてもらえないかな………)

 いよいよ意識が落ちかけたその時、不意に口に何かが流し込まれる、とその瞬間、達人はその強烈な苦味に我に返った。

「っ!!!」

 あまりの苦さに思わず吐き出してしまいそうになるが、見越したかのように口元を何かで塞がれた。目を見開くとそこには片手に水差しのようなものを持ち、もう片方の手で達人の口を押さえながら、にっこりと微笑むサーラの姿があった。

「メディシン。ドリンク」

笑顔ながらも有無を言わさぬその雰囲気に達人は慌てて飲み込んだ、というか息を呑んだ序でに飲み込んでしまった。昔、健康食品にハマった祖母に飲まされていた青汁が遥かにまともなものに思えるような味である。勿論達人は知る由も無いが、この薬はサーラが〝なんとなくの予感〝のために用意していたものであった。



 必要なことを伝え終えたサーラは、後ろ髪を引かれているナジャを連れて達人のいる部屋をあとにした。今の状態ではこれ以上傍にいても仕方が無いし、彼にしても一人で考える時間が少し必要なのではないかと感じたからだ。実際、これまで保護してきた異界の民達にも、この対処法で間違いは無かった。

 サーラが抱えている〝異世界人保護時要綱及び言語大全〝という仰々しい名の本。王国の王立機関によって発行された本である。何十にも及ぶ異界の言語による保護した際の例文と、その内の主な言語の単語辞書がセットになった、異界の民発見時に割と重宝するものである。

 しかし残念ながら、この本の内容程度では異界の民との本当の意思疎通は難しい。彼女はこうして保護された異界の民と接触する度に、〝イングリッシュ〝ぐらいは学んでおくべきだったかといつも少し後悔をする。王国では、国王ゲインリッヒによる異世界人保護政策の一環として、異世界言語の研究及び簡単な履修が奨励されていた。サーラも順調に公女としての教育を受け、王都の王立学院に行くなどすれば履修する機会もあったであろう。しかし彼女はその前に駆け落ち出奔してしまった。その後は学ぼうにも、このガストンには異世界の言語を履修する施設などあるはずも無く、今住んでいるムサンには異界の民は一人も在住していないので、結局はこの本を偶に勉強してみるぐらいのものである。更に今回は彼女も初めて接触する〝ニホンジン〝であり、〝イングリッシュ〝も通じるようだが、所詮幾らかの単語を知っているだけのサーラでは会話は無理であった。

 それにである。いくら意思疎通を図り、彼がこの世界で生きていくという意志を確認したとしても、このガストン領内で異界の民が発見されたことが、もしヴィルの〝あの子〝の知る事となれば、何時も通りヴィルに連行されて…拘留されて……処分される、か…


 サーラは今の時点で彼に特に思い入れがあるわけではない。いつもと同じようにコッドから引き取った異界の民の一人である。だから彼が目を覚ますさっきまでは、もしヴィルから引渡しの要請があれば躊躇無く応じるつもりであった。

 しかし今は一つ気懸かりが出来てしまった。それは、若干不貞腐れながら彼女に手を引かれているナジャである。ナジャが初対面の相手に興味を示すなどということは本当に珍しい。ハーフという属性からか、彼女は非常に人見知りが激しい。今迄保護してきた異界の民のことは、遠目に様子を伺っただけで近づこうともしなかったし、常連の患者や出入りの行商人ともぽつぽつと言葉を交わす程度だ。唯一の同年代の友人とも言える〝あの子〝とだって、ちゃんと話せるようになったのは半年も過ぎてからだった。

 そんなナジャが今迄に無く興味を示す彼。年の頃は二十歳ぐらいか、森のエルフを除けばナジャとはあまり関わりの無かった年代ではある。まあ、森の連中はナジャにとってコッドを除けばみんな〝ヤな人〝らしいのだが……もしかしてナジャはお兄さんが欲しかったりでもしたのだろうか?とりあえずここは直球で尋ねてみるのが良いだろうとサーラはナジャに問いかけた。

「ナジャ」

「なーに、母様?」

「いつものあなたと違うけど…彼のこと、気になる?」

 ナジャは小首を傾げつつ答えた。

「うーん、自分でもちょっとわかんないんだー……気になるっていうか…たぶん似てる…かも?」

「似てる?…誰に?」

「わたし…かな?別にあのお兄ちゃんがわたしと同じハーフってわけじゃないんだけど…何だかまとってる空気がそんな感じっていうか…うーん…あんましうまく言えないんだけど…」

 中々微妙な表現でサーラも正直理解出来たとは言い難かったが、別に兄が欲しいとか彼に惚れたとかいう訳ではないようだ。ただ、それでも中々他人に心を開かない愛娘が珍しく興味を抱いた相手。〝タツヒト・イクノ〝がどんな人物か素性はまだ知れないが、サーラの〝なんとなくの予感〝が彼を〝あの子〝の元へやってはいけないと知らせていた。いつも通りの〝なんとなく〝。でもいつも自分を裏切らない〝予感〝。それならばサーラが取る道は決まっている。何とか〝あの子〝を説得してみるか…ナジャの為だと言えばどうにかなるかもしれないし…それとも体力が回復するまでは匿うとして、コッドに頼んでフロイの森を抜けさせて、異界の民の里があるというアサン帝国のはずれの西方砂漠へと逃がすか。でもまずは、自分の隣できゅうとお腹を鳴らして顔を赤くしている愛娘の為に夕飯の支度をしなければ。今日は魚にしようかな。そして彼にはとりあえず流動食のようなものを用意しておこうか。



(なるほどな…地球の行方不明者の一握りは此処へ飛ばされた人なのか…それとも元々存在しないことになるのか?そうだとしたらちょっと寂しいけど…残された方の事考えるとそっちのが良いかもなあ…)

 あの後食事をサーラとナジャが食べさせてくれた以外は一人きりだった達人は、色々と考えを巡らしつつ、改めて自分の置かれた状況を整理していた。

(色々と聞きたいこともあるし、これからのことも考えるとやっぱり言葉だよな…)

 食後に身振りと英単語で、文字を教えてもらいたいことと、サーラの持っていた本を貸してほしいということを何とか伝えることは出来た。でもそれを伝えるだけでも相当時間が掛かってしまうのが現状だった。

 体は大分動かせるようになってはきたのだが、まだベッドから起き上がるのは難しかった。あの親子もそれをわかっているのか、この部屋の扉に鍵を掛けたりはしていないようである。因みにトイレなどの用があるときは枕元に垂れ下がった紐をひく様にと、これまた身振りと片言の英語でサーラが教えてくれた。居間か何処かの鐘とかが鳴るようにでもなっているのだろうか?

(しかしいくらサーラさんが医者とはいえトイレはさすがになあ…でも今着ている服もよく考えてみたらサーラさんかナジャちゃんに着せられたのか…)

 実際彼に服を着せたのはコッドだったのだが、勿論そんなことは知らない達人は、一人顔を赤らめるのであった。

 





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