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12.時計塔、そして少女の告白

「またお越しくださいませ~」


 会計を終えたレイコルトたちは店員の見送りを受けながら、カフェを後にした。


「はぁー、おいしかったわね」


「うん、そうだね」


 満足げな表情を浮かべるエレナにレイコルトは素直に同意を示す。


(まさか、あの表情が忘れられなくて、ほとんど味を覚えてないなんて言えないよなぁ)


 正直、味の感想としてはこれなのだが、エレナがあまりにも嬉しそうだったのでこの場は適当に相槌を打つことにした。


「次はどこに行こうかしら?  私としてはこの辺りで買い物したいんだけど、レイは他に行きたいところある?」


「うーん、といっても僕はあんまり貴族街に詳しくないからね。エレナに任せるよ」


「分かったわ。それじゃ──」


 その後レイコルトはエレナに連れられて、色々な店を見て回った。


 呉服店にアクセサリーショップ、本屋に雑貨店など、他にも普段のレイコルトでは滅多に立ち寄らないような類の店にも顔を出し、なかなか新鮮な経験を得ることが出来た。


 とはいえやはりここは貴族街。商品一つ一つの値段があまりにも高すぎるため、到底購入に踏み出せるものではなかったが、唯一レイコルトが自腹で購入したのが今、腕に抱えているこの本だ。


 なんでもこの本を買った店が古本を専門に扱っているらしく、レイコルトの懐事情でもギリギリ手が出る範囲の値段だったのでつい購入してしまったのだ。


 そうやって、レイコルトは初めての貴族街で過ごす休日を満喫していると────


「きゃぁぁっー!? 誰かその人を捕まえて!!!!」


 突如、二人が歩いていた前方で悲鳴にも似た女性の叫び声が上がった。


「「!?」」


 二人はすぐに声の聞こえてきた方へ視線を向けると、そこには一人の女性が誰かに突き飛ばされたように地面に倒れ込んでおり、更にその先には鞄らしきものを抱えて走り去っていく男の姿が確認できた。おそらくはスリの類だろう。


(貴族街は比較的治安が良いって聞いてたけど、やっぱり一定数そういう輩はいるんだな‥‥‥)

 

 レイコルトは心の中で嘆息すると、足腰に力を込める。


 見る限り男は風魔法で脚力を強化をしているようであり、このままだと追いつくのは難しいだろう。なら──


「ごめんエレナ、ちょっとあいつ捕まえてく──」


「【ウィンド・アロー】ッ!」


 エレナに断りを入れ、魔力強化(マナブースト)で追いかけようと魔力を脚に込めた瞬間、視界の先ではエレナの放った風の矢が逃げる男に向かって吸い込まれるように飛翔していった。


 そのまま風の矢は通行人たちの僅かな間隙を縫うように突き進むと、見事逃げようとしていた男の背中に命中し、その衝撃で地面へと叩きつけた。


 一瞬の出来事にレイコルトは唖然としながらも、慌てて男の元へ駆け寄ると首筋に手を当て脈を確認する。


(気絶してるだけか)

 

 おそらく威力を調整していたのだろう。レイコルトは男の状態を確認すると、近くにいた男性に自警団への連絡を頼む。その後、男から鞄を取り戻し女性の元へ向かうと、そこでは既にエレナが女性の傍にしゃがみ込み声を掛けている様子が見えた。


「エレナ! 鞄は無事に取り返せたよ!」


「ありがとうレイ。怪我はなさそうだった?」


「うん、気絶してるだけで目立った外傷はなかったよ」


「そう、なら良かったわ」


 エレナは安心したように微笑むと、今度は女性の方に向き直り声を掛ける。


「あの、おケガはありませんか?」


「えっ、あっ、はい。私は大丈夫です」


 女性は戸惑いながらもエレナの問い掛けに答える。


「あ、あの私の鞄は‥‥‥?」


「これですよね、どうぞ。あの男も直に自警団に引き渡されるはずです」


「・‥‥ッ!? あ、ありがとうございます‥‥‥」

 

 女性はレイコルトから差し出された自分の鞄を受け取ると、深く頭を下げながら礼を述べた。


「あの! もしよろしければお名前を伺っても‥‥‥?」


 やがて顔を上げた女性が遠慮がちに尋ねてきたので、二人は名前を伝えると──


「‥‥‥エレナ。もしかしてあのソングレイブ家の?  ということはあなたが噂の全属性持ち(ゼータ)のエレナ様ですか!?」


 女性はエレナの名前を聞いた途端、興奮気味に声を上げると 瞳をキラキラと輝かせながらエレナを見つめ返す。


 更にその声が周囲に集まっていた野次馬にも伝播したのか、辺りが一帯はまたたく間に喧騒に包まれた始めた。


「おい、あのソングレイブ家のエレナだってよ」


「え、全属性持ち(ゼータ)だって噂の?  わたし本物初めて見たわよ」


「ひったくりを捕まえたんだってよ! 流石だなぁ~」


 などなど口々にエレナへの称賛を投げかける人達。その声がまた誰かを呼び、更にはまた別の誰かを、いった具合に、どんどんと人が集まってくる。

 

