4.僕の物語とヒロイン様
「うぐ〜、勉強しないと・・・。」
美野里さんとの心が休まらない日々が続き、疲弊しきった僕は大学の図書館で机に突っ伏していた。
この日、この時間帯、美野里さんはセミナーで講師をしているはずだから、少なくともLINEや電話が来ることはない。だからこの時間に集中して勉強や課題をやらなければならないのに、睡眠不足とストレスで意識が朦朧とする。
「この泥沼から抜け出すためには、もう美野里さんと別れるしかないのだろうか。」
そう思ったこともあるが踏み切れないでいた。
この頃の僕は、「あんなにお世話になったのだから僕も恩返ししないと」とか、「一緒にいればまだまだ成長できるはず」とか、色々自分に対しても言い訳をしていたが、今から振り返ると本心は別にあった。
美野里さんと別れたら、サクセスストーリーの主人公から目をかけられる恋人という配役を失い、ただの学生Aに戻ってしまう。友達から特別な称賛や羨望の視線を受けることもなくなる。
しかも、僕は自分の心にそんな歪んだ承認欲求があることを認めたくないから素直に自分の思いに向き合えない。
誰かに相談したいけど相談できる友達なんかいない。これだけさんざん友達に自慢してきたのに、急に辛いだなんて言ったら冷笑されるのがオチだろう。
「大丈夫・・・?」
いつの間にか向かいの席には心配そうな顔をしたすみれが座っていた。
すみれと距離を置くようになってからも、彼女は変わらず視界の端で鈍い光を放ちながら不思議な存在感を示していた。しかし、こうしてちゃんと向かい合って話すのは久しぶりだ。
なんだか懐かしくなって、それで藁にもすがる思いで「相談に乗ってほしいことがある。コーヒーをおごるから聞いてもらえないか」と伝えて駅前のスタバに誘った。
ただ、堅実なすみれは「スタバなんてぜいたくだよ~」と恐縮し、結局学食で缶コーヒーを飲みながら話すことになった。
さて何から話したものか・・・。まず美野里さんと恋人関係にあることは固く口留めされているし、すみれにも話せないだろう。
そうすると夜中にマンションに呼び出されたり、そこで美野里さんが豹変する話や、高価なプレゼントがかえって心の重荷となった話もできない。つまり肝心なことは何一つ話すことができない・・・。
結局、話しても問題ない内容だけを選んで話したところ、要領を得ない話になってしまった。
美野里さんがいかにすごい人なのかとか、一緒に働かせてもらって勉強になるとか、色々な人と名刺交換できて人脈が広がっているとか、第三者が見たら悩みごとにかこつけた自慢話にしか聞こえない内容になった。例の名刺入れから有名企業の経営者の名刺を取り出してすみれに見せたりもした。
すみれは、「へ~」とか「すごいね~」とか相槌をうってくれたが、きっと話の方向が見えず当惑していただろう。
結局、僕が悩んでいることは誰にも話せない、理解してもらえない。僕は孤独なんだ・・・。
これ以上、すみれに意味不明な話に付き合わせても悪いし、「話を聞いてくれてありがとうね。少し楽になったよ」と社交辞令を言って話を打ち切ろうとした。
しかし、それより一瞬早く、すみれの口が動いた。
「修治は、太陽じゃなくて月だったの?」
「ほえ?」
意外な言葉に意味を測りかね、思わず彼女の顔をきょとんと見つめてしまった。僕の顔を見て、すみれは慌てて言葉を補ってくれた。
「あっ、ごめんね。月って太陽の光を反射して輝くでしょ。なんか修治の話を聞いていると月みたいだなってそう思っちゃって・・・。意味わからないよね・・・ごめんね!!」
すみれは失言だったといった様子で恐縮していたが、彼女の言葉は僕の心に深く刺さっていた。
すみれには全部見透かされている。僕が自慢してきた話は、どれも僕自身の力ではないことを。
僕が自分で輝いていると思っていたのは、実は美野里さんのまばゆい光の恩恵を受けていただけだったことを。そんな当たり前のことにすら気づかず、僕は勘違いしていた。
「あの・・・。わたしね。修治が放つ光が好きだよ。他の人の光に照らされている時はギラギラしてまぶしすぎるけど、一人でいる時の光は優しくて温かくて、そんな光が好きだから・・・。」
気づくと、すみれの心配そうな顔が目の前にあった。黙って考え込んでしまった僕を見て気遣ってくれているようだ。
