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31.追憶、そして変異

 六年前の、レイコルトの記憶。


 兄弟子であるジーク・アーカルドと(たもと)を分かつ切っ掛けとなった惨劇から数か月が過ぎた。


 肉体的な傷は癒えた。重症ではあったものの、幸い身体(しんたい)に欠損はなく、レイコルトの肉体は以前と遜色なく機能している。


 だが、信じていた者に裏切られた心の傷までは簡単に癒えるはずもなく、あの日以来レイコルトはずっと闇の中に取り残されたままであった。


「‥‥‥ジークの件についてだけど、案の定、王国騎士団には門前払いを食らってしまったよ。やっぱり《魔物進行(スタンピード)》の被害が尾を引いてるみたいで、いちいち飛び地の孤島まで人員を割く余裕は無いってさ」


「そうですか‥‥‥」


 沈痛な面持ちのセリーナに対して、レイコルトは感情のない声音で応じる。


 それはそうだろう。現在レヴァリオン王国は一年前の《魔物進行(スタンピード)》によって甚大な被害を(こうむ)ったばかりであり、その立て直しに躍起になっている状態だ。復興、治安の維持、軍事力の回復等、やらなければならないことは山ほどある。


 そんな渦中にある王国が、隣国を超えた先にある遠方の自国領土での事件の調査に貴重な人員を割けるはずもない。


 そもそも、何が起きたのかを説明したところで誰一人として信じるはずがないだろう。なにせ、全てをこの目で見届けたレイコルト自身ですら未だ信じられずにいるくらいなのだから。


「まぁそれはそうと‥‥‥、その右腕のケガはなんだいレイ? 明らかに私が家を空けていたこの二週間の間に出来たものだよね? それに近くの草原がやけに荒れていたのも気になるし、一体何をしていたんだい?」


 口調はひどく穏やかだが、セリーナの眼は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされており、朱色の眼差しからは「正直に吐け」という無言の圧力が感じ取れる。


 レイコルトは咄嗟に視線を逸らして誤魔化そうとするも、それは悪手だと言わんばかりにセリーナに先回りされてしまう。


「まったく君は嘘を付くのが本当に下手だね。大方予想はつくけど、あまり無茶をして心配させないでくれよ?」


「すいませんでした‥‥‥」

 

 素直に謝罪の言葉を述べると、セリーナは小さくため息を吐いた。やはり隠し通せるような相手ではなかったようだ。


「はぁ、それで? 一体何をしていたんだい?」


「新しい技の練習です。まだ未完成で、使いこなせるようになるまで時間は相当かかると思いますが。腕と草原は失敗の反動というか‥‥‥」


「新しい技?  《神速強化(マナオーバー)》じゃなくて? 」


「《神速強化(マナオーバー)》はジークから教わった技です。それだけじゃ、あいつを超えるには足りない。それだけじゃ、僕が望むものには届かないですから」


 ジークが作った道を後からなぞるだけでは駄目だ。平凡にすらなれない自分があの天才に追いつくには、どこかで『普通』を外れてでも己の道を切り開いていかなければならない。


 足掻いて、藻搔(もが)いて、血みどろだらけの道を選び続けることでしか、レイコルトはあの背中に追いつくことは出来ないのだから。


 ──『お前に英雄になることなど出来はしないさ、レイ』


 宿敵の言葉を最後に記憶は色を失っていく。


 泡沫(うたかた)の世界は終わりを告げ、沈んだ意識は徐々に浮上していく。


 そしてレイコルトは、目を覚ました。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ん、んん‥‥‥っ、く」


 小さな呻き声と共に レイコルトは重たい瞼を上げる。


 崩壊しかけた天井がまず目に入り、次いで埃と何かが焼き焦げた臭いが鼻孔をくすぐった。


「ご主人様ッ!?」「レイコルト君ッ!?」


 自分に覆いかぶさるように覗き込んでいた二人の少女は、レイコルトの意識が戻ったことに気が付くと安心したように胸を撫で下ろした。


「シラリア‥‥‥、それに、会長‥‥‥。何で、ここに‥‥‥?」


「クラウディオ総司令官がボロボロな状態で警備隊本部に駆け込んできたのよ。あなたと『王国の覇者』が戦ってるから応援に向かって欲しいって」


「そう、だったんですね。総司令官は無事ですか‥‥‥?」


「えぇ、命に別状はないらしいわ。今は本部の医療施設で治療を受けてもらっている。というか、傷の具合で言うならレイコルト君の方がよっぽどひどかったのよ?」


「あはは‥‥‥、ちょっと、無理しちゃいました」

 

