3.ガストンヴィル
辺境領越えは大陸屈指の危険なルートであったが、旅程を煩わすような大規模な襲撃には遭遇しなかった。一介の盗賊共には手に負えない大所帯であったし、政争に敗れたとはいえ、大陸にその名を轟かす白鯨艦隊の中核を占めていた猛者揃いの一団である。偶に遭遇した猛獣魔獣の類は、武官達が鬱憤を晴らすかのように瞬く間に狩りとっていった。そしてマースを出発して十日、一行は予定通りガストンヴィルに到着した。
辺境領において唯一街らしい街ガストンヴィル。四方を砂漠に囲まれた平坦な街。砂埃の舞う人気の少ない大通り、飾り気の無い黄土色の土壁の街並はこの街の在り方をある意味象徴していた。好き好んで住まうものなどいない街。それでもここから去ることは出来ない二万もの住民達。無気力さの中に、ならず者たちのギラギラとした行き場を無くした欲望が見え隠れしている。街全体に漂うその空気感はラージュの裏通りに近いものであった。
その街の中心、住民達の生命線である泉のほとりに石造りの少し大きな建物があり、そこが領主館であった。大きいといっても、この街にある他の建物との比較であり、これまで住み暮らしてきたラージュ城とは比較にもならない。これくらいの大きさの屋敷ならば、ラージュでは一山当てたその辺の商人でさえ簡単に所有できた。
「これはこれは遠路遥々ご苦労様でございます。お疲れのところ早速ではございますが…」
ロゼッタとサーラ、更にウィルフォードのような主だった文武両官僚達が通されたそこそこの広さの一室。高い天井にそれなりの重厚さを醸し出す木製の壁。中央に長いテーブルが置かれ、それを囲むように並べられた椅子。普段は会議室などとして利用されているのだろうか。しかしよく見ると、絨毯は所々下地が剥き出しになっており、椅子も似たような形状のものを寄せ集めてきたようであり、決して調度を整えるほどは財政に余裕があるわけではないようであった。
そんな部屋の上座に立って、媚びる様なそれでいてどこか蔑む様な態度で出迎えた恰幅の良い中年の男。これまでガストンを治めていた、というか王国に押し付けられていたセラ・ガストン男爵は、クリスティナ家の面々とは対照的に嬉しさを隠しきれないでいた。外征で失策しガストンに転封されて以来、十年間耐え忍んだ辺境暮らしからの解放ともなれば当然か。貫禄というには少々下品に膨れすぎた腹を揺らしながら彼はロゼッタ達に席を勧めた。
「…人口はガストン領全体でおよそ四万人。内このガストンヴィルに住まうのが半数の約二万。…まあ、確かに御婦人方には少しばかり厳しい土地ではありましょうが、住めば都という西方の諺も御座いますし……詳しくはお手元に用意致しました資料を御覧頂くとして、続きましては…」
今迄、こんな辺境までやってくる物好きな来賓達に何度と無く繰り返したお決まりの口上なのであろう。男爵は淀みなく、この荒れ果てた辺境の現状を言葉のヴェールで巧みに誤魔化しながらくどくどと並べ立てる。それらの言葉と、煙草のヤニですっかり飴色にくすんだ周囲の調度品の色が、ロゼッタ達の気持ちをより鬱屈とさせていく。
「…ヴィルにおける産業の内訳です。農業に関しましては、降雨の少なさとオアシスの水量を鑑みまして、より効果的な作物を栽培している現状であります。具体的な作付種、及び収穫量は…」
「つまり慢性的な旱魃で碌な物が収穫できないってことね」
最早苛つきを隠そうとしないロゼッタが、隣に座るサーラに小声でぶっちゃける。サーラは曖昧な顔をしつつ思慮に耽る。
(クリスから聞いていた通りの場所…ね)
本来王国で真っ当な人生を送っている限り、この辺境領は絶対に縁のない場所である。仮に王国からアサン帝国へ向かうとしても通常は海路を使う。その名とは裏腹に一年を通して比較的波の穏やかな嘆きの海に比べ、行程上も治安上もリスクの大きいガストン経由の陸路なぞ後ろめたい事でもない限り使わない。サーラの亡夫クリスはガストン出身であったが、彼は半ば故郷を捨ててラージュへと流れ着いたので、サーラ自身はこれまで一度もガストンに足を踏み入れたことはなかった。
「…一番主だった税収は、冒険者ギルドや武具職人ギルドといったところになりますかな」
気が付くと話は進んでおり商工関係の説明をしているようであった。
(しかし主な稼ぎが冒険者関連とは旨くないわねー)
要は碌な産業はありませんと言っているようなものである。農業もだめ、商業もだめ。正に打つ手無しのこの街の状況に内心頭を抱えるサーラやロゼッタを他所に男爵の話は続く。
「何しろこのヴィル近辺でも未踏の古代遺跡がまだまだ残っております故、冒険者達の来訪が途切れることはありません。尤も人員上の都合から現在は公式の探索は行っておりませんが…」
