決着
「ブリジット様、アニータ様、ご機嫌好う。
第二学年もよろしくお願いいたします」
「マリアナ様、ご機嫌好う。こちらこそよろしくお願いしますわ」
「マリアナ様、ご機嫌好う。またご一緒出来て嬉しいですわ」
今日から、学年が一つ上がった。
王太子殿下は、既に卒業されている。
「そう言えば、お聞きしましたわ。リリアナ様の事」
「今日から、第一学年をやり直しになるというお話、本当なのですか?」
「本当です。
皆様のご迷惑にならなければ良いのですが……」
王太子殿下を怒らせ、休学させられていたリリアナだが、今日から、第一学年をやり直しで学園に復帰する事になっている。
卒業前にデナリス様同席で、王太子殿下が自ら事情を教えてくれた。
「ユリウス皇子を皇国の使者に引き合わせたんだ。
それがきっかけで、失っていた記憶が戻ったらしくてね。
おかげで、本人の確認も出来た。
話し合いの結果、ユリウス皇子がリリアナ嬢との婚姻のために身分を欲したので、皇国に返す事にしたんだ。
今頃は、正式に皇子の身分を取り戻してるはずだよ。
そうなると、リリアナ嬢には我が国の貴族の一員であってもらった方が良い。
学園の卒業が必要になってきたんだ。
そこで、こちらの配下を侍女にして、学園をやり直してもらう事にした。
ゴールド伯爵からの、侍女の言いつけを絶対に守る、という約束でね。
この約束を破るようなら、リリアナ嬢には貴族位を諦めてもらう。
この話も、伯爵からリリアナ嬢にしてある。
リリアナ嬢に貴族でいてもらった方がこちらも望ましいんだけど、無理をする必要は無い。
礼儀を弁えないなら、平民として皇国に送り届けた方が、何かあった時に我が国に害がない。
マリアナ嬢もそのつもりで、リリアナ嬢には厳しく接して欲しい。
リリアナ嬢につける侍女の名はデリアだ。
必要に応じて、彼女と連携してくれ」
……胃が痛い。
リリアナは、今度は通いではなく、寮に入る事になっている。
頼むから、普通に過ごしてくれますように。
「あまり気になさらない事ですわ。
マリアナ様から、リリアナ様に接触する必要はありません。
むしろ、リリアナ様がマリアナ様に何か無茶を言う事があった時に、デリアを頼れば良いのだと思います。
わたくしの事も頼って下さいましね」
「ありがとうございます。デナリス様」
リリアナの監視役のデリアさんが優秀だったおかげで、それから半年ほどの間は、概ね平和に過ごす事が出来た。
「あ、今日はこちらから行くのを止めて、あちらから参りましょう」
「そうですわね」
「いつもお付き合い頂いてありがとうございます。ブリジット様、アニータ様」
リリアナとの接触を避ける様にしてくれる、二人の級友の助力も大きい。
「このまま恙なく過ごせれば、宜しいのですけれど」
「そうですわね」
「隣国の王子のご来訪でも、何事も無ければ良いですわね」
来週、ユリウス出身の皇国とは別の国から、王子が学園を見学に来る事になっている。
滞在は半日ほどの予定なのだが、ある懸念がある。
「本当に、お噂通りの美貌なのかしら? ちょっと拝見したいですわね」
隣国の王子は、見目が良くて有名だ。
リリアナは、大人しくしてくれるだろうか。
当日は学園を休んでもらうのもアリなんじゃないだろうか。
「視察は、最高学年の公・侯爵学級だけなのでしょう?
残念ですけど、機会がありませんわね」
デナリス様の学級に、我が国の王太子殿下が案内するのだ。
授業時間でもあるし常識的に行動していれば、私もリリアナも隣国の王子への接触の機会は無い。
リリアナが何かしでかしたらなど、考えるだけで胃が痛い。
「マリアナ様、少し宜しいかしら?」
「デナリス様、何かありましたでしょうか」
目立たない所に誘導されたので素直に従い、デナリス様が盗聴防止の魔道具を起動するのを待つ。
「王太子殿下からの伝言です。
隣国の王子殿下の視察の日ですけれど、リリアナ様を休ませたりしない様にとの事。当日は、マリアナ様は隣国の王子殿下ともリリアナ様とも接触せず、該当の時間には、級友の方達と居て欲しいそうですわ」
「そ、それは……」
リリアナを罠にかけるって事?
