3.有頂天と転落
五月の下旬、僕が所属する社会問題研究会では、学祭の企画の一つとして農業をテーマにしたシンポジウムを開催した。
パネリストとして与党の農水族の国会議員、農林水産省の官僚、テレビで見る社会派コメンテーターなどの錚々たる面々が登壇していたが、その中に城内美野里さんがいた。
美野里さんは、僕たちの大学のOBで学生時代に小規模農家と飲食店を直接マッチングする新商流のサービスを柱とした会社を起業し、いまや上場直前まで育て上げた注目の若手経営者である。
その美貌と知性あふれる語り口から、意識が高いと言われる若者を中心に崇拝に近い人気があり、テレビ番組などで取り上げられることも多い。
この日、僕は裏方として舞台袖からシンポジウムの様子見ていたが、スポットライトに美野里さんのトレードマークである白いスーツが映えて、美野里さんが発言をする度に、そこだけ別世界のように光り輝いて見える。
いや、単に照明だけではない。僕の目には、美野里さんから放たれる、ゴージャスな金色、情熱の赤色、知性の青色、成長の緑色などの多彩な光がはっきり見えた。こんな多種多様な光を放つ人、はじめて見た!!!きっと、あらゆる才能と可能性を持つ本格的なサクセスストーリーの主役に違いない。
「1年生たち、城内さんが少し話をしてくれるって!ぜひ挨拶させてもらうといいよ。」
シンポジウムが終わり、控室で美野里さんに挨拶していた先輩が僕たち1年生に声を掛けると、人脈に飢えている1年生が美野里さんの周りにわらわらと集まっていった。僕もつられてそちらに足を向ける。
「城内さん!ずっと尊敬してました!これ、わたしの名刺です!」
「ありがとうね。頑張ってね。」
「城内さんの会社でインターン募集してませんか?無給でもいいのでぜひ!」
「ごめんね。今は募集してないの。募集することになったら声をかけるわね。」
城内さんは、にこやかな笑顔で集まって来た学生と丁寧に一言ずつ言葉を交わしながら名刺交換をしていた。
やがて僕の番になった。僕が城内さんの名刺を受け取って、ごにょごにょと自己紹介して、「ありがとうございます。」とだけ言うと美野里さんは僕をじっと見つめてきた。
「あなた、名前は?」
「あっ、ごめんなさい。若林修治です!」
聞こえなかったのかと思い、今度ははっきりとした口調で自己紹介すると、「そう、若林くんね。覚えたわ。」とつぶやきながら、美野里さんは次の学生との名刺交換に移っていった。
美野里さんから僕宛にメールが来ていることに気づいたのは翌朝のことだった。
『小さなつながりも大切にすればいつしか広い人脈につながる』が口癖の先輩の指示で、簡単にお礼の言葉を書いただけのメールを送ったのだが、それに対して、次のような返信が返って来たのだ。
『若林くん、 こちらこそありがとう。もし興味があればうちの会社に見学に来ない?城内美野里』
社会人との交流経験が少ない僕にとって、このメールにどう反応していいのかわからない。クエスチョンマークで終わっているから返信しないといけないのだろうか?
でも、真に受けて会社見学に行きたいとか言ったら社交辞令もわからない世間知らずだと思われないだろうか?
