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始動

 

「ねぇ、ハンナ。

 私、文字を習いたいの。

 ハンナが教えてくれない?」


「え? わたしがですか?」


「勿論。他に居ないでしょう?」


「あ、そ、そうですね」


 実家で冷遇されていたと言うハンナにもあった最低限の教育が、私に施されていない事にハンナも気付いたようだ。

 使用人達が私の状態が虐待だと気が付かないのは、強制力ではないかと思っていたが、この様子だと強度はそれほどではないのかもしれない。

 それなら朗報だが、今はまだ何とも言えない。


 将来的には家を出る事も考えているが、今はまだ無理だ。


 今は健康を取り戻し、それから何とか生きていく術を身につけられるように動かなくては。


 運動は、今はウォーキングだけだ。

 困った事に伯爵家のタウンハウスの庭は、そこまで広くない。

 歩くのも覚束ない今は庭だけで良いが、もう少ししたら外に出してもらえるようにしたい。


 食事は、しばらくの間、あの質素なメニューに甘んじていたが、そろそろどうにかしないと、と思っていたら、先にハンナが動いてくれた。


「料理長と話をしたんです。

 今日からは、少し良くなっていると思いますよ」

「ありがとう、ハンナ。

 料理長にもお礼を伝えてくれる?」


 パンが柔らかくなってお代わり自由になって、スープが野菜たっぷりになった他、肉料理がつくようになった。

 朝と昼は、ハムやベーコンと卵、夜は小振りのステーキ。

 もう少し野菜があった方がいいが、普通の食事、と言っていいと思う。

 

 父は相変わらず、家に居ない。


「お母様、ご機嫌好う。

 お姉様、ご機嫌如何ですか?」


 食事の席に着く前に、(伯爵夫人)リリアナ()に挨拶をする。


「ご機嫌好う、マリアナ」

「……フンッ」

 

 伯爵夫人は笑顔で挨拶を返してくれるが、リリアナからはこれ見よがしに無視されている。

 伯爵夫人がリリアナの態度を咎める事は無い。徹底してリリアナを無視している。


 リリアナの食事も一緒にグレードアップしているが、前にもまして憎々し気に睨まれるようになった。

 多分、自室で食べさせてもらっていたメニューの方が良かったんだと思う。


 仲の悪かったきょうだいと仲直りする、というのはバッドエンド回避の鉄板の一つだが、もう諦めている。

 というか、心折られた。

 ヒーロー疑惑のユリウスと一緒に、会う度に睨みつけられているし、挨拶をしても話しかけても全て無視されている。


 伯爵夫人は、私とリリアナの仲の悪そうな様子を楽しげに見ている。

 メニューの変更を大目に見てもらった理由として、少しでも前向きに捉えている。


 ハンナは、私に同情を寄せてくれるようになった。


「リリアナお嬢様の態度はあんまりだと思います。

 挨拶も返さずに、あんなあからさまに睨みつけるなんて!

 家庭教師は、何をしているんでしょう?」


 リリアナの教育の場も覗いた事がある。

 家庭教師を味方に出来れば、私も教わる事が出来ると思ったのだ。

 

 リリアナの家庭教師は、侯爵家の三女だったオールドミスだそうだ。

 髪を後ろでお団子にしており、細身、眼鏡をかけている。


 リリアナが何か答えた時に、

「手を出しなさい」

 リリアナが両手を上に向けて差し出すと、手のひらを鞭で叩いていた。

 その後、リリアナのミスがどのようなものだったか解説していたが、解釈の違いというか、間違いと言う程のものでは無い様に思えた。


 一応近づいて挨拶をしてみたのだが、無視こそされなかったものの、舌打ちでもしそうな顔をしていた。

 あまり近づきたい相手ではない。


 ウォーキングは、特に問題なく外に出してもらえた。

 まだ子供の体だった事が幸いして、順調に痩せてきている。

 ハンナと一緒に買い物したり、公園のような所にピクニックに行ったりも出来て楽しい。

 王都の様子も分かって、一石二鳥どころか一石三鳥くらいだ。


 王都の治安は良いので、読み書きと計算が出来たら、何処かで雇ってもらえるんではないかと思っている。

 ハンナに冗談めかして聞いて、心配そうにされた。



 かれこれ一年程が経ち、大分改善が見られている一方で、限界が近づいてきた。


 先ず、私が瘦せてきている事に、伯爵夫人が気付いたようだ。

 食事はそのままだが、しょっちゅうお茶に呼んでは、カロリーの高そうなお菓子を食べさせるようになった。

 本人はサンドイッチや場合によってはスープなど、食事に近い内容の物を食べていて、それらを私に食べさせる事も、私に食べさせているお菓子を食べる事も無い。

 ウォーキングの時間も減ってしまう分、二重にダメージがある。

 辛うじてぽっちゃりで済むくらいになってきつつあったが、これ以上は厳しい。


 次に、熱心に学習に取り組んでいた成果でもあるのだが、ハンナの教えられる限界になってきた。

 公立の図書館のような所があるので、何も学べないという事は無いのだが、この世界の常識に疎い私にとって、人から教われる事は大きい。

 今世の図書館の蔵書も専門性が高すぎて、役に立つ事を全般的に学びたい十一歳には、効率が良くない。

 

 それに、

「貴族の令嬢として学ぶべき事が欠けています。

 わたしに出来る事はお教えしてきましたが、わたしは元々マナーなど苦手で、やっぱりちゃんと教えられる方に教わる必要がありますよ」

 ハンナが申し訳なさそうにしていて、見ていて気の毒な程だ。

 