「今、リリアナ様が体裁を保てているのは、デリアの働きに拠るところが大きすぎます。
このままでは、デリアが居なくなった途端に破綻するでしょう。
隣国の王子殿下は、王太子殿下と仲が良く、囮役を了承してくれたそうです。
こちらも何かさせるつもりはありませんけれど、デリアが実力行使で阻止する事態になった時点でリリアナ様の貴族としての生は終わりです」
デナリス様が、何も言えなくなった私の手をそっと握ってくれる。
「あまり、気に病まないで下さいまし。
何があっても、それはリリアナ様の選択の結果ですわ。
それに、平民になってもユリウス皇子殿下の元へ行かれるだけですわ」
「……ありがとうございます、デナリス様」
級友の二人の所に戻った時は、顔色が悪くて心配された。
隣国の王子の件で、リリアナが心配だと言っておいた。ここまでなら言っていいだろうし、事実だ。
仲の悪いリリアナだが、不幸になって欲しいとまでは思わない。
平民になってしまえば、ユリウスの所に行っても妾の様な存在にしかなれないのではないだろうか。
プライドの高いリリアナには、耐えられそうにない。
どうか、大人しくしていてくれます様に。
けれど、私の願いも空しく、リリアナは授業を抜け出し、隣国の王子の元へ向かって、デリアさんを始めとする王太子殿下の配下に捕まった。
未然だったとは言え、家の者が怪しい動きをしたと言う事で、父と共に私も謝罪を行った。
何故かジェレミー殿下も同席されていたので、謝罪の場は、仲が良いという隣国の王子に異母弟を紹介したかった王太子殿下の胸の内もあったのかもしれない。
いずれにしても、最後通告を受けていたのに、それに反した行動を取ったのは、リリアナ自身の意志であり、行動であった。
そして、リリアナは貴族の身分を失う事になったのだった。
リリアナが皇国に向かう日、もしかしたら会えるのはもう最後かもしれないと思い、王太子殿下に願い出て、別れを言わせてもらう事にした。
「リリアナ……」
名を呼んだものの、何を言ったらいいか分からなかった。
「何よ。惨めなわたくしをあざ笑いに来たの?」
リリアナは、これまでと変わらない、私を蔑んだような表情をしている。
「リリアナ。何故いつもマリアナの行動を悪い様に取るんだ?」
ジェレミー殿下が付き添ってくれたのも、リリアナの神経を逆なでしたのかもしれない。
「リリアナ、せめてこれを、持って行って」
そっぽを向いているリリアナに、持参した袋を差し出す。
リリアナはこれから、きっと色々困る事になる。
換金しやすそうなアクセサリーと、道中で暖を取れる様に厚手のショールを入れた。
リリアナの手がスッと伸びて、受け取ってくれたかに思えたが、
「何よ、こんな物! 要らないわ!」
左頬の辺りに、袋を叩きつけられた。
「リリアナ! なんて事をするんだ!
