21.遊興区画、そして社交会
『ヘクセリア』での用事を終え、アネットとラミアに別れを告げたレイコルトとエレナが次いで足を向けたのは、貴族街を四つに区分した区画の内の一つである遊興区画であった。
別名──歓楽街でも知られているその区画は、名前の通り遊技場やカジノ、コロシアムといった娯楽施設に始まり、貴族たちの宴会や社交場として用いられる大型の館、さらにはムスクの濃密な香りと快楽の飛び交う遊郭など、ありとあらゆる享楽を一箇所に詰め込んだ、まさに人の欲望を具現化したような場所であった。
何度か貴族街に足を運んだことがあるレイコルトも遊興区画を訪れるのは流石に初めてであり、その盛況具合と特有の色香にキョロキョロと視線をさ迷わせるばかり。建国際の熱を持て余し、はけ口を求めて彷徨う人々をターゲットに客引きを行う女性は誰もかれもが肌面積多めの扇情的な衣装を身に纏っているため、思春期真っ盛りのレイコルトにとっては非常に目に毒な光景であった。
(‥‥‥エレナは流石だなぁ。さっきから全く気にしてる素振もないし)
貴族街で生まれ育ってきたエレナにとってこういった景色は見慣れたものなのだろうか。レイコルトの隣でヒールの踵を鳴らし、颯爽と大通りを歩くエレナはまさしく威風堂々たる気品に溢れ────
「~~~~~~~~ッ///////」
──てなどは決してなかった。
白磁のような乳白色の肌は彼女の瞳のように赤く染まりきっているし、キュッと引き結んだその唇は傍から見てもわかるぐらいにプルプルと震えている。歩きやすいようにと再び繋いだ手のひらから伝わる熱はあきらかに平時より高く、よくよく観察してみれば歩幅もいつもよりだいぶ大きいように感じられる。総じて慣れていない感が満載のエレナが急激に心配になったレイコルトは一つ声を掛けることにした。
「あの‥‥‥エレナ? ちょっと歩くのが速いかな~って思うんだけど‥‥‥。ヒールなんだしもう少しゆっくり歩いたほうがいいんじゃ‥‥‥」
「だ、大丈夫っ! 普段からこのぐらいのペースで歩いてるし‥‥‥。そ、それにほら! 急がないと時間に間に合わ──ッて、キャッ!?」
「エレナッ!?」
照れ隠しで大きく踏み出した一歩がドレスの裾を踏みつけてしまったのか、エレナの身体は盛大にバランスを崩すと宙に投げ出されてしまう。幸い手を繋いでいたレイコルトが咄嗟に腕を引き寄せたことで最悪の事態は回避できたが、代わりにエレナを抱きしめるような形で受け止めることになってしまった。結果──
「ご、ごめんなさいレイっ!? でもおかげで助かったわ。ありが‥‥‥と‥‥‥ッ!?」
「あっ‥‥‥」
普段であれば数センチほど背丈に差が開いている二人。だが、今のエレナはヒールを履いているために目線の高さはほぼ同じであり、二人の顔の距離はほぼないに等しいと言っても過言ではなかった。
互いの息遣いや鼓動、そして肌から伝わる温もりをはっきりと感じられる程の至近距離は僅か数ミリ顔を前に動かすだけで唇同士が触れ合ってしまうほど。
シミ一つない肌はこの距離から見ても新雪のように白くきめ細やかであり、施された化粧が邪魔に感じるほどの美しさは偉大な芸術家たちをもってしても表現することは叶わないだろう。意志の強さを示すルビー色の瞳は、吸い込まれそうな魅力を宿しながら自身を覗くレイコルトの顔を映している。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
(やっぱりエレナって綺麗だよなぁ。それにすごくいい香りがする、──って、いやいやいや!? 僕は何を考えてるんだよ!?)