「なんと!それでは荒れるがままに任せているということでしょうか?」
同席するクリスティナ側の文官や武官達から一斉に驚きと非難の声が上がる。
古代遺跡の探索を公式に行うのは文化財の保護や観光資源としての開発が目的ではない。一部の古代遺跡には、魔道具の作製に必要不可欠な鉱物などを定期的に生成させる場所が存在し、破壊されない限り永続的な資源収入が見込めるのだ。また、遺跡内に出没する魔獣には貴重な部位を持つものもおり、乱獲を防ぐためにも行政による探索及び保護規制が行われるのが常であった。
「いやはやそう言われましても……当家には皆様方のような猛者は揃っておりませんし、腕利きを雇うにも財政上中々難しいのが現状で。そもそもこの辺りの古代遺跡に希少な鉱物や魔獣が存在したという話は今だ嘗て入ってきておりませんからなあ」
「それでももしやということもあるでしょうに…」
文官の一人は非難を込めた口調で食い下がる。
「無い袖は振れませんな。こう言っては何ですが…私は別にガストンに骨を埋めるつもりはありませんでしたのでね…長い目で見ようなどとはとても思えませんでしたから。…まだ荒れていない遺跡もあるでしょう。皆様方は余裕がおありなら是非おやりになったらよろしいかと」
上位の爵持ちのランドルフが同席していないためであろうか、売られた喧嘩は買うとばかりに男爵の言葉もきつい皮肉交じりのものへと変わっていく。
「いくら男爵殿とは言え何と無礼な!」
「いやいやいや…無礼も何も、私は出来ぬことは出来ぬと正直に申し上げただけのこと。特に王国から不備を咎められたこともありませんでしたしな。だいたいこのガストンには、探索を行なうような常設軍を抱える余裕はありませんし、そもそも必要無いということをご理解頂きたい」
「ん?どういうことです?」
「軍を常備したとして誰がこの不毛の地を欲しがるんです?北方山地の小国群は言わずもがな、アサン帝国ですら一世紀以上手を出そうとしないのですよ。その辺は王国海軍の要でもあった皆様の方が余程お分かりでしょう。帝国から王国への侵略の足掛かりなら、海路の方が遥かに有効なのを。そんな中で金は喰らうがいつ使うやも知れぬ常設軍を抱える意味がありましょうか?」
声を荒げつつも正論で押してくる男爵に一同は押し黙る。
「勿論、建前上全く無防備というわけにはいきませんからな。一部の将兵を除いては予備役という形で軍組織は一応整えてはあります」
「しかし領内の押さえはどうしているのです?」
「軍とは別に自警団を常時街の各所に詰めさせてはおりますよ。住民の安全は最低限これで確保できます。…しかし街を御覧頂ければお分かりでしょう。ならず者達の巣窟ですよ…ここは。一般市民を巻き込むような騒ぎなら見過ごすわけにもいきませんが、奴ら同士の縄張り争い如きに手を出す余裕はありません。確認はしておりませんが、かなりの規模の盗賊ギルドの存在も見え隠れしております。下手を打てば返り討ちに会う可能性すらあるというのに…それでも…皆様方は…この無力な私に……生温いと仰るのですか!」
「………」
かなり熱を帯びた男爵の怒鳴り声が部屋中の空気を震わせる。よくよく聴いてみれば言い訳とも摩り替えとも取れそうな言い分ではあるが、その勢いに中てられたのか沈黙したままの一同。そんな中今迄黙ってやりとりを眺めていたサーラが口を開いた。
「税収の話から少し逸れてしまったようですね。当方も確かに男爵様のお立場を深く考えずに直情的になってしまったようです。平にご容赦下さいませ。因みに…ワイクリフ、サライセン、あとで少々お話が…」
サーラに名指しで呼ばれた二人。先頭切って男爵に噛みついていた文官達である。古株の彼らはサーラが実家で公務を手伝っていた頃を知っており、詮議などの際に場を乱したり恫喝したりした者への容赦のなさ(具体的にはエルフ魔法の呪い付きエンドレス説教など)を思い出し、尋常でない量の汗を流しつつ青褪めていた。
「…しかし、我々の置かれている境遇、男爵様ほど聡明な方でしたら御理解頂けると思いますわ……何せ、我々の知らない西方の、そう、アサン帝国の諺を普段からお使いになるくらい御聡明でいらっしゃるのですから…」
「………」
口角だけを使った微笑を浮かべて男爵を見遣るサーラ。しかしその言葉の裏には男爵とアサン帝国との繋がりを暗に示唆しているような意味合いが含まれていた。そして実際、男爵家は秘密裏に細いながらも帝国とのパイプを構築し、有事の際はどちらに転んでも大丈夫なように手を打っていたのだ。