マリアナ、大丈夫か?」
ジェレミー殿下が、抱いて庇ってくれる。
「だ、大丈夫です。当たったのは柔らかい部分でしたから」
アクセサリーが壊れない様に、ショールに包む様に袋に入れておいたのが、思わぬ形で幸いした。
「マリアナ様、もう帰りましょう」
落ちた袋を拾ってくれたハンナに促される。
様子を見ていた兵士達も、もう潮時だと思ったのか、嫌がるリリアナを移送用の馬車に押し込んだ。
こうして、皇国に向かうリリアナを見送ったのだった。
「マリアナ様、今度の休日は、流行りの歌劇を見に行きませんこと?」
「マリアナ様、こちら、我が家の料理人自慢のパイですわ。一緒に食べましょう?」
「マリアナ、次の休みは、街に行ってみないか?」
「マリアナ様、マリアナ様はいつも頑張っていらっしゃいますわ。……あの、その、上手く励ましてあげられなくて許してくださいまし」
「マリアナ様……」
「マリアナ嬢……」
周りからは、結構落ち込んでいるように見えたらしく、ブリジット様とアニータ様の級友二人と、ジェレミー殿下、デナリス様、それから、他の級友達にも励ましてもらった。
それからの学園生活は、凪いだように平穏だった。
第二学年の終わりに、デナリス様の卒業を祝った。
第三学年でも、ブリジット様とアニータ様とは一緒に居られた。
良い友人に恵まれて、本当に良い学園生活だった。
リリアナの件で苦言を呈してきた令嬢達とも、そこそこの関係にはなれた。
ジェレミー殿下、いや、ジェレミー様とは正式に婚約者となって、学園でも堂々とパートナーとしていられるようになった。
子供の頃に教育を受ける事が出来なかった反動なのか、学ぶ事が楽しくて、成績も良い結果を残す事が出来た。
卒業後の進路も決まっている。
「ゴールド伯爵家の女主人になる予定なのは分かってるんだけど、しばらくでもいいから、デナリス付きの女官をやってもらえないかな。
デナリスは結構人見知りなんだけど、マリアナ嬢の事は最初から平気だったみたいなんだよね。
ジェレミーにも、しばらく僕に付いてもらいたいし、ちょうどいいかなって」
王太子殿下からの話となれば、否やは無い。
それに、デナリス様と居られるのも嬉しいし、ジェレミー様とも会える。
だから、平気。
こんな事が起こっても。
「ゴールド伯爵家を継ぐのは、このわたくし、リリアナ・ゴールドですわ。
そして、わたくしの夫となるのは、このユリウス皇子ですわ」
「さあ、リリアナの言う通り、家を明け渡してもらいましょうか」
着飾り過ぎて重そうなリリアナと、傲慢さを身につけて戻って来たユリウスが、ゴールド伯爵家の執務室に押しかけている。
「何を言っているんだ二人とも。
リリアナは貴族位を失って、ユリウス君の平民の愛人でしかないし、ユリウス君は、皇位継承権を放棄して、皇国で領地なしの伯爵になっているだろう」
現ゴールド伯爵が呆れた顔をしている。
ユリウスの出身の皇国では、元第三皇子が皇王に即位し、既に男児が生まれている。
皇族として求められたユリウスの立場は、今では微妙なものになっているのだ。
話が通じない様なリリアナとユリウスを、伯爵と二人でのらりくらりと躱す。
やがて、
「やぁ、待たせたね」
いつもの気楽な様子で、王太子殿下がお見えになった。
これで、公式の場では古臭い教本の様なお堅い態度だから、最初はギャップにびっくりしたものだ。
「マリアナ、大丈夫だった?」
ジェレミー様も来てくれた。
デナリス様からは、緊急通信用の魔道具を持たせてもらっている。
伯爵も連絡しているだろうし、私の連絡と合わせて、誰か来てくれるとは思っていたが、思った以上だ。
「な、なんですか!
関係ないでしょう!」
ユリウスが狼狽している。
リリアナが食って掛からないのは、王太子殿下もまた美形だからだろうか。
「関係はあるよ。
というか、ユリウス君への伝言役だよね。
皇王陛下から『大人しくしているならまだしも、問題を起こすなら、もう要らない』ってさ」
王太子殿下の合図で、騎士がなだれ込んできた。
ユリウスだけでなく、リリアナも引っ張り出していく。
「王太子なのに、こんな雑用、参っちゃうよね」
内容とは裏腹に、王太子殿下の機嫌は良さそうだ。
上手い事、皇国に貸しを作れたのかもしれない。
「ちょっと、放しなさいよ!
わたくしを誰だと思っているの!」
引っ張り出されていくリリアナに、向かう。
きっと、これが本当に最後だ。
「リリアナ。
あなたの事は、何故か嫌いになれなかった。
でも、あなたの事はもう忘れる事にします。
さようなら」
リリアナが何事か叫んでいたが、聞き取れなかった。
ジェレミー様が、私の両耳を掌で塞いでいたから。
読んで下さってありがとうございます。