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30.王族、そして予兆

 ゼノンによる美術館への襲撃が行われた同時刻。


 多くの民衆が道沿いに立ち並んだ大公道の中央を一つの馬車が緩やかな速度で進んでいた。


 白を基調としたキャビンと随所を彩る金色の装飾。牽引する白馬もまた、よく手入れの施された美しい毛並みの駿馬であり、そのどれもが一級品だと一目で分かる。


 それもそのはず。車体に刻まれた紋様からも分かる通り、現在この馬車に乗車している人物こそ、現レヴァリオン王国国王『アルフレート・ヴァン・レヴァリオン』の嫡女にして王位継承権第二位の王女、『アイリス・ヴァン・レヴァリオン』本人なのだから。


 年齢は十四歳。あどけなさの残る可愛らしい顔立ちとは裏腹に、王族らしい気品と確かな風格を併せ持つ少女は、先祖代々受け継がれてきた艶やかな金色の長髪を(たなび)かせながら、車窓から覗く人々へ控えめに手を振っていた。


「アイリスさまー!! こっち、こっちにお手を振ってください!!」


「王女様ー!! どうかこの私めに御言葉をおかけくださいッ!!」


「アイリス様、万歳! レヴァリオン王国に栄光あれ!」


 老若男女問わず、民衆の歓声が馬車を包み込む。その声一つ一つに丁寧に笑顔で手を振り返す彼女の姿は、王族の鑑と呼んで差し支えなかった。


 そうしてしばらく国民とのささやかな触れ合いを堪能したアイリスは、窓枠に設置されたブラインドを丁寧に下ろすと、ようやくと言った様子で小さく息をこぼした。


「ふふっ、お疲れ様ですアイリス様。国民の皆さん、とても喜んでおられましたね」


「あっ──///  大変申し訳ございません。大使様の御前でお見苦しい姿をお見せしてしまって‥‥‥」


 アイリスは僅かに頬を羞恥に染めると、慌てた様子で目の前の女性に謝罪の言葉を述べた。


「いえ、お気になさらないでください。今この場には私しかおりませんので、どうか楽になさってください」


 そう言ってアイリスの前に腰を下ろしている女性は優しく微笑んでみせる。


 歳の頃は二十代半ばといったところだろうか。背中まで伸びた艶やかな黒髪と、それに勝るとも劣らない美しい黒曜石の瞳。ぴっちりとした黒の礼服を着こなす姿はまさしく仕事の出来る女といった感じだ。


 なにより、同性ですら思わず二度見してしまうであろうほど均整の取れた完璧なプロポーションは、()()発育に乏しいアイリスにとって、羨望以外の何物でもなかった。


 そんな彼女の名は『ミレイナ・ティグリス』。レヴァリオン王国の隣に位置するリジスト王国の友好大使だ。


「あ、ありがとうございます‥‥‥」


 出迎える立場であるはずの自分が逆に気を使われてしまい、アイリスはどこかバツの悪そうな表情を浮かべた。


「それより驚きました。王女様自らがわざわざ城壁外までお出迎えになられるとは」


「これも誠意の表れとして受け取って頂ければ幸いです。条約が締結すれば、今後リジスト王国とレヴァリオン王国の両国は切っても切れない関係となります。その一歩である今日という日に足を運ばない理由はありません。ですが良かったのですか? 護衛の方々を置いてきてしまっても‥‥‥」


「構いませんよ。あの者たちは全員、道中の護衛が主な任務ですので。なにより、こうしてアイリス様が直々に足を運んでくださったのです。それに対して我々が武装した集団をぞろぞろと引き連れて王城に向かってはそれこそ誠意に欠けるというものでしょう? きっと私が仕える方もそう仰られるはずです」


「信頼、されているんですね」


「ええ。そうだと自負していますし、それ以上に私はあの方を尊敬しています」


「────」


 ミレイナの表情からは確固たる信念が見て取れた。彼女にここまで言わせるとは、その方は相当素晴らしい人格者なのだろう。


(いいな‥‥‥)


 アイリスの心臓がチクリと痛んだ。


 自分にはそんな相手などいない。慕ってくれる執事や召使いであれば王城内にはたくさんいるだろうが、それは全て一方通行な敬愛ばかりだ。アイリス自身が心から信頼を置き、安寧を共にしたいと思うような相手はいない。


 国王である父はいつも忙しそうにしており、アイリスが父と共に過ごした時間など片手で数えられるほどしかない。元々体の弱かった母は自分たちを生んでからというものさらに体調を崩し、ここ数年はベッド上での生活を余儀なくされている。


 そんな母の気質を色濃く受け継いだのか、昔はよく一緒に遊んでくれていた姉すらも最近は病床に伏すことが多くなったように感じる。それにその姉すらも──。


「アイリス様? どうかされましたか?」


「い、いえ。なんでもありません。それよりなにやら外が騒がしいようですが‥‥‥」


 アイリスは咄嗟に話題を変え、馬車の外から漏れ聞こえる喧騒に耳を傾ける。


「そういえばそうですね。馬車も止まっているようですし、何かあったのでしょうか?」


 王室専用の馬車ということもあり、二人がいるキャビンは非常に防音性に優れた造りとなっている反面、外部からの音も遮断してしまう為、外の様子が窺いづらいのが難点であった。


 途切れ途切れに聞こえてくるのは、どうやら護衛として馬に乗り並走していた騎士団たちの声のようだ。


(何か嫌な胸騒ぎがしますね‥‥‥)


 様々な思惑と陰謀が毎日のように飛び交う王城で育ってきた影響だろうか。そういった黒い気配に人一倍敏感なアイリスは後ろに備え付けてある小さな窓を開けると御者に問いかけた。


