25.その後、そして最後の戦い
「えっと‥‥‥エレナ? どうしてずっとそっぽを向いたままなのかな? 」
「‥‥‥‥‥‥」
「あのー、何か反応をしてくれると嬉しいんだけど‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「あはは‥‥‥、ハァ‥‥‥」
レイコルトの乾いた笑いが夜闇の中に溶け込んでいく。
虚しい。ただただ虚しい。
あれからエレナはひとしきり泣き続けた後、レイコルトの胸元から離れるとそのまま俯いて黙り込んでしまった。時間でいえばものの数分程度しか経っておらず、エレナがこれまで抱えてきた悲しみの大きさを考えれば、まだまだ足りないような気もするが、それでも少しは落ち着いたのだろう。
だが、それからが問題だった。というものそれ以降エレナはレイコルトと一切口を聞こうとはせず、ずっとそっぽを向いたままなのだ。
(はぁ、やっぱりむやみに女の子を抱きしめたのはまずかったかなぁ……。いや、でもあれはエレナからだったし……)
脳内で一人ブツブツと誰にするでもない言い訳を呟きながら、レイコルトはチラリとエレナの方に視線を向ける。しかし、彼女は相変わらずそっぽを向いたままであり、その横顔から感情を窺い知ることはできない。
結果、レイコルトにできることといえば、この沈黙をただただ見守ることのみ。
一方、亜麻色髪が特徴的な少女ことエレナはというと──
(うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ! わわわ私ったら、あんなに大胆に抱き着いて‥‥‥ッ!! 汗とか匂ってなかったかしら? ──っていうか泣いてるとこバッチリ見られちゃってるしぃ〜ッ!! ああ、もう最悪!! お父様やお母さまにも見られたことなかったのにぃぃぃ~!!)
──と、まぁこんな感じで絶賛悶絶中であった。
それもそのはず。いくら自分が心身ともに弱りきっていたとはいえ、いきなり異性であるレイコルトの胸に自ら飛び込み泣きじゃくるという、今思い返しただけでも羞恥でどうにかなりそうな行動に出てしまったのだ。年頃の女の子であるエレナにとっては悶えるな、という方が無理な話である。
とはいえ、いつまでもこのままでは埒が明かない。エレナは一度大きく息を吸い「よしっ」と気合いを入れると、覚悟を決めてレイコルトの背中に声を掛けた。
「ね、ねぇ、レイ」
「えっ!? あっ、な、なにかな!?」
突然話しかけられたことでレイコルトは思わず声を上擦らせてしまう。
「えっと‥‥‥その、そういえばまだお礼を言えてなかったと思って」
「‥‥‥お礼?」
「ほら、あいつ。えっとジーク、だっけ? あいつから助けてくれたでしょう。 だから、ありがとう」
「‥‥‥あぁ、ううん。気にしないで。当然のことをしただけだから」
「それでもよ。それでも、ありがとう」
その”ありがとう”はなんとなく、別の意味も含んでいるような気がした。
「‥‥‥そっか。それなら良かった」
レイコルトは柔らかに微笑むと、エレナの言葉を素直に受け入れる。
それだけで、先ほどまでの妙に気まずい雰囲気は嘘のように霧散していき、いつも通りの穏やかな空気が二人の間に流れ始める。
「それにしても、レイ。あの男、あなたのことを弟って呼んでたわよね。それに魔王教団ってなんのことなの?」
(やっぱり聞いてくるよね‥‥‥)
エレナからの問いかけに一瞬だけ眉をひそめるレイコルトだったが、すでに隠し通せる状況ではないことは重々承知している。それに、今回は偶々奴らの手からエレナを守れたものの、次もまた同じことが起こらないとも限らないだろう。だからこそレイコルトは包み隠さず真実を語ることにした。
魔王教団とは大魔王ヴェルミスを崇拝している者たちの集まりであること。教義、目的、構成員の何もかもが不明であり、実体が全く掴めない不気味な組織であること。
そしてジークとレイコルトの二人はかつて兄弟弟子としてセリーナの門下に入っていたこと。最後に、ジークとは浅はかならぬ因縁があること。
流石に最後のことについて詳しく話すことは憚られたため、なんとなく濁しておいたが、それ以外は全て正直に答えていく。
エレナはやがてそれらを全て聞き終えると「ふぅん」と呟き、少しだけ考えるそぶりをしてから口を開いた。
「魔王教団、か。そんな奴らがいたなんて全然知らなかった」
「それは仕方ないよ。普通に生活していたらまず関わることなんてないし、師匠も詳しいことまだは掴めていないみたいだから」
それよりレイコルトが気になるのは、
「どうして、その魔王教団が私たちを攫おうとしたのかしら? 」
そう。そこである。なぜ、大魔王ヴェルミスとは何の関係もない士官学生たちを誘拐しようとしたのか、その理由が二人にはまったくもって分からなかった。ジークは何人か優秀な魔導士の肉体が必要だと口にしていたが、それが一体何を意味するのか。
「あ、そういえばジークのやつ、エレナの他にも《氷姫》って二つ名を持ってる子も攫おうとしてたけど、エレナ、その子が誰か分かる? 多分クラスメイトの誰かだとは思うんだけど」
「えっ? レイひょっとして知らないの?」
「う、うん」
信じられないと言わんばかりに目を見開くエレナに対し、レイコルトはどこかバツが悪そうな顔を浮かべる。
そんなに有名なのだろうか?
