第88話 潮時
何度もマリアンネ様と私に実家の件を確認した後。
殿下は2人ともこの意見が本音だという事を、ようやく理解したようだ。
話を次に進める。
「さて、今回の件につき、ここにいる全員に叙勲がある。具体的にはアンには王国宝璽侯章、それ以外は王国宝伯章を授与する予定だ」
おい待て殿下。
「宝璽侯章は重すぎますわ」
イワルミア王国の勲章は被授与者に対し、爵位持ちの貴族当主と同等の格式を授与する。
宝璽侯章なら侯爵と同等、宝伯章なら伯爵と同等だ。勿論一代限りだけれど。
相応の歳費も毎年国庫から支出され、授与される。
無論その額は実際の侯爵なり伯爵なりの領地からの収入と比べれば低い。
それでも王都に豪邸を維持し格式にあった貴族としての生活を営むには十分すぎる額だ。
「国王陛下はそう思ってはいないようだ。実際今回の事案は近衛騎士団及び第一騎士団の総力をかけて当たるべきものであっただろう。またそうした際の被害も相当なものであった筈だ。その際に要した費用を考えれば大した事がないだろう。また毎年支出する歳費についてもあてがある」
きっとその辺は、今回役に立たなかった貴族共から取り上げた分で賄うつもりだろう。
その措置についてはやぶさかではない。
でも正直、私自身としてはあまり厚遇して欲しくないのだ。
厚遇されればされる程、逃げ出しにくくなる。
私は地位が欲しいのではない。自由が欲しいのだ。
「私達は貴族ですし、ある意味国の危機の為に動くのは当然です。ですのであまりそういった事はなさらなくてもよろしいかと」
おっと、マリアンネ様がそう言うとは思わなかった。
先程の実家についての言といい、何かマリアンネ様に親近感をおぼえてしまう。
しかしマリアンネ様の台詞を聞いた殿下は渋い顔をした。
「貴族の皆がそう思ってくれると大変有難い。だが現実はそうではなかった。だからこそ今回の事案で立ち上がった者を称揚し厚遇する必要がある。王族や貴族という存在に対する威信の為にもだ。
こちらの勝手な理屈で申し訳ない。だがそういう事で叙勲の件は受け取ってくれ。無論、街の防衛に努めた衛士や冒険者にもそれなりの褒章は与える予定だ」
殿下、何か成長したなと思う。
完全に今のは王族として、この国を統治する立場としての台詞だ。
何かゲームの時の殿下とえらく違うな。
そう思ったら急に殿下はにやりとした。
「それにしてもマリアンネも、アンと同じような事を言うのだな」
えっ、どういう事だろう。
皆の視線が私に集中する。
しかし思い当たる節はない。
「今回の件について既にいくつか報告があがっている。その一部を見せてもらった。なんでもアン。冒険者ギルド支所で冒険者やギルド員の前で一席ぶったそうだな。その報告書がここにある。何なら皆、読んでみればいい」
おい待て殿下、何でそんな事まで調べているんだ。
そう思っても、もう遅い。
おそるおそる報告書を皆の後ろから覗き込んでみる。
私と所長のやりとりが、ほぼ一字一句間違いなく記載されていやがった。
これはかなり恥ずかしい。
あの時は憤りに任せてやってしまった。
しかし冷静になってやりとりをこう文面で見てしまうと、顔面からファイアーな気分になる。
「アンらしいにゃ」
「そうだよね。でもわかるな」
「確かにこれぞ貴族の矜持という感じです」
「素晴らしいですわね」
なおマリアンネ様は無言だった。
表情を見ると笑いをこらえている感じだ。
おい待てマリアンネ様。お前に私を笑える権利はない。
お前だって現場にいればきっと同じ事をやっただろう。
今なら何となくわかる。マリアンネ様と私、アンブロシアは似ているのだ。
境遇も、そしておそらく考え方も。
だからこそ殿下を巡って張り合ったりもした。
身分に甘えず勉強や術科に対して取り組んだ。
だからこそうざいとも思ったし、面倒な相手だと思ったのだ。
さて、それはそれとして。
