第29話 忘れていた予定
天ぷらはつゆ共々好評だった。
「草は苦手にゃのだけれど、これは美味しいにゃ」
「だよね、この葉っぱは結構苦い筈なのに」
そうそう、天ぷらにすると苦い葉っぱモノほど変わるのだよ。そう思いつついよいよ蕎麦打ちにとりかかる。
つなぎと蕎麦粉の割合は今回4対6にした。
本当は10割蕎麦は無理でも、二八くらいにはしたかったのだが、ここの蕎麦粉と小麦粉の質がよくわからない。だから少し安全策をとったのだ。
それでも5対5にしなかったのは私の気分。
なお今回の加水率は4割よりちょい多め。この多めの水分も安全策。
丁寧に水回しをして全体がボロボロ状態になった後、蕎麦玉をつくる。
今回は8人だけれど、ナージャとリュネットがよく食べるのでかなり多め。
余っても自在袋に入れておけば時間経過がないから悪くならない。
さて、ここは麺類の無い世界だから当然麺棒も無い。
そう思ったのだがのし棒はあった。パンやクッキーをこねる際に使用する棒で、要は麺棒として流用できればいいのだ。
ありがたくこれを使わせてもらって、身体強化魔法を使いつつ伸ばして折ってを繰り返す。
最後に魔法で均等にカットしてやれば生蕎麦が完成だ。
試しに一玉ほど茹でてみる。茹で時間はおっさん時代の鼻歌1曲分。声に出しては歌わないけれど。
ざるに取って冷却魔法をかけた水で洗ったら試食用が完成。
早速つゆで食べて見る。うん、安心かつ無難な蕎麦の味。
ただ打ちたてだからか美味しい。前世と違う身体なので自信はないけれど、蕎麦らしい味の気がする。
「ちょっと試食してみたいのにゃ」
ナージャだけではない。リュネット、リリア、ナタリアと全員に注目されてしまっている。
仕方ない、というかその為にわざわざ1玉茹でたのだけれども。
さっと小鉢5つに均等に蕎麦を入れ、つゆも少々入れてと。
「こんな感じです。これがパン等の代わりになります」
あっさり無くなる試食用小鉢。
「これは変わった感じなのにゃ。でも量が足りないにゃ」
「つゆがまず美味しいよね。あとこの長細いのの食感もいいかんじ」
「この長細い方も蕎麦の香りがしていい感じですわ」
「食べた事のない形ですけれど美味しいです。もっと食べたくなります」
そうだろそうだろ、そう思った時だった。
コンコン、控えめなノックの音がして、キッチンの扉が開く。
「失礼します。そろそろご主人様がいらっしゃると思いますので……」
ワレリーさんが申し訳なさそうな顔をしている。
そう言えば今日は伯爵が挨拶に来るのだった。
至急身なりを整えて着替なければ。私がそう思った時だ。
「折角美味しくて変わった新しい料理が出来たのです。これは是非お父様にも見ていただくべきですわ。ですからここでこのままお出迎えしましょう」
おいちょっと待ってくれリリア、それでいいのか。
そう思ったのはきっと私だけではないと思う。
しかしワレリーさんは一見平然と、いやよく見ると多少困ったような笑みを浮かべつつも頭を下げる。
「畏まりました。ではそのように致します」
おいおいちょっと待ってくれ。
「大丈夫でしょうか、それで」
小声でナタリアに尋ねてみる。
彼女に聞いたのは伯爵自身やリリアの行動も把握していそうで、かつリリア自身やワレリーさんに聞くより客観的な答えが返ってくると思ったからだ。
「気になさらないで大丈夫です。割といつもの事ですから」
そうなのか。ならば仕方ない。
「それでは伯爵の試食用に準備をしておきましょう」
幸い麺も天ぷらもつゆも大量に作ってある。
小ぶりの椀を2つ、小皿1つを用意し、椀の片方にさっと茹でてしめた蕎麦。
椀のもう片方にはほどよく薄めた汁。小皿に天ぷらを鶏天、しそっぽい葉の天ぷら、キノコの天ぷら、茄子の天ぷらと4種載せたセットを作成。
ちょうどいいお盆ごとキッチン備え付けの自在袋へと投入。
「今のセット、おいしそうにゃ」
「夕食の時はもっと大盛りで出しますわ」
食意地の張った猫は軽くあしらっておく。
それにしても正直、こういう状況で面会するというのははじめてだ。
私、本来のアンブロシアは、こういうイレギュラーな状況は苦手だ。
ただ中のおっさん成分が『何とかなるぜよ』とやっているので、緊張で震えるなんて事なく済んでいるけれど。
なお中のおっさんも本来は対人関係は苦手。
しかしお役所の窓口業務なんてのを長年担当したおかげで、妙なのと変なのとに対応する事は慣れている。
中のおっさんは福祉の窓口の責任者として、日本人なのに日本語が通じない相手とか、若い職員に担当させられないのを主に対応していた。
だから訳のわからないのに対する度胸だけはある。
そのせいで若干心を病んで、結果的に早期退職したなんて事実もあるけれども。
キッチンは一通り片付いている。試食セットは食器類ごと入れてすぐ取り出せる。
入れた物の時間経過が無いという自在袋の特性により、打ちたてゆでたての蕎麦と揚げたての天ぷらという最高の具合になっている。
味も特上という訳では無いけれど、半日で再現した割にはよく出来ていると思う。
つまり出来たものには問題はない筈だ。
キッチンは片付け清掃済み。この状況下としては身なりも整え済み。
つまり私が出来る事はもう何もない。
あとははリリアに任せるしかないだろう。なるようになるしかない。
召使いのように立って待っているのも何だろう。
だからキッチン内にあったテーブルセットでお茶をしつつ待つ。
外、家の玄関付近で気配が止まったのがわかる。この辺は魔力検知の応用だ。
人が動く。2人が家に入ってくる。
1人は迎えに出たワレリーさん。もう一人は知らない反応。これが多分マーレスタ伯だろう。
中のおっさんがヤバそうな相手と応対する前に唱えた呪文を声に心の中で呟く。
『覚悟完了! 当方に迎撃の用意あり』と。




