33.理由、そしてガーゴイル
『全隊ッ!! 互いの背後をカバーし合うように円陣を組めッ!!馬車には魔物一匹たりとも近づけさせるなッ!!』
『ハイッ!!』
猛々しい号令とそれに呼応した騎士団たちの声が、遮音性に秀でたキャビンの壁を易々と貫通してアイリスの耳を震わせた。
だがその声色に勇猛果敢な気勢はなく、どちらかといえば襲い来る恐怖を必死に押し殺そうとするかのような悲壮感で支配されているように思える。
ガシャガシャッと白金の鎧を鳴らしながら、自身が乗車している馬車の周囲を囲むように隊列を組む気配を感じ取ったアイリスは、胸の前で祈るように手を組み合わせると、瞼をぎゅぅっと強く瞑った。
(だいじょうぶ‥‥‥っ、だいじょうぶ‥‥‥っ)
呪文のように心の内で何度も唱え続けるアイリス。
だがそんな思いとは裏腹に、外部から劈く爆破音や鉄と鉄がぶつかり合う金属音は、否応なくその苛烈さを増していく。
『グギャアアアアアァァァッ!!!』
「──ぅっ!!」
外から轟いた悍ましい咆哮に、引きつったような悲鳴がアイリスの喉奥から漏れ出た。
「大丈夫ですよアイリス様。今の狂声は騎士団の方が放った魔法が魔物を仕留めた声です。心配はいりません」
「‥‥‥っ、そ、そうですよね‥‥‥。ありがとうございますミレイナ様」
アイリスは気丈に振る舞おうとぎこちない笑顔を浮かべるが、その表情には拭い切れない恐怖が色濃く滲んでいる。
それもそのはず。薄い鉄の扉一枚隔てた向こう側では、今現在も騎士団と五十を超える魔物の戦闘が行われているのだから。
当然王族であるアイリスに魔物との交戦経験などあるはずもなく、ましてやこのような混沌とした戦場に自らが身を置くなど想像すらもしたことがなかった。
そんな彼女がかろうじて平静を保っていられるのは、王族としての矜持、そして目の前で優しく微笑みかけてくれるミレイナの存在に他ならない。
(本当に、なんて情けない‥‥‥)
アイリスは心の中で自虐的な言葉を吐くと、自身の不甲斐なさを呪うかのように唇を噛み締めた。
「ミレイナ様は怖くないのですか? このような状況、私ならとても耐えられそうにありません‥‥‥」
「そうですね‥‥‥。確かに私も怖くないと言えば嘘になりますが、最低限の自衛手段は持ち合わせていますし、いざとなれば魔法だって扱えます。それにこれでも多少は腕に覚えがありますから」
そう言って柔らかく微笑むミレイナ。だがアイリスはそんな彼女に対してどこか申し訳なく思うと同時に、明確な劣等感を抱かずにはいられない。
「どうして‥‥‥」
そんな時だ。アイリスの心内で紡がれていた一言が唐突に口を衝いたのは。
「え?」
「どうしてミレイナ様は、そんなに強く在れるのですか? 怖いものは怖い。死ぬのは嫌だと口に出しても良いはずなのに‥‥‥」
アイリスは緊張や焦りで小刻みに震える指先を隠すように膝上で両手を握り締めると、まるで懺悔でもするかのように胸の内を吐露した。
「私は‥‥‥っ、私は自分が情けないです! 民を守るべき王族が魔物に怯えて何も出来ないなんて‥‥‥」
そして再び下唇を噛み締めた。赤らんだ目尻からは今にも雫が溢れ出しそうであり、それを悟ったミレイナは咄嗟にアイリスの手を握った。
「アイリス様。確かに貴女の仰っていることは事実です。ですがその恐怖は人として当然の感情であり、決して恥じることではありませんよ」
「ですが──っ!」
「確かに王族という立場である以上、民を導くという義務がありますし、それ相応の覚悟も持っていなければならないでしょう。しかしだからと言って常に気を張っていては身が持ちません。それに──」
そこで言葉を区切るとミレイナはアイリスから視線を外し、その肩越しに見える馬車の外を見やった後、再び視線を戻して続けた。
「私が強いというのであれば、それはきっと心から信頼する主人がいるからです。あの方が私を信じてくれている。だからこそ私はその信頼に応えたいと思う。人は自分のために何かを為そうとすることには限界がありますが、誰かのためであればどこまでも強く在れる生き物なのだということを私は主から教わりました。だから──」
ミレイナはそこまで言うと、再びアイリスに向き直り、そして優しく微笑んだ。
「貴女もいつか、心から信頼出来る人が見つかればいいわね」
「えっ?」
突然、言葉遣いの変わったミレイナに対してアイリスは驚いたように瞼をパチパチと瞬かせると、自身の瞳に映ったミレイナの姿に疑問の色を宿す。
(何でしょう? 今一瞬だけミレイナ様のお姿が別人に見えたような‥‥‥)
しかしそれもほんの刹那の出来事。次の瞬間、馬車全体を襲った凄まじい衝撃にアイリスの思考は忘却の彼方へと追いやられてしまう。
ズズゥンッッッ──!!!!!
