序章
金沙紗の如く煌めきたる王都ラヤダーから西へ馬車で五日、それまで続いてきた緑豊かな大地の風景が突然途切れ、砂と岩ばかりの荒涼とした景色が広がり始めると、旅人達は不毛の辺境領に差し掛かったことを知る。
隣接する王国領とも肩を並べる面積を持つその広大な領土は、砂漠と岩山が九割を占めており、その中に点在する僅か10程のオアシスに寄り掛かるようにして、人々は街や村を作り暮らしていた。
東の王国、西のアサン帝国という二大国に挟まれたガストンと呼ばれるその辺境領は、総ての人口を合わせても、100万もの人口を誇る王国の二十分の一にも満たない。そのうち半数は、辺境領の中央に位置し領主館のある街ガストンヴィルの住民であり、あとは幾つかの小さな村に分かれ住んでいた。
そんな地勢の為か、特定の産業が栄える訳もなく、活発な貿易が行われている訳でもない。訪れる者と言えば、砂漠や岩山に点在する古代遺跡や迷宮目当ての冒険者か、格好の隠れ家や拠点を得ようとする無法者や盗賊ばかりで、治安だけは大都市並みの悪さであった。
そのガストン辺境領の中心、ガストンヴィルから北西へ馬車で二日行くと、フロイの森という辺境領最大のオアシスがあり、その片隅にムサンという小さな村がある。
人口は約1000人、フロイの森自体はガストン領内でも最も豊穣な場所だ。しかし森はムサンの村が出来る前からエルフ族の居住地となっており、他種族と交わることを忌み嫌ってきたエルフの習性から、人族はその豊穣なる森の恩恵を受けることはおろか立ち入ることすら出来なかった。過去の為政者は王国の援護を得て、何度か森のエルフの討伐を試みたこともあったのだが、地の利を生かして優位に立つエルフ族の前に、何度も辛酸を嘗めさせられて終わったのみであった。
そんな苦い経験から、現在はエルフとの融和政策が進められようとしていた。しかし交易をしようにも、フロイのエルフ族にはこちらの言語や通貨が通用しない。また、物々交換するにしても、森に根差した暮らしを送るエルフは森の外からもたらされる物品に然したる興味が有る訳でもなく、辛うじて装飾品に使う為の、フロイでは産出されない鉱物類が交換対象になるのみであった。勿論そのような鉱物類は資源に乏しい辺境のムサンでは中々手に入らない。結果エルフ族との交易は活発になることもなく細々と続いているだけの状態であった。
そういったエルフ族との数少ない交易を担っている一人が、村外れの小さな家に母子で暮らしている。
彼女の名はサーラ、本業は医者である30才の人族だ。そんな彼女がエルフとの交易窓口になっているのは、今は亡き夫がフロイ出身のエルフで血縁があり、彼女もエルフ語を話すことが出来たからであった。
「ビゼーさん、この間頼んであった緑光石は手に入ったかしら?」
「はい、とりあえず5欠片程用意させて頂きましたが」
「あら、それだけあれば次の取引は十分すぎるわね。いいわ、全部置いていってくださいな」
「かしこまりました。毎度どうも」
そう言うとビゼーと呼ばれた顔馴染みらしき商人は、鞄の中から小さな布袋を取り出しサーラへと手渡した。
「先生、ほかに何かご用件はおありでしょうか?」
「そーねー…ニケル草があれば次持ってきてもらえるかしら」
ニケル草とはかなり強い気付薬の調合に必要な薬草だが、副作用が強く、サーラは普段使用しないものであった。
「ニケル草ですか…。次回お持ち出来ると思いますが、これはまた珍しいものをご入用で。エルフ族からの要望ですか?」
「ううん、これはうち用」
「それはいよいよ珍しい。何か起こるんでしょうか?」
ビゼーの顔が曇る。
「なんとなくねー。いつもの通りなんとなくだけど…、近いうちに必要になるような気がするのよねー」
サーラはいつもと変わらず暢気な表情を浮かべている。しかし彼女がなんとなくの予感を口にする度に何かが起こることを、今までに何度となく目の当たりにしてきたビゼーは、気が気でないという表情で、早急に用意します、と言い残し足早に去っていった。
(うーん、でもなんでニケル草なのかしら。気付けなら魔法でも事足りるはずなのにねー…)
サーラは魔法医である。亡き夫より教わったエルフの回復魔法を駆使して治療をするので、あまり薬草の類を使わない。副作用の強いニケル草など普段ならもっての他だったが、”なんとなくの予感”が必要だと知らせてきている以上、用意しておくに越したことはなかった。
数日後、何時もよりも早い間隔で再びサーラ宅を訪れたビゼーよりニケル草を受け取ったサーラは、午後の診察を終えた後気付薬の調合をしていた。
「母様ー。コッド伯父さんが来たよー」
勝手口の外からサーラを呼ぶ声がする。13才になるサーラの一人娘ナジャの声だ。
「はーい。今行くわー。」
勝手口を開けると、そこには長い金髪と長い耳が印象的のほっそりとした少女と、やはり耳は長いのだが、エルフらしからぬがっちりとした体格の壮年の男性がいた。
『サーラ、注文の品だ』
『義兄様、いつもすみません。今回は緑光石3欠片でよろしかったですわね?』
『ああ、十分だ』
エルフ語でサーラと言葉を交わしたコッドは、引いてきた荷車から様々な品物を降ろし出す。ナジャもそれを見ると手伝い始めた。
