11.帰宅、そして命令
「はぁ‥‥‥」
結局あの後、セリーナに説得されて舞踏会に参加することを決めたレイコルトは、理事長室を後にして帰路についていた。
夜の帳が下ったこの時間でも、昼間と全く遜色ない盛況を見せる庶民街の商業区画。その街並みを横目に、レイコルトはため息交じりに歩を進める。
制服の内ポケットに仕舞われた招待状がやたら重く感じられるのは、決して気のせいではないだろう。
「舞踏会、か‥‥‥」
レイコルトはゴソゴソと招待状を取り出すと、そこに記された文面にぼんやりと視線を這わせる。
舞踏会の会場となる場所はアルカネルの中央に天高く聳え立つ王城の大広間。王家の関係者や貴族、そして招待された一部の富裕層しか足を踏み入れることが出来ない特別な居室であり、当然庶民でしかないレイコルトにとっては一生縁のない場所のはずだった。──つい数十分前までは。
「いいのかな‥‥‥、本当に‥‥‥」
舞踏会への参加に対して、ではない。いや、何割かはそれも含まれてはいるのだが、レイコルトが今一番心配しているのはシラリアと彼女の両親を引き合わせることに対してだ。セリーナの話ではシラリアは家族に対してかなり深い負い目を感じているようだし、彼女の両親も少なからずシラリアのことを疎ましく思っているのではないだろうか? もしそうなのだとしたら、そんな状態でレイコルトが間に割って入ったところで状況は全く改善されないどころか悪化する可能性だってある。
だがセリーナの言っていた通り、この舞踏会はシラリアが彼女の両親と再び言葉を交わすことのできる数少ないチャンスだ。この機を逃せば、シラリアが再び両親と相まみえる機会は二度と訪れないかもしれない。
それはなんとなく酷く寂しくて悲しいことのように思えた。
だから──
「少し、頑張ってみようかな」
レイコルトはポツリと呟くと、迷いを断ち切るかのように夜空を見上げる。そして力強く一歩を踏み出すと、家路を辿る足をさらに速めるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ただいま‥‥‥」
「お帰りなさいませ、ご主人様。ちょうどお夕飯の支度が整いましたがお風呂とお食事、どちらを先になされますか?」
「うーん、なら先にご飯をいただこうかな。せっかくシラリアが作ってくれたんだし、温かい内に食べたいな」
「かしこまりました。ではすぐにお持ちいたしますので、少々お待ちください」
最近ではもはや見慣れたモノトーン色のメイド服に身を包んだシラリアに出迎えられるレイコルト。絹糸のように細く艶やかな白髪をサラリと揺らしながらヘッドドレスの付いた頭を恭しく下げたシラリアは足音一つ立てることなく奥のリビングへと引っ込むと、すぐに二人分の料理をお盆に載せて戻って来た。
「僕も手伝うよ」
「お気遣いありがとうございます。では、あちらのサラダをお願いできますか?」
「了解」
テキパキと二人で手分けして配膳を終えたレイコルトとシラリアは、向かい合うように席に着くと互いに手を合わせ「いただきます」という掛け声とともに料理を食べ始める。
今日の夕飯のメニューは白身魚のムニエルにオニオングラタンスープ、そして付け合わせにパンとサラダ。そしてやはりというべきかシラリアの作る料理はどれもこれも絶品であった。
食材本来の味を引き出す絶妙な味付け。そして素材の鮮度が損なわれないよう、最低限の調味料しか使わないという徹底したこだわり。極めつけは下処理から仕上げまでの手際の良さだろう。このレベルの料理が毎日当たり前のように食卓に並べられると、成長期で食べ盛りであるレイコルトにとって料理へ伸ばす手が止まらなくなるのはある種必然と言えた。
レイコルトも長い間、国中を放浪していたため、人並み程度には料理ができる自負はあるが、それでもシラリアの足元にも及ばないだろう。日に日に胃袋を掴まれている気がする。
「ん‥‥‥、やっぱりシラリアの料理って美味しいよね。毎日食べても飽きないっていうか、特にこのムニエルの味付けとかすごく僕好みかも」
「ふふっ。お口に合ったようでなによりです。ここ最近はご主人様の味の好みも分かってきましたので、そちらに寄せてみたのですがどうやら正解だったようですね」
