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目覚め


 ずっと、お姉様はかわいそうだと思っていた。

 お母様に、わたくしのかわいい娘、と呼んでもらえるのは私だけ。

 お父様に、怒られるのはお姉様だけ。

 だから、お姉様はかわいそうだと思っていた。


 でも、本当にかわいそうなのは……。


***


 ガツンッ。

「痛い!」

 転んだ拍子に頭を打った。

 そして、その拍子に意識が切り替わった。


「お嬢様! 申し訳ございません!」

 足がもつれて自分で転んだだけなのに、メイドが血相を変えて飛んで来た。


 メイドに助け起こされながら、茫然と考え込む。


 これは、異世界転生ってヤツでは?

 しかし、思い出せる個人情報は現世の事ばかりだ。

 

 分かるのは、自分の今の状態がそれなりにピンチだという事だけだ。


「ねぇ、鏡を見たいわ。

 出来れば、全身が映るものを」


「は? はい! こちらへ」


 メイドに連れられて大鏡を覗き込めば、そこには、豚の様だと言えば豚に失礼といった、ブクブクと太り、脂ぎった不衛生な女の子の姿があった。


 マリアナ・ゴールド伯爵令嬢。

 今世の私だ。


 年は、十歳。

 偏食が酷く、毎日の食事はほぼ甘いお菓子だけ。

 少しでも労力を使う事の一切が苦手。

 最近では、歩くのも覚束なくなってきていて、さらに様々な事が億劫になっている。

 そのせいで、お風呂にもほとんど入っていないし、歯も磨いていない。


 当然、体はベトベト、髪は脂ぎっていて、顔は吹き出物でいっぱい、口の中は食べかすだらけだ。

 ……気持ち悪い。

 

「ねぇ、お風呂に入りたいわ。出来るだけ徹底的に洗いたい。

 それに歯も磨きたいわ」


「え!? は、はい、かしこまりました」

 

 驚いた様な反応の後で、応援が呼ばれ、テキパキと使用人達が準備するのを眺める事しばし。


 自分で歯を磨いた事も碌に無かったらしい事に改めて驚きつつ、自分の中にある歯磨きとは少し異なる方法で、教えてもらいながら磨いた。


 風呂で暴れないというごく当たり前の態度に、密かに驚かれながら、全身を洗ってもらう。

 自分で洗おうとしたら、それはやんわりと窘められた。

 この世界の貴族令嬢は、自分で自分を洗ったりはしないらしい。


「やっと少しサッパリしたわ」

 鏡を改めて見る。

 吹き出物だらけの顔はまだ治っていないし、太った体も勿論そのままだ。

 でも、髪だけはサラサラとした輝くような金髪になった。

 外に出ることも無い生活なのに、汚れでくすんでいたという事実に腰が引ける。


「お嬢様、お茶とお茶菓子のご用意が出来ております」

「え?」

 特に頼んではいないけど。


 見ると、美味しそうだが見るからにバターやクリームがふんだんに使われていて、今のこの体にはご遠慮した方が良さそうなお菓子が、たっぷりとテーブルに用意されていた。


 戸惑いを何か勘違いさせたらしい。

 先ほど、転んだ時に助け起こしてくれたメイドが、思い詰めた様な顔をして、突然頭を下げた。


「お嬢様、申し訳ございませんでした。

 お嬢様を転ばせてしまうなど、使用人としてあってはならない事だったと存じております。

 お咎めも受けます。

 ですが、どうかクビだけは、ご容赦下さい」


「え? 別にクビになんか……」

 そうだ、今までの私は癇癪持ちで、自業自得な事も周りの使用人に当たっている事があった。

 クビなどの致命的な言葉までは言っていなかった気がするが、使用人の立場に悪影響があるような言動は取っていた。

 女主人たる母は、そんな私を窘めるでもなく、私の我儘をそのままにしていた。


 思い出すと、血の気が引きそうである。

 

「だ、大丈夫よ。

 これから、こんな事でクビとか言い出さないから。

 ごめんなさい、今までわがままで」


「お、お嬢様!?

 どうなさったのですか!?

 もしや、先ほど頭を打ったことで、人生の回転ランタンを見てしまわれたのでは……」


 後半は小声だったがバッチリ聞こえた。

「人生の回転ランタンとは、何かしら?」


「も、申し訳ございません」


「いいから! もう謝らなくていいから! 咎めたりしないから!

