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じわじわ婆さん

作者: 桜井 裕之
掲載日:2024/12/10

吉岡照夫はその日、今年の春に小学生になった息子の克彦を伴って、つかの間の休暇を終え新幹線で東京にある我が家へと向かおうとしていた。多くの人がお盆休暇でその帰りだったため、新幹線の中はわりと混雑していた。列車内に入った途端にひんやりとくる涼しさ…照夫はこの瞬間が好きだ。克彦がどんどん先へ進もうとする。

「カツ!そんなに急ぐなぁ、おっ、ここ空いてるじゃないか、よし、ここにしよう」

照夫は克彦の手を引っ張って通路側の席に向かい合いながら座った。窓側にはすでに先客が座っていた。照夫はため息を漏らしながら駅前で買った週刊誌をパラパラめくりながら背もたれに腰を深く置いて座り込んだ。一方、克彦は座るやいなや足をバタバタさせ座席から滑り落ちるのではないのかと思いたくなるほど前のほうに浅くチョコンと座る。

窓を見ると夕闇が立ち込めていた。(家に着くのは何時ぐらいになるかな…)照夫はふとそう思いつつ手にしていた週刊誌を閉じて上にある荷物台に置いた。克彦は少し暇そうな顔で相変わらず足をぶらぶらさせている。食事を済ませておいてよかったと照夫は思った。家に着く頃には風呂に入り、後は寝るくらいだ。

「どうだカツ、疲れたか?いっぱい遊んだからなぁ」

「うん。でも大丈夫だよ、まだまだ歩けるし」

窓側を見れば空はさらに暗くなっていく。建物の灯りがちらほらと目立っていき、それらはパラパラと光り始めた。照夫は座席にもたれ少し仮眠をとることにした。各駅ごとにバタバタと人が乗り降りする足音が仮眠中の照夫の耳にはなぜか心地よく聞こえた。


どのくらい時間が経っただろうか…照夫はうっすらと目を開け、眠ってしまったことに気付いた。窓側の外の景色を見ればすっかり夜になっていた。ふと、正面を見ると克彦が座っている座席の通路側…70歳くらいだろうか?一人の女性が克彦のすぐ横にある肘掛けに寄りかかっていた。いや、寄りかかるというより後ろ向きになって腰掛けていたのである。克彦の顔にくっ付くのではないのかというくらい女性の尻が克彦の耳のすぐ傍にあった。しばらく見ているとその女性の尻がぐいぐいと克彦の頭に向かっていた。

(婆さん…ちょっと、寄りかかりすぎだって)

照夫はちょっと気になってきた。時間が経つにつれてその「尻」は克彦の頭に近づいていき、そしてついに尻と頭が当たり始めた。

(気のせいだよな、たまたま婆さんのお尻が滑るかしてそうなったんだろう)

照夫はそう思うことにして再び仮眠しようと目を閉じた。だが、やはり気になる。うっすら目を明けると女性の尻、いや、腰全体が完全に克彦を圧迫している。克彦が何かを訴えかけるような眼差しで照夫を見ている。

(父さん、助けて)

照夫は何かそんな克彦の心の声を聞いたような感じがした。ふと窓際を見ると向かい合って座っている2人の客は寝ている。反対側の通路の向こうの座席の客達はスナック菓子を口に入れながら談話しており、こちらに気付く素振もない。立っている客はまばらで顔色変えず立ち尽くしたままだ。つまりこの女性がいま行なっている暴挙を知っているのは父と息子の2人だけだ。

照夫は思った。ここで父としての威厳を見せるべきではないかと。実の息子が席を乗っ取られようとしている…ふと照夫は女性の顔をよ~く覗いてみた。かなりの強面であり、ちょっとでも絡むと突っかかってきそうで面倒くさそうに思えた。しかし先に絡んできたのはこの女性のほうだ。こっちは何も悪くないのだ。

(どうしよう、このままにしておけない、何とかしないと)