叙勲なんてされて祭り上げられたら、間違いなく逃げられなくなる。
実家の影響力が消えるのはいい。
しかし今度は国とか王家にがんじがらめに捉えられてしまう。
潮時だ。そう私は悟った。
リリアやナージャと別れるのは辛い。
リュネットやナタリアといちゃいちゃできなかったのは心残りだ。
しかしこれ以上ここにいるのは無理だ。
逃げられなくなる。
幸いポーション類は、まだ半分以上残っている。
当座の資金もある程度は所持している。
冒険者としても一流とみなされるB級にまで昇級した。
名残惜しいけれど、ここから逃げ出そう。
皆の顔を見ながら私は決心した。
「そう言えば昨日、戦闘が終わった後にアンが使った移動魔法。最初の偵察隊やギルド出張所長にも使ったあの魔法だ。あれについても少し聞きたいのだが、いいだろうか」
おっと殿下、それは聞かぬが花という奴なのだ。
実際はそれほど風流な訳では無く、サクラエ教官に口外無用とされたのだけれども。
「申し訳ありません。あの魔法についても秘密なのですわ」
逃げ出す理由がもうひとつ増えてしまった。
◇◇◇
昨日の今日なので迷宮活動はお休みにしよう。
そう皆に提案して寮の自室に帰った後、私は学校へと舞い戻る。
逃げるとなるとやはり、それなりに準備したい事があるからだ。
ポーション類とかは、そこそこ大きな街なら何処でも購入可能だろう。
武器をはじめとする装備や日常生活用品もだ。
一人で野営できるだけの装備も既に購入して自在袋にしまってある。
お金も小遣いと今までの活動で貯めたものがそこそこ。
ポーションや装備の購入でかなりの額が消えたけれど、それでも中の上程度の宿なら半月は泊まれる程度はある。
今の居場所を離れて最も得にくくなるもの、それは知識だ。
ここイワルミア王国の魔法や学問のレベルは周囲の国と比較すると標準程度。
それでも私が入手していない魔法やスキルは結構ある筈だ。
そして此処王立学園サクラエ教官の研究室は、ある意味最先端。
他では得がたい有用な知識が本棚にわんさか詰まっている。
本当は本棚の中身全部を自在袋を束にしてぶち込んで行きたい。
しかしそんな事をしたら、怖い怖い特級冒険者に地獄の底まで追われかねない。
だから持ち出しのかわりに書写させて貰う。
時間がないので役に立ちそうなものだけだ。
具体的にはサクラエ教官にワンポイントアドバイスで教わったものが中心となる。
手順込み魔法のより高度な理論の論文とか、主な神器について調査した資料とか、一般に知られていない超上級魔法の論文とか。
書写と言っても手で書き写すわけではない。
書写魔法という便利な魔法がある。
前世でいうところのコピーだ。
左側にコピー元を置き、右側に紙束とインク壺を置いて、魔法を起動してページをめくれば写しが出来上がっていく。
書写魔法を使っても時間は惜しい。
何せ私、今日中には出て行くつもりだから。
叙勲されてしまうともう逃げられない。
そして叙勲の日程がわからない。
明日とか明後日とかではないだろうけれど楽観視出来ない。
新たな街へ行った後、宿をとる事を考えると、出るのに最適な時間は午後3の鐘あたり。
だからその時間になったら、書写を終えて脱出しよう。
そう思うと正直かなり寂しい。
リリアに出る前に一度挨拶に行こうか。
しかしそうすると出られなくなってしまいそうだ。
リリアが止めるのではなく、私の心がリリアと離れる事を拒否してしまうという意味で。
それでも黙って行く訳にはいかない。私は思い出す。
リリアとは約束をしたのだ。黙ってでていかないと。でも、私は……
いかんいかん。リリアの事を考えると決心がにぶる。
ここは心を無にして作業を続けよう。
意識して機械的にページをめくる。
貴重な論文の端に水滴が垂れた。
あれ、何でこんな処に水が。
これは涙か。なら私は何故泣いているのだろう。
ちょうどその時だった。
研究室の扉がノックされたのは。