普段の薄氷のような表情を僅かに綻ばせ、嬉しそうに言ってくるシラリア。机一つ挟んだ先の至近距離で直視してしまい、心臓がバクンッ!と大きく跳ねあがったレイコルトは内心を悟られまいと慌てて視線を逸らし、無言で料理を食べ進める。
それからしばらく互いに雑談を楽しみながら食事を進めていると、やがて皿の上の料理も綺麗に平らげてしまった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
小さく手を合わせて食後の挨拶を済ませたレイコルトは、チラリと壁の時計を見やる。時刻はちょうど夜の十時を回ったところだ。普段であればレイコルトが先に入浴し、そのあとにシラリアが入るという流れが発生するのだが今日は少し話しておきたいことがあるため、レイコルトは自ら話を切り出した。
「シラリア、ちょっといいかな?」
「? はい、どうかなさいましたかご主人様? まさか食事の量が少なかったでしょうか? それとも何か苦手な食材でも‥‥‥?」
「い、いやいや違うから! いつもながらすごく美味しかったし。って、そうじゃなくてね!!」
コホンと一つ咳払いを挟むと、レイコルトは真っ直ぐにシラリアの瞳を見つめる。
「今度ある王国建国祭なんだけどさ、よかったらシラリアも一緒に行かない?」
「──っ!!」
シラリアの肩がぶるり、と小さく震える。
「建国祭‥‥‥です、か‥‥‥」
シラリアはレイコルトから視線を外し、どこか不安げな表情で聞き返してくる。その様子に一瞬罪悪感のようなものを感じるが、しかしここで引くわけにはいかない。
「うん、実は師匠からこれを貰ってさ。本人はこういうのに興味がないからって押し付けられてさ。それでその‥‥‥、どうかな?」
レイコルトは内ポケットから例の招待状を取り出し、そっとテーブルの上に置く。シラリアはしばらくの間、招待状をじっと見据えた後にゆっくりと口を開いた。
「‥‥‥それは、ご命令、でしょうか‥‥‥?」
「‥‥‥えっ?」
予想の斜め上を行った返答にレイコルトは思わず間の抜けた声を零す。
「‥‥‥ご命令であるならば、従います。私はご主人様の従者ですので‥‥‥」
「い、いや別にそういうわけじゃ……、ただ僕はシラリアと一緒に行きたいなって思っただけで‥‥‥」
しどろもどろに弁明するレイコルト。確かに二人は主人と従者という関係にあり、レイコルトがその気になればシラリアの意思など一切を排除して強制的に命令を下することもできるだろう。
だが今までレイコルトはシラリアに対して一度たりとも命令など下したことはないし、これからも絶対にするつもりはない。故にそのような考えなど微塵も浮かばなかったレイコルトは、慌ててシラリアの言葉を否定する。しかし──
「‥‥‥では、申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。ご主人様からお誘いいただいたことは大変光栄なことですし、本来であればこの身に余るほどの誉れです。ですが‥‥‥」
シラリアは口元をきゅっ、と引き締めるとバイオレット色の瞳に影を落とす。
「私に、その資格はありません。信頼を裏切り、信用を無下にした私には‥‥‥」
「シラリア‥‥‥」
レイコルトがシラリアの過去を聞かされたことを、彼女は知らない。故にその言葉はレイコルトに宛てられたものではなく、シラリアが己自身に言い聞かせるためのものなのだろう。
蠟燭に小さく灯った火のように、吹けば簡単に消えてしまうような儚い声。空虚と罪悪感の入り混じった悲痛な瞳で俯くシラリアの様子にレイコルトの心臓は鷲摑みにされたかのように痛みを覚えた。何か言わなければ、そう思えば思うほどに喉が渇き、上手く言葉が出せない。
「‥‥‥そっ、か。そうだよね‥‥‥、僕こそごめんね。急に変な話を持ち出して‥‥‥」
やっとの思いで絞り出した言葉は、なんとも情けない謝罪の言葉だった。
その後は互いに言葉を発することはなく、レイコルトは一人静かに席を立つと、浴室へと足を運ぶ。一人残されたシラリアは、レイコルトがリビングを出ていった後もずっと顔を伏せたまま微動だにすることはなかった。
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