「・・・・あっ、うん。そうか・・・。」
しかし、僕が考え込んで生返事しか返せなかったことで気まずくなったのか、「あっごめんね!授業があったから行くね!」と言って急に立ち上がり駆け出して行ってしまった。後姿を見ると、耳が真っ赤だった。
「月、月か・・・・。」
僕だけその場に残ってすみれの言葉を心の中で何度も反芻していると、自分でも薄々気づいていたが認めたくなかったことを素直に認められるようになった。
これまで主人公の側で目立つ配役を得ることばかり考えていた。有名な美人アスリートの親友そして彼氏、予備校一の才女の彼氏、注目の若手経営者の恋人・・・。でも、これまで僕が執着してきた配役は、全部他人の物語の脇役じゃないか・・・。
一度だって僕が自分自身の物語で輝こうとしたことがあっただろうか・・・?いや、そもそも自分自身の物語すら見つけられていないじゃないか・・・。
それよりも、鈍い光だけど自分だけの力で輝いて、ずっと存在感を示してきたすみれの方がずっと偉い。
僕が月であるという、すみれの短い言葉は、僕の生き方を見直し新たな一歩を踏み出すための後押しになった。
あんなに欲しかった社会問題研究会の友達からの賞賛や羨望が自分自身に対するものではないことを自覚すると急に馬鹿らしくなった。それよりも他人の物語のただの脇役に過ぎないのに、我が物顔で得意げに振舞っていた過去の自分が恥ずかしくなった。
僕は社会問題研究会に退会届を出し、また勇気を出して美野里さんにも関係を清算したいと伝えた。
社会問題研究会はすんなり退会できたが、美野里さんと別れるにあたってはそれ相応の苦労はあった。
その苦労については、自分でも思い出したくないし、それを語ることは避けたいが、ようやく落ち着けたと思えたころには、1年目の大学生活は終わっており、その間に受けた学年末テストの成績も悲惨であったこと、それから多分普通に就職するのは無理だろうなと覚悟するに至ったことで支払った代償を察してもらいたい。
また、すみれに相談した日を境に彼女との関係も変わった。
思い返せば、すみれは、僕が調子に乗っていた時も、苦悩していた時も遠くから見守っていてくれた。キャンパスでも、教室でも、すみれは、気づくといつも不安そうな表情をしていた気がする。きっと僕が誤った方向に進んでいることになんとなく気づいて心配してくれていたのだろう。
そうやって僕のことを見てくれていただけでも、彼女は大切にしなければならない存在だ。そう実感するようになった。
僕はこれまでの行いを反省し、すみれとの関係を修復しようとした。
これまで自分勝手な見栄で距離を置いていたのに、手のひらを返すかのように急にすり寄って来た僕のことを、彼女が内心でどう思っていたかはわからない。でも、心優しいすみれは「実は心配してたんだよ〜、よかった〜」とのんびり言って、少なくとも表向きでは何の屈託なく接してくれた。
そのうち、以前と同じようにどちらからともなく誘い合って、一緒に色々なところに遊びに行くようになった。こうした復活したすみれとの気の置けない関係が傷ついた僕の心を癒してくれた。
ちなみに美野里さんの関係を解消した後も、すぐにすみれと付き合い始めたわけではない。
この頃の関係を言葉で表現するとすれば、気の置けない親友と言った方が正確だろう。
僕は美野里さんとの関係がこじれたことから恋愛沙汰には懲りていたし、また下手に恋愛関係になってすみれとの気安い関係が崩れてしまうのも嫌だった。
学生時代の気軽な恋愛相手として、うまくいかなければ仕方ないなんて思えるほど、すみれの存在は僕にとって軽いものではない。
そう考えてしまっている以上、この頃、既にすみれのことが好きだったような気もするが・・・・。
すみれがどう思っているかはわからないが、僕から関係を進めることはなく、気安い友人として穏やかな日々を過ごし、大学3年生になり、4年生になった。
この間、突然すみれが海で日の出が見たいと言い出して冬の寒い日に始発で千葉の海の側の神社まで行って震えながら朝日を待ったり、舞浜のテーマパークには絶対に行きたくないと断言してたのに、その後すぐに「行きたいな〜、行きたいな〜」と言い出したので僕から誘ったらころっと意見を変えたり。