 ハンナとの仲は非常に良くなったが、他の使用人との溝は大きいままだ。

 執事を味方に出来ていたら、大分問題は改善しただろうに、執事は姉の味方で私の敵、という立場を守っているような状態だ。

 正直、強制力かなと疑ってしまう程だ。

 私が何を言っても

「リリアナ様を虐げているあなたに、わたくしが手伝える事など何一つ御座いません」

 の一点張りである。


 リリアナへの贈り物についても、伯爵夫人を躱せるようになってきたので、私がリリアナを虐げていると言える事実は、今や何も無いと言っていい。

 むしろ、私を無視し続け睨みつけてくるリリアナの方が、私を虐げていると思う。


 そんな折に、やっと父が帰って来た。

 様子見などしている場合ではない。突撃するしかない。

 執事が出て行ったタイミングで、飛び込む。


「お父様、この私マリアナ・ゴールドの話を聞いて下さい」


 名乗ったのは、必要だと思ったからだ。

 この男に、本来は一卵性双生児であったかもしれない私達の違いは分からないだろう。

 私の方が圧倒的に太っていたとしても。


「何だ、藪から棒に」


 面倒そうな目を向けられたが、即座に出ていけと言われる事も想定していたので、まだマシな対応だ。

 自分の窮状を一気に捲し立てる。


「…………という事で、伯爵夫人の状態も何とかする必要がありますが、先ず私の問題です。

 このままでは、伯爵家の汚点となるような娘にしかなりません。

 それは、このゴールド伯爵家の不利益になるのではないですか?」


 自分の窮状と言っても、感情的に訴える事はしない。

 この男にそんなものが効くなら、こんな状態にはなっていないだろう。

 ゴールド伯爵家の損得に絡めて話をする必要がある。


「なるほど。分かった。

 確かに妻に関しては、対策が必要だろう。

 しかし、お前に関しては、特段の必要は無い。

 妻への対策を講じれば、大半の問題が片付くのではないか?」


「……教育については、どうされるのですか?

 私は一年前まで、読み書きも出来ない有様だったのですよ」


 夫人の問題について、思った以上に簡単に受け入れられた一方で、貴族の子に教育が必要無いという衝撃的な事を言う伯爵。


「ふむ。これは話した事は無かっただろうが……」


 これ、どころか、何も碌に話してもらった記憶は無かったが、そんな事が吹っ飛ぶような話をされた。


 このゴールド伯爵家は、一度、無くなった家だそうだ。

 私の父である現在の伯爵は、名を継いだだけの一代限りの繋ぎで、本来の後継者はジェレミー・クリプトン。姉の婚約者である。


 ジェレミーは実は現在の国王の落胤で、血筋は尊いが表には出せないせいで無位無官になりそうな彼に伯爵位を渡すためだけに、今のゴールド伯爵家があるという。

 なお、これを言うと同時に、この内容を漏らしたら死んでもらうと言われた。

 

「この家はジェレミー殿下に継いでもらうためだけの物だ。

 不自然に見えない様に、侯爵家から厄介者を妻として引き取って来た。

 男ではなく、女を生んでくれた妻には、一応感謝している。

 しかし、ジェレミー殿下の妻になる姉ではなく、妹のお前に特段の価値は無い。

 そんなお前に教育を施す意味は?

 何の必要があっての教育だ?」


 ……地面が傾いだかと思った。

 必死で足を踏ん張り、立つ。

 心折れるな、私。頑張るんだ、マリアナのためにも。

 国王への忠誠はあっても、人として重要なものの欠けた、こんな男に負けるものか。


「姉の予備として役割があります。

 現在の姉にはマナー上、望ましくない行動が見られます。

 それに、ジェレミー殿下の妻の近い血縁に、貴族としての最低限も果たせない者が居るのは、問題があるのではないですか?」


「ジェレミー殿下にこの家を継いでもらえれば、娘二人が亡くなっても構わないのだが……、それでは不自然か。

 よかろう。

 お前にも教育を施すことにする」


「ありがとうございます。

 家庭教師をつけるのであれば、姉とは別の者をお願いします。

 進捗が違い過ぎて、二度手間になるでしょうから」


 礼を言うのも業腹だが、要望を通すためにも言っておく。


 リリアナの家庭教師はその厳しさで、リリアナからは敵認定をされているようだが、家庭教師自身はリリアナの味方のつもりらしく、私を敵視している。


 私に嫌味を言う時だけ、比較のためにリリアナを褒めるので、最近はリリアナが家庭教師を私に近づけようとする事が増えて不愉快だ。

「リリアナ様と違って、なんて不出来なんでしょう」

 家庭教師に狙い通りのセリフを言わせて、後ろで笑うリリアナの表情は、本当に嫌な感じだ。


 強制力のようなものが感じられるのに、リリアナがヒロインらしくないのが不自然な気もする。

 リリアナが嫌な態度を取るのは私に対してだけなので、こんなものなのだろうか。

 前世のラノベのよくあるパターンで、主人公が理不尽にきょうだいなどに嫌われているのは、作中に書いていないだけで、案外、主人公に原因があるんだったりして。


「それと、姉リリアナの侍従は、特別な事情があるようですが、ご存知の上で雇われているのでしょうか?」


 ジェレミーがざまぁされる側であると不味い事情があるなら、ざまぁするヒーロー疑惑の問題も解消しておいた方が良い。


「侍従? 便宜を図る様には言ってあるが……、確認しておこう。

 お前はもう下がりなさい」


「教育の手配を、母や執事に任せるのはお止め下さい。

 私に対する判断に、極端な偏りがあります」


「ほう?

 なるほど、分かった。考えておこう」


 話を終えて退室する時、伯爵はやけに満足そうだった。



読んで下さってありがとうございます。

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