さんざん悩んで、きっと他の社会問題研究会の1年生にも同じメールが届いているだろうと思い、サークルのたまり場に行って相談することにした。
ちょうどたまり場には片岡くんがいた。片岡くんは学生のうちに起業することを目指しており、学生時代に起業に成功した美野里さんを尊敬していて、昨日も無給でもいいからインターンに採用して欲しいとお願いしていた。
「いや、まだ僕のところには返信は来てないよ。お礼のついでにインターンの件もお願いしたんだけど。きっと忙しいんだろうね。」
ちょうどそこに別の女子学生がやって来た。昨日、真っ先に名刺交換に行った彼女は「社会貢献」が口癖の社会派である。
「返事?もちろんもらってないよ。ああいうメールには返事がないのが当たり前だし、気にしちゃだめよ。」
その後やって来た2年生の先輩にも聞いてみたが、やはり美野里さんから返事はなかったらしい。
んん?どういうことだ?なんで僕だけに返信が?もしかして・・・。
この瞬間、トクンッ!と、僕の心臓が跳ね上がるのを感じた。
僕だけ特別扱いされている。僕だけ選ばれたんだ。この気持ちは中学の頃に味わったあの快感に似ていた。
ーー
「若林修治です。本日は貴重な機会を与えていただきありがとうございます。」
「よく来てくれたわね。じゃあ会社を案内するわね。」
僕は悩んだ末に美野里さんにメールを返信し、日程調整を経て、彼女が経営している会社を訪問した。てっきり、誰か若い社員が案内してくれるのかと思ったが、社長である美野里さんが自ら案内してくれて驚いた。
「うちの会社は、非常勤も合わせると300人近い社員がいるんだけど、希望者は在宅でリモート勤務にしているわ。でも、なるべくオフィスに来て欲しいから居心地のよい空間にするよう心掛けているのよ。」
美野里さんの会社は六本木にある高層ビルの24階にあり、天井が高く席の配置も余裕があって、開放感のあるオフィスはいかにも過ごしやすそうだ。社員もみんなラフだがセンスを感じる服装をしており、スタバのカップを脇に置いてノートパソコンに向かったり、ガラス張りの会議室でウェブ会議をしている姿は様になっていてかっこいい。端の方には外国人と英語で立ち話をしている人もいる。
「すごいですね~。社員を大事にする令和の最先端企業って感じですよね~。」
そんな月並みな感想しか言えない僕にあきれることなく、美野里さんは1時間以上も僕に付きっきりで会社を案内してくれた。しかも、その日の夜は僕のためにイタリアンダイニングを予約してくれていた。
「それで、どうかな?うちの会社、どう思った?」
個室で僕と向かい合った美野里さんは、いかにも余裕のある大人らしい笑顔でワインを口に含んだ。
「将来、あんな素敵な会社で働けるといいですよね。3年生になったら就職活動でまた訪問させてください。」
「もし君さえよければ、すぐにインターンとして来てくれてもいいよ。もちろんアルバイト代は出すからさ。」
美野里さんは、余裕のある笑みを崩さないまま、少し身を乗り出して僕の顔を覗き込んできた。
「えっ?いいんですか?でも、うちのサークルには他にもインターンを希望していた学生がいましたけど・・・。」
僕よりもずっと優秀そうな片岡くんとか・・・という言葉は飲み込んだ。
「私は君だから誘っているんだよ。意識高いフリをしてスレてる学生よりも、ゼロから育てられそうな君の方がよっぽど魅力的だよ。」
彼女の言葉と妖艶な微笑みにとらわれ、僕の背中にぞくっとした快感が走り、気づけば翌週からインターンとして働くことが決まっていた。
インターンとしての仕事はさして大変ではなかった。たまにパワポとかエクセルの資料作りといった簡単な仕事が割り振られるだけだった。
ただ、美野里さんは機会があるたびに、僕を色々な場所に連れて行ってくれた。
有名企業の幹部との会食、若手経営者との交流会、政治家との懇談会、僕一人ではすれ違うことすらあり得ない人をたくさん紹介してもらい、美野里さんの会社で作ってもらった名刺を交換した。
しかも、美野里さんは、僕と二人だけで話す機会もたくさん作ってくれた。彼女の話はスケールが大きく、考えたこともない独自の視点から世界を分析して、いつも刺激的だった。
ある日、僕がふと「いつか僕も美野里さんみたいに物語の主役になれるんでしょうか?」と漏らしたら、「きっとなれるよ。わたしが育ててあげる」と言ってくれたこともたまらなく嬉しかった。
「若林くんは、まだ20歳前だし、あまり夜にお酒を出す店に連れ回すのはよくないよね。デリバリーだけど、うちでごちそうしようか?」
ある日、美野里さんからこう言われた時も、僕は何の違和感もなく受け入れ、その後はちょくちょく美野里さんのマンションに招いてもらうようになった。そして、そのまま自然と美野里さんと恋人のような関係になった。
やっと僕に相応しい相手に巡り合えた!僕をもっと高みに押し上げる役を与えてくれる人に!!