「あぁーそっか、あの娘がそう呼ばれてたのはずいぶん前たから、レイは知らなくても無理はないわね」
「そ、そうなんだ。それで、誰なの? その《氷姫》って?」
「あぁ、それは──」
ガササッ!!
「「──!!」」
エレナが続く言葉を口にしようとしたその瞬間、突如として近くの茂みが音を立てて揺れ動いた。二人は瞬時にその場を飛び退くと同時に臨戦態勢を取り、油断のない瞳で見据える。
(魔物か? それとも魔王教団の残党?)
レイコルトは腰に差している剣の柄にゆっくりと手を添え、未だ姿の見せない何者かに意識を集中させる。
やがて暗闇の隙間から姿を現したのは──
「レイ‥‥‥コルトォォォォォォッ!!!」
「レクス!?」
そこにいたのはつい先ほどまで、レイコルトとは命のやり取りをしていたはずのクラスメイト、レクス・オルグレンであった。
先の戦闘ではレイコルトの手によって完全に意識を断ち切られていたはずなのだが、どうやら自力で意識を取り戻したらしい。
レクスは全身ボロボロの様相を呈しながらもレイコルトを憎悪の籠った瞳で睨みつけると、荒い呼吸のまま血走った瞳で口を開く。
「貴様のせいで‥‥‥! 私の人生は滅茶苦茶だッ!! 絶対に許さんぞ‥‥‥ッ!殺してやる!! コロスコロスコロスコロスゥゥウウッ!!!! 」
「ねぇレイ、レクスの奴。何か様子が変じゃない?」
「うん。明らかに正気を失っている」
二人の言う通り、レクスの双眼は狂気に満ち溢れており、口元からは絶えず唾液が垂れ流れている。さらにその体からはこの距離でも知覚できるほどの濃厚な魔力が漏れ出しており、その様子は人というよりも全身が魔力で構成されている魔物を彷彿とさせていた。
「あぁぁぁああああああっ!! 殺す! 今すぐ貴様を殺して私はぁぁぁああ!! 」
「──ッ!! 待って、それは!!」
突如レクスは懐から赤い粒状の何かを取り出すと、それを自身の口に放り込み勢いよく噛み砕く。
その正体は《神秘の雫》。それは服用するだけで体内の魔力が増幅され、魔力量の上限すらも引き上げるとレクス自身が語っていた魔の代物。
だがもし、レクスの様子がおかしくなった原因がそれだとしたら? その考えに至ったエレナは慌てて制止の声を上げるが、時すでに遅し。
「──ぐっ、がァアアアッッ!!!!」
刹那、レクスの口から苦悶の声が木霊したかと思うと、その体はまるで風船のように急激に膨張していく。
肌はドス黒いワインレッドへと変色を遂げると、体の全身を硬質な鱗が覆い尽くしていく。指先から伸びた爪はまるで鋼鉄のように固く鋭く変貌し、双眸を血のように真っ赤に染めあげる。さらに肩甲骨上部の肌をメキメキと食い破って出現した一対の翼は空間を叩くように数度はためかせると、徐々にその体を宙に浮かび上がらせていく。
そして、最後に口元から大きく裂けた真っ赤な口腔と鋭利な牙をギラリと覗かせたかと思った次の瞬間、耳をつんざくような金切声が周囲に響き渡った。
「ギィィヤャャァァァァァッッ!!!!」
「あれは、魔族‥‥‥?」
エレナは呆然とした表情を浮かべると、視線の先に映るその姿を眺める。
魔族とは魔物の上位種に位置している存在であり、その強力さたるや一体で街一つを滅ぼすことすら可能とされている怪物である。しかし、上位種ということもあってか出現率は極端に低く、その存在が確認された事例は過去にも片手で数えられるほどしかない。
また魔族が他の魔物と比べて圧倒的に異なる点。それは非常に高い知性を持ち合わせていることである。ゆえに人語を理解することができ、中には会話が可能な個体も確認されたらしい。
まさか魔族とは人間が変異したものだったのか? そんな考えがエレナの脳裏をよぎるが、