 擦れた声でなんとかぎこちない笑みを作って見せるレイコルト。だが、そんな強がりもわずかに上体を起こそうとしただけであえなく崩れ去った。


「ぁ‥‥‥く‥‥‥っ!」


 視界が徐々に暗転していき、眼球の奥がじりじりと痺れてような感覚に襲われる。典型的な貧血の症状だ。


 だが今のレイコルトは短時間であまりに多くの血を流し過ぎたのか、吐き気や頭痛、心拍の異常に顔面蒼白等、明らかに通常の貧血の症状を逸脱していた。


「ご主人様ッ、大丈夫ですか!?」

 

 全身の力が一気に抜け落ち、そのまま大理石の床に倒れ込みそうになるレイコルトの上半身をシラリアが咄嗟のところで抱きかかえた。


「はぁー‥‥‥っ、はぁー‥‥‥っ、だい、じょうぶ‥‥‥。ありが、とう‥‥‥シラリア‥‥‥。少し、休めば‥‥‥また動ける、ように‥‥‥なるから」


 じんわりと戻ってくる視界。心配そうに覗き込んできたシラリアを安心させるように微笑みかけるが、大丈夫なわけがない。自分で口にしておいてなんだが、どう聞いても強がっているようにしか見えないだろう。現にシラリアの気遣わしげな視線は一向に変わる兆しがないのだから。


「‥‥‥っ!回復魔法で骨や内臓の傷はあらかた治癒しましたが、流れ出た血液まではどうにもできませんので今は安静にしてください」


「う、うん、ごめん‥‥‥。でも、そうも言ってられない。奪われた『王家の紋章』を取り戻さないと‥‥‥。それにゼノン、去り際に言っていたんだ。『国奪りの始まりだ』って‥‥‥」


 レイコルトの脳裏にゼノンの哄笑と、最後に残された言葉が思い起こされる。


 額面通りの意味に取るなら、ゼノンの言う国奪りとはクーデターを起こすということ。あまりにも荒唐無稽な話だが、あの男ならやりかねない。そんな根拠のない確信がレイコルトにはあった。


「だから‥‥‥早く、ゼノンを追わないと‥‥‥」


「ま、待ってレイコルト君!  落ち着いて、冷静に考えて。今のあなたは歩くことすらままならないのよ!? 」


「それでもですッ! このままゼノンを放置すればきっと取り返しのつかないことになる。それは‥‥‥それだけは、絶対に防がないといけない。だから──」


『グォォッォォォォオオオオオッッ───!!』


「「ッ──!?」」


 珍しく声を荒らげたレイコルトの言葉を遮ったのは、どこか遠くない場所で轟いた地鳴りのような雄叫びだった。それも一つではなく、複数箇所から。


 あきらかに人のそれとは違う、大気を揺さぶる魔物の咆吼だ。それが城壁内部であるはずの王都中から響いている。


 その異常な事態に誰もが思考を停止させ、呆然と立ち尽くす中、いち早く我に返ったのはルーシアであった。


 彼女は弾かれたように顔を後方へ向けると、特別展示室内で待機していた《シュヴァルツ》の団員に指示を飛ばす。


「総員、警戒態勢!  第一、第二小隊は引き続き王国騎士団の方々の救護を優先して!  第三、第四小隊は急ぎ警備隊本部に向かって状況の把握と応援を。第五小隊は街の警備にあたっている王国騎士団と連携を取りながら市民の人々の避難誘導と安全確保に努めて!」


「「「ハイっ!!!」」」


 未知の状況に浮き足立っていた団員たちの統率を、鶴の一声で取り戻したルーシア。それだけでも彼女が《シュヴァルツ》の団長として大幅な信頼を寄せられているかが分かるが、何より彼女は今この瞬間も冷静に事態を俯瞰し、最善の行動を実行しようとしている。この土壇場で慌てふためくことなく、思考を巡らせるその胆力は並大抵のものではない。