 その数は十人、二十人と膨れ上がっていき、 それはやがて大きな輪となって次第に周りを取り囲み始めた。


「どうするエレナ? 一旦、向こう側に行った方が──」


 いくらなんでもこの人数に囲まれてしまえば面倒なことになってしまうと判断したレイコルトは、エレナに声を掛けようと視線を向けると──


 





 エレナは瞳に影を落とし、どこか憂いを帯びた表情を浮かべていた。

 

 ──あの時と同じだ。


 暗い洞窟を一人で彷徨う子供のような、あるいは全てを諦め達観した大人のような、そんな表情。


 気が付けば周囲の喧騒も、自身の息遣いすらもレイコルトの耳には届かなくなり、視界にはエレナの姿だけが映し出される。


 まるでエレナ以外の全ての景色が色を失ったかのように灰色へと染まり、その光景は酷く、寂しく、虚しく感じられた。


(どうしてこんなにも胸がざわつくんだろう?)


 その問いに答える者はいない。


 結局周囲の騒動は、自警団が駆けつけてくるまで収まることはなく、その後は到着した自警団から事情聴取を受け、解放されたのは西の空が朱く染まり始める頃だった。





◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「綺麗だね」


「えぇ、そうね」

 

 淡々と短い言葉を交わす二人の眼下には、夕焼けに染まって茜色の光を放つ街並みが広がっている。


 事情聴取が終わった後、二人はエレナの希望でアルカネルを一望できる時計塔の最上階に訪れていた。


 そこには、一時間ごとに時刻を知らせる巨大な鐘が設置されているだけの簡素な場所ではあるが、ここからの眺めるアルカネルの景色は絶景の一言であり、そのあまりの美しさにレイコルトはしばしの間、目を奪われていた。


「‥‥‥」


「‥‥‥」



 しかし二人の間に流れるのは沈黙と時折吹き抜けては優しく髪を撫でつけていく風だけであり、風切り音が妙にハッキリとレイコルトの耳朶を打っている。


 本来ならば、このような沈黙は決して嫌いではないのだが、何故か今に限ってはそれがとても居心地の悪いものに思えて仕方がなかった。


 だからだろうか。レイコルトは無性に何か喋らなければという衝動に駆られ、隣に佇むエレナに視線を向ける。するとレイコルトの視線を感じたのか彼女もこちらに目線を合わせると、ニコリとほほ笑みながら唐突に沈黙を切り裂いた。


「ねぇ、レイ。今日どうして私があなたを誘ったか、分かる?」


「えっ? えっと‥‥‥カフェの限定メニューが食べたかったから、じゃないの?」


 エレナからの突然の質問にレイコルトは戸惑いながらも、なんとか答えを絞り出すと、エレナは途端クスリと笑い、 優しい声音で語り掛けてきた。


「フフッ、確かにそれもあるけどね。でもそれだけじゃ二十点」


「他にも理由があるの?」


「えぇ、今日一緒に巡ったお店、覚えてる?」


 エレナはコトンと首をかしげながら問いかけてくる。


「もちろん。カフェに呉服店にアクセサリーショップ、本屋に‥‥‥あと雑貨店も行ったよね」

 

 レイコルトは今日一日の出来事を思い出しながら指折り数え上げていく。


 どのお店もレイコルトにとっては初めて見る光景ばかりであり、全てが新鮮に映っていた。


 だが、それがどうかしたのだろうか? そんな疑問が顔に出ていたのかエレナが話を続ける。


「あのお店はね、全部私が大好きな場所なの。それだけじゃない。今着てる服も、今日通った道のりも、ぜーんぶ私が好きなもの。そして──ここから見える景色も」


「あっ、でも最初のカフェは初めてか」、と冗談めかして笑うエレナは 視線を眼下に広がる街並みへと移し変える。


 その横顔を見ていたレイコルトもなんとなく彼女に倣うように街並みへと視線を向けると、そこには先程と変わらない美しさを放つ光景が広がっており、街行く人々や馬車の音がここまで聞こえてきそうなほど鮮明に映し出さていた。