「いや、魔族は必ず額に二本の角を生やしているって聞いたことがある。でも、今のレクスにそれらしいものは見られないから、あれは単に魔力によって肉体が変質してしまっただけだと思う」
エレナのそんな考えを否定するように、レイコルトは首を横に振る。事実、レイコルトの分析は正しく、魔族の身体的特徴とされる額の突起は確認できない。つまりレクスの体に起きた異変は《神秘の雫》による副作用、もしくは強力な力を得る上での代償だとみるべきだ。
「グォォォオオォォォォォォォォォォッッ!!」
「‥‥‥戦うしかなさそうだね」
「そうみたいね」
もはや異形の化け物と化してしまったレクス。これ以上周囲に被害が広がらないよう、そして、せめてレクスが誰の命も奪わずに済むようにレイコルトとエレナの二人は互いに覚悟を決めると戦闘態勢に入る。
とはいえ、二人とも既に満身創痍という他なくまともに戦えるだけの余力は残されていない。特にレイコルトの方は傷が深いのか、ふらつく足取りのままどうにか立っているのがやっとの状態だ。必殺の《神速強化》もあと一度使うのが限界だろう。ゆえに──
「エレナ、僕がレクスの隙を作るからその間に君がトドメを刺してほしい」
「で、でも私の刀はもう‥‥‥」
スッとエレナが視線を向けた先。そこには刀身の半ばからポッキリと折られてしまったかつての愛刀の姿があった。あれでは使い物にならない。エレナがそう言いかけた瞬間──
「大丈夫」
「──!」
レイコルトはおもむろにエレナの手を己の手で包み込んだかと思うと朗らかに微笑みかけてきた。
その真っすぐに見据える黒い瞳は世界を優しく包む夜空のようであり、エレナはハッと息を呑むとまじまじとレイコルトの顔を見つめ返す。
何を指しての『大丈夫』なのか。そんなことは聞くまでもない。彼は信じているのだ。エレナが枷を振りほどき、過去を断ち切り前に進むことを。ならばその想いに応えなくてどうするというのか。
エレナは自身の手のひらから伝わる温もりを静かに感じ取ると、やがてコクリと小さく首肯する。
「じゃあ、頼んだよ」
簡潔にそれだけを告げたレイコルトはフッと口元を緩めた直後、かつてはレクスだった怪物目掛けて一直線に飛び出していくのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ギィィィイイッ!!」
ネウレアの樹海に金切声が響き渡った。
かつてレクスだった異形の怪物は両腕から生えた鋭い爪で眼前のレイコルトを切り裂かんと縦横無尽に振り回す。
対するレイコルトはというと巧みな剣捌きで攻撃を時に弾き、時にいなしていく。一瞬の油断も許されない極限の攻防。高速で繰り出される凶爪はレイコルトが完璧なタイミングで受けてなお、全身にズシンと響くほどの威力を秘めていた。
「ぐっ‥‥‥!」
レイコルトはギリギリのところで攻撃を受け流すと、そのまま最小の力で後方へと退避する。大きく距離を取れば、後ろで攻撃の機会を窺っているエレナに標的を切り替えかねない。さらに少しでも余裕を与えてしまうと、上空に逃げる可能性もある。ゆえにレイコルトは攻守ともにおいて限られた選択肢の中で戦うことを強いられていた。
しかし、この逆境に立たされてなお、レイコルトの精神は僅かばかりも揺らいでおらず、その瞳はしっかりと前だけを見据えていた。
「グゥルアァァッ!!」
刹那、再び放たれる爪撃。
レイコルトはそれを最小限の動作で回避すると、カウンター気味に刃を胸元へと突き付けた。
「グォッ!?」
これまでとは明らかに異なる手応え。開戦以降初めてとなる有効打に、さしもの怪物も初めて動揺の色を見せた。
鋼鉄のように強靭な鱗に遮られたことでダメージは浅いが、それでも怪物にとっては無視できるような一撃ではない。
亜音速で翼をはためかせ、後方へ逃れた怪物は体勢を立て直しつつ、レイコルトを睨め付ける。