 ルーシアの指示で統率を取り戻した《シュヴァルツ》の各部隊は迅速に行動を開始する。その様子にほっと胸を撫で下ろすレイコルトの傍らにシラリアが膝をついた。


「ご主人様‥‥‥、お体の方は大丈夫ですか?」


 心配に揺れるシラリアの双眸。レイコルトは安心させようと軽く微笑んだ。


「心配かけてごめんね。さっきはちょっと立ち眩みがしただけだから、もう大丈夫だよ」


「本当‥‥‥ですか?」


「うん。とりあえずは何が起きたのか把握するまでは下手に動かないほうがいいだろうし、今は会長に状況を預けよう」


 コクリと頷くことで肯定の意を示すシラリアだが、その表情からは未だ隠せない不安の色が窺える。


 レイコルトは安心させるようにもう一度だけ柔らかな笑みを浮かべると、視線を見えない王都の街並みへと向ける。


(‥‥‥一体、何が起きている?)


 思考を走らせるが、情報が圧倒的に不足している現状では推測すらもままならない。


 この異常事態がゼノンによるものなのか、あるいは第三者の介入なのか、はたまた全く別の要因によるものなのか。その問いに対する答えは未だ闇の中だ。


 どちらにせよ事態は刻一刻と悪化の一途を辿っている事だけは確かであり、原因だけでも早急に把握しなくてはならないだろう。


 レイコルトは(はや)る気持ちをぐっと抑え込み、今も王都内部で続いているであろう闘いの気配に耳をそばだてるのであった。


◆ ◆ ◆◆ ◆


 数分後。いまだ事態を把握しきれていないレイコルトやルーシアの元に、警備隊本部に赴いていた第三小隊の団員が息を切らせながら駆け込んできた。


「団長ッ! 大変です、やはり王都内全域にわたって魔物が出現中とのことです! それもかなりの数で、すでに百を超える魔物が街に溢れかえっているとの情報も‥‥‥ッ!!」


「──ッ! 思っていた以上に深刻なようね。被害状況と魔物の種類は?」


「王国騎士団が中心となって魔物の対応にあたっていますが被害は依然として拡大中。避難誘導は《シュヴァルツ》のメンバーが率先して行っていますが、未だ完全には済んでいないようです。そして魔物についてなのですが‥‥‥」


「──? どうかしたの? 」


 訝し気に形のよい眉を寄せるルーシアに、第三小隊の団員はどこか歯切れの悪い様子で報告を続けた。


「い、いえ‥‥‥、現在は街中がパニックに陥っており、情報が錯綜(さくそう)しているため正確なことは分からないのですが‥‥‥、市民からの目撃情報によると、どうやら出現した魔物はすべてスライムが姿形を変異させたもの、らしいです」


「「──なっ!?」」


 レイコルトとシラリア、そしてルーシアの三人は思わず目を剝いた。


 スライムといえば、魔物の中でも最下級に位置する低級モンスターだ。当然、擬態などという高度な能力を有しているはずもなく、本来であれば信じるに値しない報告である。


 しかし、それを語る第三小隊の団員の表情は至って真剣であり、とても噓を吐いているようには見えない。なによりレイコルトには『スライム』という言葉に一つだけ思い当たる節があった。


 ──『あぁ、昨日今日とやけに街中でスライムを見かけることが多い気がしてな。しかも一箇所に集中してるとかじゃなく、あちこちにちらほらって感じで』


 昨日、リリアとお昼を共にした時に聞いたローレスの言葉がレイコルトの脳裏に蘇る。


(変異種か? いや、仮にそうだとしたらゼノンによる襲撃とあまりにもタイミングが噛み合い過ぎている。それにローレスさんの言ってたように、スライムが大量に見られるようになったのは建国祭が始まってからだ。つまり、この状況は何者かによって事前に仕組まれたものだと考えたほうが自然。でも何のために?)