この頃の僕はまたしても有頂天になっていた。
しかし、この頃からである。美野里さんが徐々に別の顔も見せるようになってきたのは。
「最近、お忙しいんですか?」
その日、久しぶりに美野里さんのマンションに遊びに行ったのだが、以前に訪れた時とは異なり、スーツなどの衣服が床に脱ぎ散らかされ、シンクには洗っていない食器がたまっていた。テーブルの上にもコップを置いた跡が残っていた。
僕は、美野里さんがそういう隙のあるところを見せてくれたことが微笑ましくて笑いかけたのだが、その瞬間、美野里さんは表情を凍り付かせた。
「しょうがないでしょ!!!学生と違って暇じゃないの!!!文句があるの?」
美野里さんは目を吊り上げて金切声をあげて僕を睨みつけてきた。
普段の大人らしく余裕のある雰囲気との落差に恐れおののき絶句していたが、美野里さんはそんな僕に構わずドスドスと足音を立てて寝室に入り、バタンッと大きな音を立てて扉を閉めてそのまま出て来なくなった。
僕は突然の怒声にドキドキしながらダイニングで小さくなって座って、美野里さんが出てくるのを待っているしかなかった。そろそろ終電近くなってきたので、寝室の扉をノックして「もう帰りますね」と伝えると、やっと扉が開いて寝室に招き入れてくれた。
翌朝、昨夜の様子とは一変して、むしろいつもよりも優しくなっていたが、あまりの機嫌の温度差に体調を崩しそうになった。
また、次に会った時、「お詫び」とだけ言ってフランスにある有名ブランドの紙袋を渡してきた。中身は名刺入れだったが、家に帰ってから調べると10万円以上する品物で仰天し、とにかく恐縮した。
それからも美野里さんは、定期的に怒りを爆発させ、その次の日には一変してしおらしくなり、そしてお詫びに何か高いプレゼントを買ってくれるというルーティンを繰り返すようになった。
急に豹変する態度や振れ幅の大きい感情変化、それに凄みのある怒声も怖かったけど、その後にくれる高価なプレゼントも、何とも言えない負い目や罪悪感を感じさせ、心に重くのしかかった。
「若林くん、すご~い!こんな有名人と会ったの?」
「へ~っ、すごいじゃん・・・。」
美野里さんとの関係には徐々にストレスを感じるようになっていたが、この頃の僕には楽しみもあった。
インターンの合間に、美野里さんに作ってもらったオーダーメイドのスーツを着て、社会問題研究会のサークルのたまり場に行くことだ。
もともと社会問題研究会では、定期的に情報交換会と称して、社会人と交換した名刺を見せ合い、人脈を自慢し合うカードバトルゲームが開かれていたのだが、美野里さんから色々な人を紹介してもらえるようになってからというもの、僕は無敵である。
美野里さんに買ってもらったブランド物の名刺入れから、有名企業の社長や横文字のいかめしい肩書の有名人の名刺を取り出して見せた時の、みんなの驚愕と感嘆のため息はどんな音楽よりも心地よい。
「若林にはかなわないよな~!!俺も頑張ろっと!」
「うらやましいな~!わたしにも会社の人を紹介してくれない?」
賞賛や羨望そんな反応は僕の自己顕示欲を充たしてくれる。
「名刺だけ交換しても意味ないよ・・・。自分に価値がなければ相手にされないって。」
「・・・・・・。」
批判的な意見、無関心な態度を示された時ですら、彼や彼女の心の中の嫉妬や葛藤が透けて見える気がして僕を満足させた。
たとえそれが正論であっても僕の心には届かなかった。
これら友人の反応は僕の過剰な自意識をさらに肥大させる栄養満点の餌でもあった。
だから、自分でもおかしいと感じながらも、もっと評価が欲しい!もっと賞賛や羨望の視線が欲しい!そんな底のない承認欲求の沼にはまり、いつしか抜け出せなくなっていた。
★★
僕が少しずつ我に返り始めたのは、9月に入って受けた春学期のテストの惨憺たる結果を見た時からだったか。