今自分たちがいる場所、そして二人の体勢をようやく客観視したレイコルトは慌てて腕の力を緩めると、密着していた互いの体を引き離す。
「ご、ごめん‥‥‥、咄嗟だったから結構強めに引き留めちゃったけど大丈夫だった? 怪我とかは?」
「だ、大丈夫よ‥‥‥ッ。そ、その‥‥‥私こそごめんなさい‥‥‥。急に転んだりしちゃって‥‥‥」
「ううん、気にしないで。それより意外だったかも。エレナのことだからこういう雰囲気の場には慣れっこなのかと思ってたんだけど」
「うっ‥‥‥。それは、しょうがないじゃない。家柄的に遊興区画なんて社交会ぐらいでしか来たことがなかったし‥‥‥。それに昔から肌に合わなというか、妙に居心地が悪くて近づかないようにしてたから。今だって建国際の挨拶周りさえなければ絶対に来なかったわ」
エレナはバツが悪そうに視線を逸らすと、艶のある唇をかわいらしく尖らせながら小さく不満を漏らす。
そう、二人が今遊興区画を訪れているのは他でもない。この後、建国際を祝して貴族の中でも特に上流階級に位置する人々のみを集めたパーティーがこの先の『灯篭の館』と呼ばれる社交場で催されるのだ。
当然ソングレイブ家のご令嬢であるエレナも参加者の一人であり、招待状が届いた以上は顔を出さないわけにもいかない。結果、『ヘクセリア』で刀を受け取った後、心底嫌そうな顔を浮かべながら一人で会場に向かおうとしたエレナと、せめて道中だけでもと護衛兼エスコート役を買って出たレイコルトの二人はこうして共に遊興区画を訪れることになったというわけだ。
「あはは‥‥‥、でも確かにあんまり長居したい場所じゃないかもね。何ていうか香水とかアルコールとか色んな匂いが混じり合ってて、そろそろキツくなってきたし」
エレナの妙に子供っぽい仕草に思わず笑みを零したレイコルトは周りに漂う蠱惑的な香りに思わず鼻元を手で覆いながらそう答える。
「それなら、レイの鼻が曲がっちゃう前に早く行きましょう? 記憶通りならもうそろそろ見えてくるはずだから」
そう言うとエレナはどこか恥ずかしそうに目を細めながら恐る恐る手を差し出してくる。レイコルトもまた優しくその華奢な手を取ると、軽く握り直しゆっくりとした足取りで歩き出すのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遊興区画のメイン通りを抜け、しばらく路地を直進した突き当りにある『灯篭の館』。その外観は朱色の煉瓦を基調とした三階建ての建物であり、華々しさとは程遠いアンティークな様相と落ち着いた雰囲気が特徴的な館であった。
領地の周りをグルリと囲う鉄製の柵から覗く中庭では既に多くの着飾った人たちがテーブルに置かれた豪勢な料理を囲み談笑している。どうやら立食式のようで各々が自由に歩き回りながら思い思いに好きな料理を皿に取って楽しんでいるようだ。
しかしそんな明るげな雰囲気とは裏腹に、隣で苦虫を噛みつぶしたよう表情を浮かべるエレナは本日何度目かも分からない溜息を零した。
「はぁ、憂鬱ね‥‥‥、やっぱり私ってこういう場が苦手なんだって再認識したわ。‥‥‥‥今からでも帰れないかしら?」
「んー多分無理なんじゃないかな? 何人かはもう既にエレナが会場に来てることに気づいてるっぽいし」
レイコルトの言う通り、鉄柵越しに見える中庭では談笑しながらもいち早くエレナの姿を見つけた者たちが時折こちらの様子を窺うように視線を向けてきている。中にはエレナがこの館に足を踏み入れた瞬間声を掛けようとしているのか、白いクロスで覆われた丸テーブルにグラスと料理を置き、今にも駆け出そうとしている者の姿もちらほら見受けられるほどだ。
「ねぇやっぱりレイも来ない? ほら! 今すぐ燕尾服に着替えれば私の執事ってことで何とか誤魔化せるかも‥‥‥」
「流石に無茶だって! ほら、もうここまで来たんだから覚悟を決めるしかないんじゃない?」
珍しく駄々をこねるエレナに苦笑で応じるレイコルトは、彼女を安心させるように優しく微笑みかける。
「うぅ‥‥‥せめてもう一人くらい知り合いがいれば良かったのに‥‥‥、」
「うむ、ならその役目、私が引き受けようではないかエレナ嬢?」
「「──ッ!?」」
突然発せられた聞き覚えのある男の声に、二人がはっと息を呑む。
礼儀を欠かない程度に着崩された白シャツと、見るからに高級そうな光沢のある黒のジャケット。左手には透明な光を放つワイングラスが握られており、まさに絵にかいたような伊達男。
金の長髪と整った目鼻立ちが一見して優男のような好印象を与える一方で、貼り付けたような薄気味悪い笑みがどこか油断ならない印象を醸し出しているその男は──、
「‥‥‥フェリクス・マクシミリオン」
レイコルトは警戒の色を隠そうともしない声音で男の名前を呟くと黒色の瞳で静かに見据えるのであった。
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