そう思いつつも照夫が何もできないでいると、ついに女性の尻がずり落ちて克彦の横に座る形となった。つまりひとつの座席に2人が並んで座っている状態。窮屈なのは2人とも同じだろうが女性に比べて体の小さい克彦が圧倒的に不利だ。克彦が悲痛な表情で照夫を見ている。息子の顔色に溜まりかねた照夫はグッと目で正面にいる女性を睨み付けた。そもそも女性はソッポを向いている。しかししばらく睨み付けていれば自分の「目力」に気付くだろう…と照夫は思った。

しかし一向に気付く気配がない。(いや、待てよ)照夫はふと思った。この女性は占領しようとする座席にいる子供の父親が自分であることを知っているだろうか?窓側には2人の男が眠っている。年齢は2人とも照夫と同じくらいか、あるいはもっと上だ。女性からみて向かい側ではなく子供の横にいる窓側の男を父親だと思っている可能性が高い。その男が眠りこけているものだからその隙をうかがったのではないのかという推察ができる。

だとするとまずは自分が占領された子供の父親であることを宣言する必要がある。あとはちょっと勇気を持つだけだ。相手が何であれ人の席をぶんどるのはいけないことだ。正義は自分の側にある。そう判断した照夫はなにげなく克彦に声を掛けた。

「どうした克彦、うかない顔してぇ~なにか嫌なことでもあったか?」

嫌なことも何も見ればわかるだろうと自分の言った言葉に変な言いがかりを付ける照夫だが、まずはこの一声で女性にたいし、自分が子供の父親であることを分からしめることができるはずだ。だが照夫は女性の顔に目をやると少しがっかりしてしまった。女性はとくに変わった様子はなく、相変わらずソッポを向いている。(効果が足りないのか?そうだな、一言だけではなぁ)

「なぁ~カツ、家に帰ったら母さん何してるかな?晩御飯なんだろうな…」

「……」

「よし、父さんはカレーに賭けよう、たぶんカレーだ」

「……」

克彦に返事がない。向かい側には2人がひとつの座席に座っている状態。というか克彦が席の端から今にもこぼれ落ちそうな形で座っている。一方の老婆はまったく気にしていない様子。

「そうだ、家に帰ったらスイカ食うか、まだ冷蔵庫に残ってるだろう」

「……」

「どうだカツ、父さんの生まれ故郷でのお盆休み、楽しかったか?」

「……」

返事がない。しかし克彦は正面にいる照夫の顔を切羽詰った表情で見ている。その克彦の表情に動かされ照夫は突き動かされるように言葉が出た。

「こっち来るか、カツ!」

「うん!!」

その瞬間、克彦は席からこぼれ落ちるように降りて照夫の方に行き照夫の膝の上に座った。

(しまった!つい、うっかり口に出してしまった…)

すると女性は体制を整えるかのようなしぐさをして席を完全に占領した。さらに克彦が移動したことによる物音で窓側の席に向かい合って座る2人の男が目を覚ました。この男達は親子と正面に座る女性との間に何が起こったか知らない。まもなく東京に到着するとの知らせのアナウンスが流れた。

(そうか…そういうことか)

照夫は思った。これが理想のフォーメーションではないだろうか。お互いが向かい合った4つの座席、窓側に2人、通路側に老婆と子どもを膝に乗せた若い父親…

(いいじゃないか、これでよかったんだ…)

何がよかったのか?しかし照夫はそう思うことで心にゆとりを持ちたかった。


東京駅に到着。親子は新幹線から降りた。後ろから何やら声が聞こえる。

「なあ母さん、東京は何年ぶりだよ、ずいぶん無理してるんじゃないのか?」

「何言ってるんだよ、体が動けるうちは何処へでも行くさぁ~ね」

照夫は「えっ!」と思い、ちょっとだけ振り向くと向かい側に座っていた男と息子の座席を奪った高齢の女性だった。

(なんだ…親子だったのか。すると我々が空いていると思っていた席はもともと女性が座っていたのかな?ちょっとの間、どこかへ出かけていただけだったのか)


照夫をそう思うと苛立っていた気分が少しずつ解けていった。それどころか悪いことしたような気分になってしまった。

「カツ!家に帰る前にどこか寄っていくか、オモチャでも見に行くか?」

「うん」

2人はすっかり暗くなった夜の街に溶け込むように消えていった。
































































































































































































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