「‥‥‥知ってほしかったの。私が普段見ている景色を、私の好きなものを。感じてる想いを。なにより、エレナ・ソングレイブっていう一人の人間を。なぜかしらね。でも、レイにだけはどうしても知ってほしくて」


 エレナは視線を街並みに向けたまま言葉を紡いでいく。その声音はどこか熱を帯びていて、どこか切なさを孕んでいた。


「別に特別なことなんて何もない。ありふれた日常の一コマ。どこにでもあるような何気ない風景。それでも、私にとっては一つ一つが大切なもので、かけがえのない宝物」


 エレナは視線を動かすことなく、どこか懐かしむような口調でそう語る。


「‥‥‥‥‥‥」


「‥‥‥ねぇレイ。今日は楽しかった?私はね、すっっごく楽しかったよ」


 エレナは不意にこちらに向き直ると、微笑みながら尋ねてきた。


 その表情はまるで幼い少女のような無邪気さで満ち溢れており、レイコルトは一瞬だけその笑顔に見惚れてしまう。


「うん、僕もすごく楽しかったよ。ありがとうエレナ」


「‥‥‥そっか、‥‥‥よかった‥‥‥」


 レイコルトが素直に感想を述べると、エレナはホッとした様子で胸を撫で下ろす。


 陽は既に遠くの山へと沈み始め、東の空には群青色の帳が降り始めている。


 二人がいる時計塔も徐々に明るさを失っていき、両者の輪郭がおぼろげになってきた。


「ねぇ、レイ、私ね──」


 

 エレナが再び何かを言おうとした瞬間、ゴォーン、ゴォーン と、重低音の鐘の音が辺りに響き渡る。


 ──夕刻を告げる()だ。


 エレナの凛とした声など容易くかき消してしまう程の鐘声。だが不思議とレイコルトは彼女が何を言っていたのか、鮮明に聞き取ることが出来た。

 

 鐘の音を背景に、レイコルトはエレナの輪郭をその瞳に焼き付ける。


 やがて完全に日が落ち、辺りには夜の静けさが漂い始める。

 

 エレナはしばらくの間、群青色に染まった夜空を眺めていたが、ふぅっと息を吐くとこちらを振り向いた。


「帰りましょうか」


「‥‥‥そうだね」


 どちらがともなくそう言うと、二人はゆっくりと時計塔を下っていく。


 だが、レイコルトの頭の中にはいつまでもエレナの言葉が木霊し続けていた。




 









 ────『ねぇ、レイ、私ね魔法が嫌いなの』





◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ふぅ‥‥‥」


 レイコルトは自室のベッドに仰向けに寝転びながら、大きくため息をついた。


 枕元には読みかけの本がページを開いて伏せられており、窓から差し込む月明かりだけが部屋の中を頼りなく照らしている。


 レイコルトは天井に視線を向けると、今日一日の出来事を思い返す。


 エレナと別れた後、レイコルトは真っ直ぐ家に帰ると、『たまたま』、『偶然』、『ちょうど』玄関前の掃除をしていたというシラリアに迎えられ、いつも通り夕食を一緒に摂った。

 

 それからお風呂に入り、シラリアと他愛もない会話をしながら就寝までの時間を過ごした後にベッドに潜り込んだのだが、妙に目が冴えてしまって眠れず、今日買った本を読んでいたのだ。


 ちなみにタイトルは『大英雄アレスの冒険譚』であり、主に大魔王ヴェルミスと英雄アレスの戦いの様子が描かれていた。


 アルカネルでは一番有名な物語と言っても過言ではなく、当然レイコルトも昔読んだことがあったのだが、大魔王ヴェルミスを崇拝しているという魔王教団(ディルヴィア)について何か手掛かりがあるのではないかと思い買ってみたというわけだ。


 なのだが──


「‥‥‥だめだ、全く内容が頭に入ってこない」


 レイコルトは本を閉じると、ぽつりと呟いた。

 

 それはきっと時計塔でエレナから聞いた言葉が原因なのだろう。


 エレナが放ったあの一言が頭の片隅から離れず、読書にも集中できなかった結果今に至っているわけだ。


「どういうことなんだろう?」


 レイコルトは天井を見つめながらポツリと独りごちる。もちろん答えが返ってくるはずもなく、その疑問は暗闇の中に溶けて消えていく。


 どうしようもなくレイコルトはベッドから起き上がると、窓際に近づきカーテンを開ける。


 そこには暗く分厚い雲が夜空いっぱいに広がっており、朧気ながら黄色の輪郭が細々と浮かんでいた


 今日は寝れないんだろうなぁ、と半ば諦めたように自嘲するも、せめてもの抵抗としてベッドに横たわると静かに目を閉じるのだった。

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