3.男子生徒、そして変化した日常
「なぁ、ちょっといいか?」
声をかけてきたのは、赤みがかかった茶髪を目上で短く切り揃え、やや吊り上がった猫のような目が特徴的な男子生徒だった。背丈はレイコルトと比べても頭一つ分ほどに高く、百七十後半から八十前半といったところだろうか。キッチリ着込まれたレイコルトの制服とは対照的な、大胆に着崩された制服と同性の中ではやや高めな声質が一見して軽薄そうな印象を抱かせてくる。
しかしそんな印象とは裏腹に、彼の纏う雰囲気はどこまでも真っ直ぐであり、その瞳には一切の曇りを感じさせない。レイコルトがこれまで関わってきた人の中にはいなかったタイプの人間であり、そのことが余計に彼の異質さを引き立たせていた。
「えっと……僕?」
「あぁ、お前だ」
「その前に自分のお名前くらい名乗ったらどうなんですか?」
何ともそっけない声音で挟まれる横槍。その声の持ち主は言わずもがな、レイコルトの隣に席を構えるリリアであり、その表情はどこか不満げだ。
先ほどまでレイコルトと不毛な押し問答を繰り広げていた美少女の姿はきれいさっぱり無くなっており、心なしか言葉の端々からは棘のような鋭ささえ感じられる。
(そういえばリリア、忌み子だからって差別する人たちが嫌いなんだっけ‥‥‥)
初めてリリアと出会った時のことを記憶の片隅で思い出すレイコルト。人の本質を見ていないだとか、表面でしか判断していないだとか、確かそんな理由だったはずであり、つまるところエレナとシラリアを除くこのクラス全員のことが気に入らないのだろう。
とはいえあまりにも露骨なその態度の違いにレイコルトは、目の前の男子生徒も流石に気を害したのではないかと危惧したのだが、
「あぁ、悪い。俺は、ルーク・ヴェルフィリオ。ルークって呼んでくれ」
と、意外にも彼は特に気にした様子もなく、その軽い口調で自己紹介をしてみせた。どうやらその軽い雰囲気に違わず、なかなかに大雑把な性格をしているようだ。
隣ではおそらく皮肉のつもりだったのだろう。ルークのカラッとした態度に毒気を抜かれたリリアが「ムググ……」と、なんとも形容しがたい表情を浮かべていた。
「それで、僕に何か用かな?」
「あぁ、それなんだが‥‥‥」
「?」
レイコルトからの問いかけに、一瞬だけ視線を宙に泳がせるルーク。正直彼にこうして絡まれる心当たりが全くないレイコルトは、大方自分への罵倒か、はたまた難癖かと踏んでいたのだが、次にルークから発せられた言葉はそのどちらでもなかった。
それは──
「すまなかったッ!!!」
「「へ?」」
レイコルトとリリア、二人分の疑問符が教室内に木霊する。それはそうだ。まさか謝罪の言葉が出てくるなど、一体誰が予想できただろうか。
教室全土に行き渡るほどの大声に、何事かと一斉にこちらに視線を向けるクラスメイト達。ついでに言うと、遠くからこちらの様子を心配げに窺っていたエレナとシラリアも目を丸くしている。しかしそんな周囲の反応など気にも留めず、ルークはなおも言葉を続ける。
「虫のいい話だってのは分かってる。そう簡単に許してもらえるとも思ってねぇ。けど──」
「ちょちょちょ、ちょっと待って! 話が見えないんだけど! どうしたのいきなり?」
「何って、そりゃ入学式の時のことだよ。俺、お前が忌み子だからって見下して、傍観者に徹してただろ? だからその謝罪だ」
「入学式の時‥‥‥、あぁ」
おそらくルークが指している入学式の時とは、まず間違いなくレイコルトと今は亡きレクス・オルグレンの決闘の事だろう。あの時、忌み子であるレイコルトの入学を快く思わないレクスが古くから王国に伝わる『決闘』を半ば強制的に吹っ掛けてきたのだ。
勝者は敗者に対して何でも一つだけ命令を下すことが出来るという決闘。レクスがレイコルトに望んだ命令は『レイコルトの自主退学』。横暴とも取れるその態度だが、その場で止めようとするものは誰一人としておらず、むしろ皆が一様にしてレイコルトに侮蔑の視線を浴びせていた。
「あれは、仕方がないんじゃないかな? それに僕はまったく気にしてないから別に‥‥‥」
「それだけじゃねぇよ。野外実習の途中、変な連中に襲われた時だってお前は俺たちを助けてくれたじゃねぇか」
(あれ? そうだっけ?)