身に覚えがあるためかサーラの言葉の持つ裏の意味に気付いた男爵。彼はここにきて、嘗て社交界で〝白銀のアティーラ姫〝と呼ばれ畏怖された存在がクリスティナ家にいたことを思い出す。そして、冒頭の自己紹介の際にサーラメルジュと名乗った、目の前で氷の微笑を浮かべる女性と〝白銀のアティーラ姫〝が脳内で合致。と同時に違う汗が一気に噴き出すのを感じながら、慌てて強張った笑みを取り繕った。因みに白銀はサーラの髪の色、アティーラとはこの世界の古代神の一柱で、慈悲と冷徹さを兼ね備えた二面の女神のことである。
「……ところで冒険者ギルドに武具職人ギルドが主な納税組織ということですが、その他に地場産業のようなものは無いのでしょうか?」
続くサーラの問い掛けは至って普通の質問であったが、男爵には全ての言葉に裏があるように思えてならなくなっていた。更にもはや笑みを浮かべているとは思えないくらい強張りすぎた男爵の口は中々思い通りに動かないようで、返答に暫しの時を要した。
「……い、いやいや、此方も少々熱くなってしまったようで大変申し訳ない次第です。西方の諺は出入りの商人から教わりましたものでして……はは……えぇ、お尋ねの件に関して言えば、資源に乏しいガストンでは商工業が育たないのが現状でしてな。正規の就労者が少ないですから税収も限られます」
「なるほど…」
サーラは納得した感で、失礼致しましたと再び先程のような笑みを浮かべて手元の資料に目を落とした。数人を除く他の列席者はこの遣り取りの裏に潜む意味を理解してはいないようであったが、それでも凍りついた空気が支配する中、やれやれという顔をしつつ場を落ち着かせるようにロゼッタが口を開いた。
「今迄の話は全てガストンヴィルについてですわね。領内の他の街の状況はどのようなものなのでしょうか?」
どちらかと言えばロゼッタも性格はキツい方なのだが、今のサーラの前では霞んでしまう。ホッとしたような空気に包まれる中、男爵はこれ以上導火線に火をつけないように慎重に言葉を選びながら答えた。
「海に面したニウラは王国の飛び地ですから、領内で街と呼べるのはここぐらいでして……あとは村が八つ程点々と。中には恵まれたオアシスを抱えた村もありますが…。まあそれを生かして農業や牧畜を行ってはおるようですが、どの村も人口が少ないのと、各々が離れていて交易はあまり活発でないのが現状です」
「うーん、交易路の確立は難しいと」
「ええ、厳しい環境に悪路、それに加えて魔獣の襲来、賊や異種族の干渉を考えますと…商隊を組むにしても、護衛の経費が掛かり過ぎて利鞘が見込めないと商人たちも及び腰でして…」
「………」
その後も様々な話題が挙がったが、結局景気のいい話は一つもなく、会談はどことなく白々しい空気の中、終わりを迎えようとしていた。
「いやはや途中の数々のご無礼はお許しを。しかしながらあの〝白銀のアティーラ姫〝もいらっしゃるとあらば、このガストンヴィルもよい街へと変わっていくやもしれますまいな」
会見の終盤には、腹を擦りながら軽くおどけた様な口調で男爵はこんなことも言っていたが、目線は終始宙を泳ぎっぱなしであった。さすがに途中言い過ぎたことを今更ながら後悔しているのであろうか。それともアティーラの雷槌が自分にも及ぶことを危惧したのか。彼は早々に引継ぎの手続きを行なうと、配下を連れて逃げるように王国内に用意された新領地に去っていった。
新領地の統治が始まり、ランドルフの容態は幾分持ち直してはいたが、闇に侵された心は今だ晴れぬままであった。形式上はランドルフを領主に置くとして、彼の回復若しくはランドルフとロゼッタの一人娘メルローズが成人し、爵位を継承するまでの暫定統治機関として評議会を設け、その評議長にはロゼッタが就く事となった。評議員にはラージュから付き従ってきた文官や武官の他、地元の商工ギルドの代表などが名を連ねた。
常設軍の設置は財政上の問題から見送られた。ラージュから同行してきた将兵達も予備役に廻り、慣れない他の職種をこなすこととなった。それに伴う正規就労者の増加で、街は以前よりは活気づいてはきた。
それでも上層部の人材不足は深刻で、当然のようにサーラにも評議員就任の要請があった。出奔し、既に貴族の地位を捨てた身ではあったが、実家の危急を捨て置けるようなサーラではない。当初は請われれば勿論引き受けるつもりであった。しかし彼女は結局評議員に就くことはなかった。就かなかった理由、それは、異種族の子を生した自分、そしてハーフの愛娘に対する風当たりを敏感に察知した為である。自分がどのように思われてもかまわなかったが、ナジャが辛い思いをすることだけは我慢できなかったのだ。
サーラはナジャを育てながら、政務で忙しい義姉の代わりにメルローズの世話もしつつ、兄の治療と看病を続けた。しかしその甲斐も虚しくガストンヴィルに来てから四年後、ランドルフは回復せぬまま静かに息を引き取った。そしてサーラも自分の役目は終わったとばかりに、ナジャを連れて亡夫の故郷に近いムサンの村へと隠遁したのであった。