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15.違い、そして涙

「なるほど、それでレイコルト君はシラリアさんを舞踏会に連れていきたいのね」


「えぇ、まぁ‥‥‥。でも、シラリア本人が望んでいないならその意志を尊重したほうがいい気がするんです‥‥‥」


 セリーナの話を聞き終え、どこか納得した様子で頷くルーシアに対してレイコルトは、どこか煮え切らない様子で言葉を返す。


(そうだ、結局シラリアと彼女の両親を和解させたいなんて、僕の自己満足に過ぎない。そんな自分勝手な感情でシラリアを振り回すのはやっぱり間違ってるんじゃ‥‥‥)


 思考を回せば回すほど、頭の中では昨夜のシラリアの悲痛な表情が鮮明に思い浮かび、レイコルトの心に重くのしかかってくる。


 シラリアと彼女の実家であるセルネスト家。その二つの間に存在する溝の深さはレイコルトが想像するに余りある。

 

 所詮彼女の主でしかない自分が、なんの権力もないただの学生である自分が介入できる問題ではないのかもしれない。


(やっぱり僕なんかじゃ‥‥‥)

 

 レイコルトが、諦観するように顔を伏せたその時──


「でも、レイコルト君はどうしたいの?」


 まるで柔らかい日差しのように温かく、そしてどこか心が落ち着くようなルーシアの声が優しくレイコルトの鼓膜に響き渡った。


「え?」

 

 レイコルトが顔をあげるとそこには優し気に微笑むルーシアの姿があり、その双眸は慈しむ様にレイコルトを見つめ返していた。


「だ~か~ら、レイコルト君どうしたいの?  シラリアさんを舞踏会に連れて行ってあげてご両親と仲直りさせてあげたい? それともそんなことするべきじゃないと思うの?」


「それは、出来れば連れて行きたい、です。でも本人がそれを望んでいないなら、僕がその意思を無下にするわけには‥‥‥」


「そっか、それならやっぱり連れていってあげるべきなんじゃないかしら?」


 ルーシアはその水色の瞳に確かな光を宿して、レイコルトにそう告げる。


「それは、シラリアの意思を無視することになっても、ですか?」


「えぇ、そうよ」


 ルーシアは淀みなく、即答する。


「レイコルト君。私はまだ君と知り合ったばかりだけど、それでも人柄や為人を多少なりとも理解しているつもりよ。君がどれだけシラリアさんを大切に想っているか、どれだけ彼女を案じているかも想像に難くないわ。でもね、大切に想うからこそ時には相手の意思を曲げてでも、自分の意志を貫き通さなきゃいけないことってあると思うの」


「!!」


「シラリアさんの意見を尊重することはとても大切よ。でもね相手を大切に想う事ことと相手の意思を尊重することは必ずしも同じじゃない。時には誰かが強引に手を引っ張ってあげないといけないこともきっとある。だからレイコルト君──」


 ルーシアはレイコルトに向き合うと、その両の手をとって自身の両手で包み込んだ。そして変わらず優し気な瞳でレイコルトを見据え、再びその言葉を紡ぐ。


「もう一度シラリアさんと向き合ってあげて。そして彼女と一緒に答えを探してあげて。きっとシラリアさんは今悩んでる。悩んで悩んで悩み抜いて、それでも答えが見つからなくて一人で抱え込もうとしてる。だからレイコルト君がその手を引いてあげて。大丈夫、君ならできるわ」


「会、長‥‥‥」

 

 レイコルトは思わぬ形で背中を押されたことに戸惑いを隠せず、ルーシアの瞳と彼女の手に包まれた自身の両手を交互に見つめてしまう。


『相手を大切だと思うこと、そしてその相手の意思を尊重することは必ずしも同じではない』

 しかしルーシアの言葉はレイコルトの胸に確かな熱を灯し、その心を奮い立たせる。


(僕は、どうしたい? 僕は何をすべきなんだ?)