と、内心首を傾げるレイコルト。確かに野外実習の際、レクスとの二度目の死闘を制してからエレナの元に駆けつける道中で何度か魔王教団に襲われている生徒を助けた覚えはあるのだが、それが誰かまで認識する余裕がなかったというのが実情だ。なにせあの時はレイコルト自身、焦りで視野狭窄になっていた自覚があるし、なにより時間帯的に周囲には夜の帳が下りていた。そんな状況下では誰が誰だかなんて判別がつくはずもなく、レイコルトはただ己のなすべきことを為していたに過ぎない。
「正直、お前がケガで休んでるって聞いて肝が冷えたよ。忌み子だからって見下して、侮辱してた俺たちも助けてもらったのに、当のお前は死んじまってるんじゃないかって‥‥‥」
「‥‥‥ルーク」
「だから改めて言わせてくれ、レイコルト、本当にすまなかった! この通りだ!」
そう言って深々と頭を下げてみせるルーク。その口調や態度はどこまでも真っすぐであり、少なくともレイコルトには彼が、嘘をついているようにはとても思えなかった。次いでチラリと、横で事の成り行きを見守っていたリリアに視線を向けると、彼女もニコリと微笑んでで頷いてみせる。どうやら彼女のお眼鏡にもかなったらしい。
「‥‥‥分かった、ルークの謝罪を受け入れるよ」
「ほ、本当か!」
レイコルトの言葉にバッと勢いよく顔を上げるルーク。その表情はどこか晴れ晴れとしたものであり、その整った顔立ちを喜色一色に染め上げていた。
「うん。だからルークも、もう気にしないで」
そう言って、僅かに瞳を細め口角をあげて見せるレイコルト。正直、レイコルトとしては特段ルークが謝るようなことではないと思っているが、それとは別で、彼のその真摯な態度はふいに昔──国中を放浪していた時の事を思い起こさせていた。
『世の中案外、自分の非を認められねぇ奴の方が多いもんさ』
当時仕事を手伝っていた工具屋の店主が、レイコルトにそんなことを聞かせてくれたことがある。
『どうしたって誇りや自尊心って奴が邪魔をして、素直に腰を折ることを良しとしない。年を重ねれば重ねるほど、それは顕著になっていくし、それが当たり前になっていく。だがなレイコルト、そんな時こそ自分の非を認めて相手に謝罪できる人間ってのは、何よりも強いんだよ。覚えておけよ? 誇りや自尊心ってのは確かに大事だがな、そればっかりに固執しちまう奴はいつか必ず足元をすくわれる。そんな奴よりも素直に謝れる奴の方が何倍も何十倍も立派だ』
なるほどと当時のレイコルトは素直に感心していた。
「ありがとなレイコルト。この恩は一生忘れねぇ」
「大袈裟だなぁ。でも、うん」
嬉しそうに笑うルークにつられてレイコルトも笑みを浮かべる。するとその様子を遠くから眺めていた何人かの生徒が、こちらに歩みを進めてくると、
「あの、レイコルト君。わたしからもごめんなさい」
「僕も」「あたしも」「俺もだ」
次々に謝罪の言葉を口にし始める。彼らは全員、ネウレアの樹海でレイコルトに助けられた生徒達であり、皆一様にどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
もちろんその数はクラス全体で見ればごく少数であり、ほとんどの生徒はというと貴族層を筆頭に、冷ややかな目でこちらを遠巻きに見ている。中には嘲笑するような表情を浮かべている者もおり、その反応は実に様々だ。
だが、それでもいい。そう簡単に変われるほど人の価値観なんて単純な物ではないだろうし、そもそもレイコルトもクラスの全員から受け入れてもらえるなどそんな現実味のないことは最初から求めていない。
だから、レイコルトは、ただ一言。
「ありがとう」
自分のことを受け入れてくれたルークやクラスメイト達。そんな彼らに対して、レイコルトは万感の想いを込めてそう告げるのだった。