「ご主人様‥‥‥?」


 突然黙り込んだレイコルトの様子が気になったのか、心配そうな声音で呼びかけてくるシラリア。


 だが今のレイコルトにはそれに答える余裕はなかった。


(考えろ。考えろ。考えろ。これだけ大規模な事態を引き起こすための仕掛けだ。必ずこの三日間の間に何らかの予兆があったはず。それを見逃すな。僅かな違和感を辿れ。そして答えに辿り着け)


 思考を巡らせ、記憶を遡る。


 ──建国祭直前のゼノンの脱獄と、それを手引きした《魔王教団(ディルヴィア)》の存在。


 ──例年に比べて明らかに多い捕縛者。


 ──街中で大量に見かけるようになったスライム。


 ──そして『国奪り』というゼノンの発言。


(ゼノンの言う『国奪り』とはつまり、国そのものを塗り替えること。だがそれと『王家の紋章』の強奪に何の関係がある?  『王家の紋章』は確かに代々王家が受け継いできた至宝らしいが、それ自体に特別な力があるわけではない。極論、そんなものがなくとも王家による国の統治は成立するはずだ) 


 つまり、ゼノンの行動と国奪りは──無関係


「──ん?」


 そこまで考えていたところでふと、先日のリリアの発言がレイコルトの脳裏を掠めていった。


 ──『だからこそ、こうして娯楽として落とし込むことで、自分たちが支配する立場にあるんだと必死に()()()()()ことで、どうにか恐怖を紛らわそうとしている。多分、ここに集まってる人たちそんな人たちばかりなんだと思います』


(目を、逸らす‥‥‥? ──ッ!  まさかっ!?)


 突如として浮かんできた一つの可能性。半ば直感に過ぎないその仮説を、レイコルトは一笑に()すことなく検証していく。


 一つ一つの情報を丁寧に精査し、点と点を結び、線にしていく。


 そして── レイコルトの脳裏に、一つの答えが導き出された。


「‥‥‥そういうこと、なのか?」


「レイコルト君?」


 ぽつりと呟いたレイコルトの独り言に、ルーシアが反応する。


(この仮説が正しいとするなら‥‥‥、まずいかもしれない!)


 幸か不幸か、レイコルトがその結論に至ったとほぼ同時に、第四小隊の団員がその仮説を肯定する報告を持って駆け込んできた。


「警備隊本部より追報です!  現在、王都全域に発生した魔物が全て、アルカネルの大公道に向かって移動しているとのこと! そして、その大公道には、第二王女アイリス・ヴァン・レヴァリオン様とリジスト王国の大使様を乗せた馬車が通過中とのことです!」


「──ッ! やっぱりか‥‥‥ッ!!」


 レイコルトは自分の推測が正しかったことに思わず唇を強く嚙みしめる。できればこの推測は外れていて欲しかったが、残念ながらそんな甘い願望を許してくれるほど事態は優しくないらしい。


「ご主人様、何か分かったのですか?」


「‥‥‥うん、今の報告で確信した。ゼノンの‥‥‥、いやゼノン()の目的は『王家の紋章』なんかじゃない。そう考えると全ての出来事に説明がつくんだ」


 おそらくレイコルトを含む警備隊全員が思考を誘導され、踊らされていた。


 建国祭直前にゼノンが脱獄したことで誰もがその目的を『王家の紋章』だと無意識の内に()()()()()()、他の可能性を自然と排除していた。その時点で既に敵の術中に嵌っていたのだ。


 そして建国祭二日目。『王家の紋章』の強奪を匂わせる《魔法紙(クリプトグラフ)》を持った男を捕まえたことで、ついには執政院すらもその可能性を疑わなくなった。


 結果、敵にとって最良の展開を実現させてしまった。


 この『王立美術館』の警備を任されたのは、誰もが確かな実力を兼ね備えた少数精鋭の王国騎士団ばかり。そんな彼らに、同じく一騎当千の戦力を誇るゼノン・グリフィスをぶつけることで、警備隊側の戦力を激減させる。


 反対に街の警備に当てられていた残りの警備隊には、擬態能力を有した大量のスライムをもって、混乱と殲滅をもたらせばいい。


 そう、全ては『国奪り』のために──。


「‥‥‥おそらく、敵方の本当の目的は()()()()()()()そのもの」


 レイコルトは確信を帯びた声音でそう断言するのであった。

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