 

 いやずっと答えは決まっていたはずだ。何も変わっていないし変わらない。ただ改めてシラリアと向き合う覚悟を持てた。それだけだ。

 

 レイコルトは改めて自分の進むべき道を見据えると、ルーシアの両手を優しく握り返す。


「ありがとうございます会長。もう一度、シラリアと話してみようと思います」


「うん! その意気よレイコルト君! ──ってこれだとまるで私が警備隊の人手欲しさに君を励ましたみたいになっちゃわない? 違うからね!! 本当に他意はないからね!!」


 さっきまでの毅然とした態度はどこへやら。慌てふためきながら必死に弁解を繰り返すルーシアを見て、思わずレイコルトも笑いをこぼしてしまう。


「大丈夫ですよ。ちゃんと分かってますから」


「ほ、本当? ならいいのだけど‥‥‥」

 

 いまだどこか不安そうな表情を浮かべているルーシアにレイコルトはもう一度微笑みかける。

そしてそんな二人のやりとりをセリーナは一人、どこか優し気な眼差しでで見守っているのだった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 時は流れその日の夜。


 レイコルトが居候させてもらっているセリーナの自宅のリビングには何とも堅苦しい空気が流れていた。


 理由言わずもがなレイコルトとシラリアにあり、実を言うと昨夜から二人は一言たりとも会話らしい会話をしていないのだ。


 もちろん必要な会話はしているし挨拶も交わす。ましてやどちらか片方が相手のことを意図的に無視している訳でもなければ邪険に扱っている訳でもない。


 ただ単に昨夜のやりとりがお互いギクシャクした形で終わってしまったが故に、どう接したらいいのか距離を探りあぐねているだけなのだ。結果──


(どうしよう、どうやって話をきりだせばいいんだ!?)


 とっくにシラリアが作ってくれた夕食(もちろん最高に美味しかった)は平らげてしまい、現在二人は食後の紅茶を嗜んでいた。普段通りであればこの後、レイコルトが先に入浴を済ませ、次いでシラリアという流れになり、その後は各々自由に過ごすのが二人のルーティンである。


 つまりシラリアと話をするならば今が最後のチャンスであり、この機会を逃せばまた明日に引き伸ばしになってしまう。しかしどう話題を切り出すべきなのか。昨夜のことを切りだすのか、それとも敢えて今まで通りに接するべきか。


レイコルトの頭の中では未だに答えは出ず、時間だけが刻々と過ぎていく。

そんな時だった──


「あ、あのご主人様‥‥‥」


「あっ!? はい!」

 

 予想だにしないタイミングでシラリアから声をかけられ思わず敬語で返事をしてしまうレイコルト。しかし対して気にした様子もないシラリアは、その視線をカップに落としたまま続ける。


「お食事は、お口に合いましたでしょうか?」


「え?  あ、うん。いつも通りの感想になっちゃうんだけど、どれも本当に美味しかったよ。特にあのスープなんかは、すごく優しい味がしてホッとするっていうか‥‥‥とにかく本当に美味しかった。うん」


「そう、ですか‥‥‥。お気に召していただいたようで何よりです」


 鈴のように澄んだ声を微かに震わせながらシラリアはゆっくりと言葉を紡ぐ。そのの表情こそ俯いていて窺い知ることはできないが、なんとなく唇の端が弧を描いているような気がするのは気のせいだろうか。



 なにはともあれ場の空気が和らいだことでレイコルトもいくらか肩の力をぬくことができた。話を切り出すなら今しかない。


「あのシラリア、少し話があるんだけど‥‥‥いいかな?」


「っ! は、はい。構いませんが‥‥‥」

 

 次はシラリアが一瞬肩を跳ね上げさせる番であり、案外似た者同士なのかもしれないなと不覚にもレイコルトはそんなことを考えてしまった。


「まずは昨日のことを謝らせてほしい。本当にごめんシラリア。自分の考えに没頭するあまり、君への配慮が欠けていた」

 

 レイコルトはシラリアに向かって深々と頭を下げる。


「そっ! そんなご主人様、どうかお顔をあげてください。私は気にしておりませんし何よりご主人様が謝られる理由なんて‥‥‥」


「違うんだシラリア!! 実は君の過去に何があったのか、三年前、君の家に何が起きたのか全部師匠から教えてもらってたんだ。その上で知らないふりをしてた」


「ッ!? そ、う‥‥‥だったのですか‥‥‥」


 普段からあまり感情を覗かせることのないシラリアも流石にレイコルトが自身の過去を知っているとまでは予想外だったのだろう。その表情には隠し切れない動揺と少しばかりの恐怖が見て取れた。