「きゃあっ!?」
突如として発生した横揺れと、けたたましい金属音。そして馬車全体を襲った振動により、アイリスはシートの上へと倒れ込んでしまった。
「うぅ‥‥‥っ」
「大丈夫ですかアイリス様? お怪我はありませんか?」
ミレイナが心配そうに問いかけると、アイリスはゆっくりと上体を起こして応えた。
「はい‥‥‥。私は平気です‥‥‥。ですが‥‥‥何が‥‥‥?」
『ガギャッ!グギャギャァッ!!』
耳障りな奇声と、身体の芯を揺さぶるような重低音。
それと同時に鉄製の入り口が外側から引き千切るように強引に抉じ開けられると、血だらけの魔の生き物がその姿を二人の前に現した。
『ガギャアァッッッッッッッ!!!!』
「──ガー、ゴイル‥‥‥!?」
二メートルを優に超える巨体と鋭利な刃物を彷彿とさせる爪牙。肩部から生えた不気味なフォルムの対翼が特徴的な中級クラスの魔物──ガーゴイルは、アイリスたちの姿を視認するや否や、威嚇するように大翼を空間に叩きつけると、不揃いな牙が並んだ口腔から涎を滴らせた。
『グギャギャギャァッッ!!』
「そんな‥‥‥っ」
アイリスは絶望の声を漏らしつつ、咄嗟に馬車の端へと後ずさる。
おそらく目の前のガーゴイルは自身の飛翔能力を生かして騎士団の守りを上空からかいくぐって来たのだろう。事実、馬車の周囲を囲うように陣形を組んでいた騎士団達は全員が、突然のガーゴイルの出現に不意を突かれ、戦闘態勢を整えられていない。
「お下がりくださいアイリス様ッ!」
呆然とするアイリスを庇うように前に躍り出たミレイナは右手を突き出すと魔法の発動に備える。
だが──、
(駄目です。こんな狭い空間で魔法を使ってしまえば、中にいる私たちにも被害が‥‥‥!?)
そう。キャビン内は魔法が十全に発揮できるほどの広さを有してはおらず、また馬車自体も密閉された構造となっているため、下手に攻撃系の魔法を放てばアイリスやミレイナ自身にまで被害が及ぶ恐れがある。
ゆえにミレイナは魔法は使えない。
そのことを魔物のガーゴイルが理解しているのかまでは分からないが、まるでじわじわと獲物を嬲り殺すように二人と一体の距離は縮まっていく。
ガーゴイルの重量に耐えきれなくなった床がミシミシと軋みを上げ、それがまたアイリスの精神を恐怖で蝕んでいく。
──死。
その一文字がアイリスの脳を過ぎったのと凶爪が振り下ろされたのは同時だった。
(‥‥‥ごめんなさい)
それは誰への謝罪だったのか。
逃げることはおろか、迫り来る死を直視することすら出来ずに固く目を瞑るアイリスは、せめて最期くらいは国王である父や最愛の母と言葉を交わしたかったと後悔の念を浮かべつつ、ガーゴイルの一撃を待つ
──はずだった。
『グギャアァッッッゥツッッッッッッ────!?』
「「えっ‥‥‥?」」
二人の声が重なる。
いつまでたっても自身の身体を引き裂く凶爪が振り下ろされる気配はなく、代わりに聞こえたのは甲高い呻き声のみ。
閉ざされた視界の中、脳内に大量の疑問符を浮かべながらも恐る恐るといった様子で瞼を持ち上げるアイリス。そんな彼女の瞳に映り込んだのは──
「あの‥‥‥だいじょうぶ、ですか?」
黒い髪に黒い瞳。所々が破けた黒の制服に、光すらも呑み込んでしまいそうなほどの漆黒を宿した剣。
一見して頼りない線の細いシルエットとは裏腹に、確かな実力と確固たる覚悟を内側に秘めた一人の少年が、二人を襲わんとしていたガーゴイルをいとも容易く斬り伏せ、心配げにこちらを覗き込む姿だった。
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