あと、クリスマスプレゼントを交換したら二人とも同じゲームコントローラーだと分かって笑い合ったり・・・・。
また、ある時は急に登山に誘われるなどアウトドアな一面を見せられることもあれば、ある時はマンガ喫茶で半日ゴロゴロしながら、お薦めマンガを読みふけるといった、すみれの緩急が効いたところも心地よかった。
恋愛関係には進展しなかったが、それでも落ち着いて笑い合える楽しい日々を過ごし、あっという間に卒業間近となった3月のある日、すみれに多摩にある動物園に行こうと誘われた。
「最後に一度だけ狼を見ておきたかったんだよね~!」
行きのモノレールの車内で楽しそうにはにかむ笑顔を見ていると大学1年生の時に一緒に上野動物園に行ったことを思い出した。あれから一緒に色んな所に行ったなと懐かしくなった。
動物園に着き、狼のいる場所へ行く途中、なぜか急にすみれが立ち止まり猿山の前で、しばらくぼんやりと猿をながめることになった。「社会人になったら猿をぼんやり眺める時間もなくなるから」と意味不明なことを言い出したが、すみれの思考が読めないのはいつものことなのでもう慣れた。
二人で並んでぼんやりと猿を見ていると、すみれが「そういえば・・・」という感じでおもむろに切り出した。
「研修終わった後の最初の配属先、もしかしたら地方になるかも。たぶん、ほぼ確実に。」
僕は猿を見るフリをしながら横目ですみれを見たが、すみれの表情は特に動いていない。まるで事務連絡といった態度だ。
「保険会社って地方勤務多いらしいね・・・。」
僕は、事務連絡に対する答えとして当たり障りのない態度で返した。
でも、内心では大いに動揺していた。僕は今年、司法試験の予備試験に合格した。今年の司法試験もおそらく合格するだろう。でも、合格する頃には、すみれはもう側にいなくて、一緒に喜んでもらえないかもしれない・・・。
「しょうがないよね。事情がある人以外は配慮してもらえないみたい。家族の介護で東京を離れられないとか・・・。あと、近々結婚する予定があるとか。」
「じゃあ結婚しようか。」
「え?」
「え?」
僕たちは思わず目を見合わせた。急に言われたすみれは驚いて当然だが、言った僕も驚いた。
さっきまでまったく考えたこともなかったセリフが自然と口から飛び出てきたのだ。そもそも付き合っているわけでもないし、唐突過ぎる。
ただ、この言葉が口から出た瞬間、すべてが腑に落ちた。
中学三年生の始業式から、今日まで、いや、これからも続く僕の長い人生の物語。そこでずっと抜群の存在感を放っているすみれこそが、その物語の主役、いやヒロインだったんだと確信めいた思いが湧いた。
あの無色の光はそういう意味だったのか。なぜこれまで気づけなかったのか・・・。
「本気?」
だからすみれにかなり強めの詰問口調でそう確認された際も、迷わずうなずいた。
「イヤだ・・・。」
ああ、プロポーズ失敗。なんと僕の物語は悲恋のバッドエンドだったか。
そう思いながらすみれの方を見ると、真っ赤になったその顔には、意外にも満面の笑みが浮かんでいた。
「こんな猿が見てる前でのプロポーズなんてイヤだ・・・。」
ああ、そういうことかと思い、僕はすかさず、すみれの手を握り訂正した。
「じゃあ、今日のは予告編ということで本編は改めて・・・。」
「ん・・・。それなら・・・。じゃあ本編ではハガレンのラストみたいなやつ期待してるから。」
と言ってすみれは頬を紅潮させながら下を向いてしまった。顔はニヤけきったままだ。
「予告編でもせめて狼の前でロボとビアンカの話をしながらとか、もっとあったと思うんだけど・・・。猿の前とかさ、ありえないし・・・。」
すみれは、物語の見せ場なのに演出がいまいちだと思ったのか、その後も小さな声でブツブツ言い続けていたが、その頬は緩みっぱなしで演技で感情を隠しきれていない。
これからも長く続く僕の物語で、色々な見せ場で、すみれは僕の相手役を務めてくれるはずだ。
これまではうかつな僕のせいで、ほとんど相応しい待遇ができなかった。だから、これからは存分にすみれの魅力を生かした演出をしないといけない・・・そう決意して、僕の物語のヒロイン役に笑いかけた。
修治の視点からは運命の人と整理されたが、すみれはいったいどう思っているのか?すみれ視点の物語もぜひご覧ください。