「うん、だからごめん。勝手に立ち入るような真似をして‥‥‥。でも──」


 『相手を大切に想う事と相手の意思を尊重することは必ずしも同じではない』


 ルーシアの言葉がレイコルトの脳裏で木霊する。喉奥から込み上げてくる熱を必死に飲み下し、シラリアの瞳を真っ直ぐに見据える。


「やっぱりシラリアはもう一度ご両親と会って話をすべきだと思うんだ。確かにシラリアがご両親に抱いてる感情は複雑で簡単に割り切れるものじゃないと思う。でも、このままずっとすれ違ったままでいいはずがない」


「それは‥‥‥」


「もちろんこれは僕のわがままだ。だから君が本当に拒絶をするなら無理強いはしないし、そもそも僕が口出しすることじゃないってのも分かってる。それでも僕は君に後悔してほしくない。だから──」

 

 レイコルトはそこで一度言葉を区切り、大きく息を吸ってから続ける。


「もし、シラリアの中に少しでも思う所があるなら、少しでもご両親と向き合いたい気持ちがあるのなら、僕にその手助けをさせてほしい」


 レイコルトの力強い言葉がリビングに響き渡り、一時の静寂が訪れる。


(伝えたいことは‥‥‥伝えた。あとはシラリア次第だ‥‥‥)

 

 あとはシラリアが何を思い、何を選択をするか。それを待つのみだ。レイコルトはシラリアの返答を静かに待ち続ける。


 どれほど時間が経っただろうか。一分にも感じられるし、一時間にも感じられる不思議な感覚に囚われるレイコルト。その胸の鼓動は次第に速く、そして大きくなっていく。


 やがて俯き気味だったシラリアがゆっくりと顔を上げレイコルトと視線が合う。その瞳はどこか不安気に揺れ動いており、しかし決して逸らされることなくレイコルトを見据えていた。


「‥‥‥セルネスト家が今年の建国際で王家の護衛につくことは風のうわさで耳にしました。ご主人様もご存じの通り、三年前、わたしの犯した失態によって信頼を大きく失ったセルネスト家がまた重要な役割を与えられたこと。それすなわちセルネスト家に再び信頼を、そして名誉を取り戻す千載一遇の機会が与えられたことと同義です。そんな大事な役目を任されている中、追放されたわたしがのこのこと顔を出すわけにはいきません」

 

 シラリアは悲痛な面持ちで、それでも懸命に言葉を紡ぎ続ける。


「それに父も母も、わたしのことなどとうの昔に愛想をつかしているはずです。今さらわたしが出向いたところで、双方にいらぬ軋轢を生むだけ。ならば、このままそっとしておいた方が──」


「シラリアはそれでいいの?」

 

 レイコルトはシラリアの言葉を遮るようにそう告げる。


「え?」


「本当にこのままで、シラリアは後悔しないの?」


「それは‥‥‥。ですが‥‥‥」


「セルネスト家だとか、信頼だとか今だけは忘れようシラリア。僕は君の気持ちを知りたい。君が何を思い、どうしたいのかを聞かせてほしい」


「わたしの、 気持ち‥‥‥?」


 考えてみればシラリアは今まで一度も「何かがしたい」と、主張したことが無かったように思う。


 レイコルトやエレナに何かを提案することはあっても、シラリア自身がどうしたいかという意思を口に出すことは無かった。それはもしかしたら従者の家系で生まれ育ってきた彼女の性なのかもしれないが、だとしてもレイコルトはシラリアの本当の気持ちを知りたかった。

 

 そしてそれはシラリアにも伝わったのだろう。不安気に揺れる瞳を再び俯かせ、それでも一度大きく息を吸い込むと、ゆっくりとその口を開いた。


「わたしは‥‥‥、わたしは‥‥‥父と母に‥‥‥会いたいです。会って、謝りたい。今までのことを全部、全部‥‥‥っ」


「うん」


「そして、許されるなら‥‥‥。また、一緒に紅茶を‥‥‥飲みたいです‥‥‥」

 

 シラリアの想いが涙とともに溢れ、その頬を濡らす。それは彼女が初めて見せた激情であり、初めて吐露した想いの丈。強靭な理性と精神力で押し殺してきた心は、本人の意思ですらも抑えきれないほど大きく膨れ上がり、決壊したダムのように溢れだす。


 そんな彼女をレイコルトはただ静かに見守り、その吐露する想いを受け止め続ける。


 それからしばらくの間、リビングの静寂にはすすり泣く声だけが響き渡っていた。

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