「ギィィィィッ!!」
そして、その口から怒号にも似た絶叫を轟かせると、今度は怪物の方から真っ直ぐに突っ込んできた。
その速度は先ほどまでとは比べ物にすらならず、瞬きすら許さない超速の爪牙が容赦なく襲いかかってきた瞬間──
「《神速強化》ッ!!」
レイコルトは必殺の剣技を発動させた。
三秒間の間《魔力強化》の十数倍の超加速を実現させる《神速強化》。発動後は反動によって無防備を晒してしまうため、絶対の確信を持って放たなければ己の身を危険に曝す諸刃の剣技であるが、今このタイミングで使うことにレイコルトは迷わなかった。
「ハァァァァァァァァァッ!!」
裂帛の気合いと共に振るわれた渾身の一閃。
それは怪物の右腕を斬り飛ばすことに成功し、さらにその勢いのままに怪物の腹部を深々と切り裂いた。
しかし──
「グガァァァァァァッッッッッッ!!!!」
絶命には至らず、怒り狂う怪物は残る左腕を振り上げると、反動で身動きの取れないレイコルト目掛けて鋼鉄の爪を叩きつけた。
「ぐっ‥‥‥ッッ!!」
神経を直接抉られたかのような激痛。切りつけられた背中からは鮮血が噴き出し、周囲の木々にワインレッドの斑点模様を描き出す。地面に叩きつけられた衝撃で無理やり肺の中の空気を押し出された例コルトは苦悶の表情を浮かべる。
もはや立ち上がる力さえ残っていない。だが、この瞬間、レイコルトの戦略は完成した。
「今だッ! エレナッ!」
レイコルトは口内にひろがる鉄臭い味を感じながら、後ろで必殺の機を待ち続けていた少女に向かってありったけの声を張り上げた。
「──ッ!」
その叫びに呼応するように、エレナは手のひらを前方に突き出すと渾身の一撃を開放する。
恐れはない。迷いもない。自分を見てくれる人が居ると分かったから。それを信じることが出来たから。だからもう己に枷は必要ない!!
「──【漆黒剣舞】ッ!!」
刹那、エレナの足元に展開された漆黒の魔法陣。そこから射出された鎖は、レイコルトを沈めたことで、完全に隙を晒していた怪物の腕と足を瞬く間に拘束するとその自由を完全に奪い去る。対象の魔力が多ければ多いほど硬度を増していく鎖は、怪物と化したレクスの力を以てしても振り解くことは不可能だ。
さらに、それだけでは終わらない。発生した魔法陣はより一層強く輝きを増すと、エレナの周囲には夜空を彷彿とさせる無数の剣を生成する。一定の軌道を描きながら浮遊するその剣はやがて、一斉にレクスへと切っ先を向けると、──刹那、無数の雨がレクスに降り注いだ。
「グギャャャアァッッ!!」
流星の如き斬撃。怪物の漏らした動揺は、突き刺さる剣にかき消され凄まじいまでの連撃がその肉体を刻んでいく。
これがエレナが今放てる最大火力の攻撃。そして、これこそがレイコルトの計略。
戦う前からレイコルトは満身創痍な自分の攻撃が決定打になりえないことは理解していた。だからこそ、レイコルトはあえて自分んがやられることで明確な隙を作り、エレナに最大火力を叩き込ませる機会を生み出したのだ。
ァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
断末魔を響かせながら崩れ去っていくレクスの体。パラパラと黒い粒子となって霧散する体表は風に煽られると虚しく宙を舞い、やがて跡形も残さず消え去っていく。
どこか遠く聞こえるエレナの心配をはらんだ声。
魔力切れとこれまでの戦闘で負った無数の裂傷によってもはや起き上がる力も残されていなかったレイコルトは、その様子を霞んだ視界の中で見届けると静かに瞼を閉じる。
パタパタとこちらに駆け寄ってくる足音。それを最後にレイコルトは意識を完全に手放すのだった。
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