「あの、何かあったのですか?」


「ア、アイリス様! いえ、それがですね。なにやらこの先で大量のスライムが行く手を塞いでいるようでして‥‥‥」


「スライム、ですか?」


 アイリスは小窓の隙間から外の様子を覗き見る。確かに御者の言葉通り道を塞ぐように大量のスライムが(うごめ)いている様子が目に見えた。


「えぇ、どうやら地下水道を通して城壁外から侵入してきたらしく、今から騎士団が討伐に向かうとのことです。ですのでもうしばしの間、お待ちください」


「分かりました。お忙しい中わざわざ教えてくださりありがとうございます。あ、それと念のため国民の皆さんに危険が及ばないよう、避難誘導を行ってください。いくら相手がスライムとはいえ魔物には変わりありませんので」


「かしこまりました。その旨も伝えておきます」


 アイリスは軽く御者に向かって会釈すると再び窓を閉めた。


「‥‥‥ということらしいので、しばらくの間はこのまま待機ですね。申し訳ありませんミレイナ様」


「いえお気になさらず。それにしてもスライムを相手に避難誘導とは少々大袈裟ではありませんか?  所詮は最弱の魔物。仮に騎士団が取り逃がしたとしても子供の玩具にされるのが関の山でしょう」


「えぇ、ですが万が一ということがありますので。せっかくの建国祭最終日に皆さんに不安を抱かせてしまうのは心苦しいですし、それに──」


「?」


「──いえ、なんでもありません」


 アイリスは言葉を濁すと、出来る限りの作り笑いを浮かべる。


 相手は最弱の魔物。対してこちらは最強の王国騎士団だ。負ける要素など微塵もない。はずなのだが、アイリスの胸の内には拭い切れない不安が渦巻いているのだ。


(どうか何事もありませんように‥‥‥)


 心の中でそう強く願う。


 後にアイリスの指示が吉と出るか凶と出るか、今の彼女には知る由もないのであった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 また同刻。場所を移して王城の真下に存在する地下牢獄。


 薄暗く、ジメジメとした湿気が肌に纏わりつくような陰鬱なその空間は、犯した罪の重さと種類によって十の階層に分けて囚人は管理されている。


 重罪であればあるほど収容される階層は深くなり、日の目を浴びる生活に戻れる可能性は限りなくゼロに近づいていく仕組みだ。


 実際『王国の覇者』たるゼノン・グリフィスが収容されていたのは最深層の第十層であり、そこは本来であれば二度と外にでることはないであろう重罪人たちで埋め尽くされている。


 そんな地下牢獄の最も刑が軽い者たちが収監される第一層に一人の影が伸びていた。


 影の持ち主は黒いローブを目深に被っており、その表情は窺い知れない。松明の炎に照らされた石造りの床をコツコツと一定のリズムを刻みながら歩くその人物の手には一つの鍵束が握られており、足取りに迷いはない。


 やがて黒ローブは一つの牢の前に立つと、静かに口を開いた。


「──迎えに来ましたよ。さぁ、早く準備をしてください」


「おう、ようやくか。待ちくたびれたぜ」

 

 影の呼びかけに応えるように部屋の中から男の声が返ってきた。その男とは建国祭一日目にレイコルトとシラリアが捕縛した泥酔集団のリーダー格の人物である。


「──ったく、あの方の計画のためとはいえ三日もこんな場所にぶち込まれちゃ溜まったもんじゃねぇぜ。なぁ、あんたもそう思うだろ?」


「無駄口は結構です。まだ他の奴らも開放して回らなければいけないので、早く準備を」


「あいよ。ちょっと待ってな」

 

 男はそう言うと、何やらゴソゴソと物音を立て始める。そしてものの数十秒で支度を済ませたのだろう。再び黒ローブに向かって口を開いた。


「おぅし終わったぜ。それで? 他の奴らはどこにいるんだ?」


「──こっちです」

 

 黒ローブは持っていた鍵で牢の扉を開いて男を外に連れ出すとまた別の牢へと足を運ぶ。そして同様の手順を何度か繰り返すこと十数分後、ある共通点を持つ囚人だけを牢から連れ出した。


 その共通点とは、《魔王教団》の構成員であり、なおかつ建国祭の間に自ら警備隊に捕らえられた者たち。その数はざっと三十人ほどである。


「ふぅ、まぁこんなもので良いでしょう。時間も余りありませんし、他はもう知りません」


「おいおい、そりゃねぇぜ。ちゃんと全員開放してやってくれよ?」


「でしたらご自身でやってください。私は先を急ぎますので」


「ったく、相変わらず愛想のねぇ女だ‥‥‥っ!?」


 黒ローブは男の悪態を遮るように喉元にナイフを突きつけると氷のように冷たい声音で告げた。


「無駄口を叩くなと言ったでしょう?  次にその口を開いたら殺します」


「‥‥‥ッ! お、おぉ悪かったよ。だからそんなおっかないもんしまってくれや」

 

 男は額に脂汗を浮かべながら両手を上に挙げて降参の意を示す。それを一瞥した黒ローブはナイフを懐に戻すと、そのまま来た道を引き返すように踵を返した。


「では事前の手はず通りにお願いします。後にあの方も来られるらしいので、くれぐれも失敗などしないように」


「おうよ。おい野郎ども行くぞッ!! 国奪りの始まりだッ!!」


 男の濁声が地下牢獄に響き渡ると、その声に呼応するように囚人たちは雄叫びを上げ、王城内へと続く階段を駆け上っていく。


 どこか遠くで発生した爆発音を聞きながら、黒ローブは一人静かに笑みを浮かべるのであった。

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