『お肉いっぱいだねー』
『うむ。獲物がまとまって獲れたもんでな。こちらへ廻す分もある程度確保できた』
今降ろしている品物は基本的には売り物なので、サーラ家の食卓に全てあがるわけではない。しかしコッドが来たあとの何日かは、食事が豪華になることを知っているナジャは嬉しそうだった。
荷を全て降ろし終わり、3人は居間にあがり一息吐いていた。ナジャはコッドが商品とは別に持ってきたお土産のお菓子に夢中である。
コッドはサーラの亡き夫の兄であり、フロイの森のエルフの顔役の一人だ。森での生活に飽き足らず出て行った挙句戦乱に巻き込まれ、若くして命を落とした弟に対しては色々思う所あるのだが、その伴侶であったサーラと、弟の一人娘であり人間とエルフのハーフであるが故に色々と苦労しているナジャのことは気に掛けていた。
『暮らしは少しは上向いているのか?』
『医者が儲かり過ぎるのも困りものですわ』
『確かに皆健康で在るに越したことはないが…』
コッドはサーラにもう少し人族らしい欲があってもいいのではと常々思っている。サーラを通しての交易に協力するのもその利鞘で二人にもう少し良い暮らしをと願ってのことだったのだが、そんな思いを他所にサーラは儲け二の次で取引を行っていた。
『ナジャはもう少しお肉やお魚が食べたいなー』
『そういうことを言う子は今晩は緑豆一杯のスープだけのお夕食かなー?』
『母様ごめんなさい』
ナジャは耳を垂らしてしょんぼりとする。そんな我が子の姿を可愛いと思いつつも躾はしっかりするのがサーラである。
『ハハハ、まあまあ、いいじゃないかサーラ。ナジャ、今度おじさんがご馳走してあげよう』
『…ご馳走は嬉しいけど、森の里へ行くのはあんまり…』
エルフ族は選民意識が根強い。特にエルフ族と他民族の混血は穢れた血を持つものとして忌むべき対象とされており、今まで何度か森の里を訪れたことがあるナジャもその度に何かしら嫌な思いをしてきた。
『………』
沈んだ顔のナジャ、しまったという顔のコッド、やれやれという顔のサーラ。慌ててコッドは話題を変えた。
『ところでサーラ、先日の狩りで思わぬ獲物が掛かってしまってなあ』
『お肉!?お魚!?』
懲りないナジャは立ち直りが早かった。
『わし等にとってはうまくない、というか扱いに困る獲物だよ』
『義兄様。そのような回りくどい言い草はあまり好ましくないですわ。』
何やら気付いたらしいサーラは険しめな視線をコッドへと向け言葉を続けた。
『…人族ですわね』
『ああ…すまん…男が一人な』
『今はどのような扱いを?』
『里の牢に放り込んである。森の西域で倒れているのをうちの若い者が見つけてな。今も意識は失ったままだ。素性が知れんので一応マジックガードは施してあるが』
魔法が存在するこの世界では脱走や反撃を防ぐ為、囚人には特殊な首輪など何かしらの対魔法防御が施されるのが常である。
『西の方ですか…帝国からの難民かしら…?』
『う…うむ…わしらは人族には疎いものでな。詳しい事は判りかねるが…』
コッドの返答は煮え切らないものであった。
『見つけたのはいつのことかしら?』
『二日前だ。』
『二日も意識が無いとなるとちょっとよくなさそうですわね…』
『ああ。ただ、里の医者共は人族は診たがらんもんでなあ…』
頭を掻きつつコッドは意味有り気にサーラを見遣った。
『分かりましたわ、義兄様。其方で処置しないのであれば、一旦此方で引き取りますので連れて来て頂けますか?』
視線の意を汲んだサーラは仕方無いと言いたげな表情をしつつも受け入れる旨を伝えた。今迄にも同じような事は何度かあった。
『助かるよサーラ。このまま放って置く訳にもいかんし、長老共が何せ五月蝿くてなあ…』
『気にしないで下さいまし義兄様。これであの方達の覚えが少しでもよろしくなれば私達としても吝かではないですわ。』
未だに人族との交流に抵抗を持つエルフ族の長老達には、少しでも恩を売っておきたいところなのだ。
『うむ。ではすぐにでも連れて来るとしよう。』
そう言ってコッドは席を立った。因みにナジャは話が難しくなってすっかり退屈してしまい、お菓子で小腹が満たされたことも手伝ってか、舟を漕ぎ始めていた。
『ナジャ、義兄様がお帰りよ』
『いや、そのままにしておいてやりなさい。サーラ、それよりちょっといいか?』
『何でしょうか義兄様?』
サーラはコッドと共に外へと出た。
『実は先程の人間に関することなのだが、お前達にとってはあまり良くない情報が一つある。ナジャの手前言い出し辛くてなあ…。先程は素性が知れないと誤魔化してしまったが実は大体の見当はついておる。もしそれを聞いて受け入れを拒否したいのであれば、奴は私の方で処置しておくが…』
『一体なんですの? 』
眉間に皺を寄せるサーラ。
『人の文化に疎い私でも、流石にあのなりを見れば奴が何者かぐらいはわかる。奴は…多分異界の民だ…』
サーラの表情が一層険しくなった。
一体どれほどの方に読んで頂けるのかもわかりませんし、遅筆のためどれぐらいのペースで更新できるかわかりませんが頑張りたいと思います。一応週一回のペースを保っていきたいと思います。