美野里さんは忙しい人で、会える時間が限られていたが、その分、僕の都合を考えずに呼び出すことが増えていた。
深夜にマンションに呼び出されることがほとんどで、たまに僕が「もう遅いから」とか「電車がないから」と言って断ろうとしても、「タクシー代出すからすぐに来てよ!」と不機嫌な声で一喝して有無を言わせてくれなかった。
また、電話やメールにすぐに応答できなかった時も怖かった。決まって「暇な学生なのに、なんで忙しい私からの電話に出られないの?」「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」などと不機嫌な声で詰められ、僕は神妙な態度で怒りが通り過ぎるのを待つしかなかった。
美野里さんに会っている時はいつ不機嫌になるのかと内心でビクビクしながら怯え、会っていない時でも、いつでも呼び出しに応じられるよう、ずっとスマホを手に持って待機していなければならない。そんな日々は僕にとって精神的なプレッシャーとなり、夜もよく眠れず、昼は朦朧として、とても勉強どころではなくなっていた。
「あの・・・学業に支障が出ているので、ちょっと関係について相談させて欲しいのですが・・・。」
ある日、僕は、美野里さんのマンションで、機嫌の良さそうな時を見計らって勇気を出して切り出してみた。
「ああ、もちろん試験前とかはインターンを休んでいいのよ。修治の本分は学業なんだから。」
最近、美野里さんは大きなプロジェクトが一区切りついたことで機嫌がよく、この日もシャンパンを飲みながら、余裕のある笑顔を見せていた。
「いえ、インターンの方じゃなくて・・・、その今日みたいに夜中に電話をかけてきて、呼び出されるのを・・・ちょっと控えてもらえないかなと思いまして。」
「どうして?」
美野里さんは急に真顔になり、トンッと音を立ててシャンパングラスをテーブルに置いた。
「いつ呼び出されるかと思うとよく眠れませんし、それで勉強に集中できなくて・・・それで・・・。」
「なに?私に会いたくないって言うの?」
美野里さんの声が張り詰め緊張を帯びてきた。目も吊り上がってきている。これは失敗だったと悟ったが、ここで話を止めるわけにもいかない。
「いえ、僕も美野里さんに会いたいです。だけど、突然深夜はなるべく避けてもらえると。」
「忙しい私が君のために時間を作ってるのに不満なの?」
美野里さんの眉が吊り上がり表情が歪んだ。
「いえ・・・そういうわけでは・・・。」
バンッ!!
美野里さんが平手でテーブルを叩き、物凄い剣幕で一気にまくしたてた。
「あのさ、私が君くらいのころは、大学に行きながら起業の準備をして、それこそ寝る間もないくらい働いたわよ。早朝でも深夜でも出資者や取引先から呼び出しがあればどこへだって駆け付けたわよ。なに?私がそんなに無理言ってる?甘え過ぎじゃないの?そんなんじゃ社会に出てやっていけないよ!」
「あっ、はいすみませんでした・・・。でも現実に学業に支障も出ていまして・・・。」
「なにそれ!それが私のせいだっていうの!!」
美野里さんはそう言うと、テーブルの上のシャンパングラスを僕の顔に向かって投げつけてきた。グラスは僕の顔に当たって割れ、瞼が切れて出血が止まらなくなった。
なんとか救急病院を見つけて縫ってもらうことができたが、医師にはあと1センチずれていたら失明していてもおかしくないと言われた。
美野里さんは、翌朝にはまた豹変して、猫なで声で平身低頭謝ってくれた。数日後には有名ブランドのバックをプレゼントしてくれたのだが、そのバックの値段を調べたら僕の大学の1年分の学費よりも高く、思わず身震いしてしまった。
その後も美野里さんからの深夜の呼び出しや連絡は止まらず、むしろ頻度は徐々に増えいった。
また、あれ以来、呼び出しや連絡について話を切り出そうとすると、それまでどんなに機嫌が良さそうでも途端に美野里さんの表情が険しくなるため、話を切り出すことすらできなくなった。