 そうだ。

 折角だから、一緒にお茶をしましょう」


 戸惑う彼女を押し切って、一緒にテーブルに着く。

 本当は、お菓子は食べない方が良いと思うけど、私のために用意されたものを全く食べないのも問題があるので、出来るだけカロリーや脂質が低そうなものを選んで少しだけ取り分けてもらった。

 ハンナと名乗ったメイドにも食べてもらう。


 回転ランタンとは、影絵が回って見える仕掛けのあるランタンの事だそうだ。

 比喩では無い方の走馬灯の様な物だが、逆にこの世界には走馬灯という言葉が無さそうだ。

 切り替わった意識と共に手に入れた異世界の知識らしいものは、取り扱いに注意が必要だと思う。

 

 一方、人生の回転ランタンとは、人生の思い出を走馬灯の様に振り返る事、ではないらしい。

「いえ、そのように使われる方もいらっしゃると思いますが、わたしの居た辺境伯領では、このような話がありまして……」

 言いにくそうにしていたのを、無理に聞き出した。


 ある日突然、人格が変化するような現象が時々見聞きされると言う。

 頭を打つなどがきっかけになる事が多いらしい。


 本人達に聞くと、

「これからの人生を回転ランタンの様に見てきた。

 これまでの行いを改めないと、これから数年しか生きられないと分かった」

 一様にこの様に答えるらしい。


 一生懸命遠回しの表現をしていたが、それまでの素行に問題のある人物によく見られる現象で、周りからしても「行いを改めないと、後、数年しか生きられない」は説得力があるらしい。


「で、でもおかしいですよね。

 お嬢様が、これから数年で亡くなってしまうなんて、あり得ないことです。

 それにここは王都ですから、辺境伯領とは事情も違いますし」


 だから忘れて欲しい、という懇願を聞きながら、私はあり得る事だと思っていた。

 未来の私を見てきた訳ではないのは確かだ。しかし。

 

 自分の体を見下ろす。

 太り過ぎて、歩く事もままならなくなりつつある。

 まだ痛みなどは感じないが、虫歯もあっておかしくない。


 後、数年で生活習慣病から何かを併発して死んでも、驚かない。


「ねぇ、ハンナ。

 協力して欲しいの。

 代わりに、私が転んだことは誰にも言わないわ」


 脅して申し訳ない。

 それだけ、必死なのだ。


 覚えている事を、頭の中で整理してみた。


 父はほぼ、家に居ない。

 母は虐待をする人だと思う。私に対しては所謂、優しい虐待だ。

 今世の私が双子だったので、姉が一人いるが味方ではない。


 私が我儘放題だったために、使用人にも好意的な者はいない。

 祖父母などの親戚の記憶も、不思議な程一切無い。


 味方ゼロの現状を、どうにかしなくてはならない。 


 ハンナは、辺境伯の第二夫人の娘だが、実母が早世したために、実家では冷遇されていたそうだ。

 隣国の風習を取り入れた辺境伯領以外では聞かない、第二夫人の子というのも良くなかったらしい。

 本当は侍女として雇われていたのだが、迂闊な所があって、メイドに格下げになってしまったらしい。

 それでも実家に帰る訳にはいかず、こうしてメイドとして働いているとの事。


 申し訳ないが、好都合だ。

 執事とメイド長を呼んでもらう。


「お嬢様、お呼びと伺いましたが、何用で御座いましょうか?」

 代表して話しているのは執事だが、二人とも慇懃無礼だ。

 我儘放題の碌でなしが仕事の邪魔をするな、といったところか。


「大して時間は取らないわ。

 このハンナを私の専属にして欲しいの」


 テンプレであれば、文字通り人格が入れ替わった様に我儘を改めるところだが、ある懸念があるので、多少横柄な態度をキープする。


「専属、で御座いますか?」

  

「そう、お姉様も一人、専属を持っているじゃない。

 私も一人欲しいわ。

 ハンナが駄目なら、お姉様の専属を頂戴」


「……かしこまりました」


 お姉様の専属は訳アリで、引き合いに出したのは、希望を通りやすくするためだ。


 そんなに我儘な事を言っている訳でもない。

 伯爵令嬢であれば、何人か専属が居てもおかしくないと思うのに、日替わりでメイドが一人ついているだけだった。


 まぁ、私が癇癪を起してクビとか言い出しても、辞めさせないで済むようにするためならば、この状況は自業自得ではあるんだけど。


 その日替わりの一人をハンナに固定して欲しい、と言っている訳だ。


「それと、今日から食事をお姉様と同じものにして」


「リリアナ様と同じ食事、で御座いますか?」


「そう。

 出来るでしょう?

 別にお姉様の分を寄越せ、と言っているのではないのだから」


「かしこまりました」


 怪しまれたとは思うが、ある程度は仕方がない。



 ハンナの言う「人生の回転ランタン」の話が、もっと一般的であったなら良かったのかもしれない。


 ハンナが言うには、伯爵家のこのタウンハウスに勤める様になって五年、王都では聞いた事の無い話だそうだ。

 他では、突然人が変わってしまった話は浮かばないという。


 つまり、私の意識が切り替わってしまった理由が説明出来ない。

 説明出来る理由も無いなら、ある懸念から、私の変化は隠しておいた方がいい。


 そして、私が抱いていた懸念は、その日の食卓で早くも明らかになった。


「まぁ、マリアナ。

 どうしたの? その粗末な食事は?

 いつものようにケーキをお食べなさいな」


 私が食べているのは、リクエスト通り、双子の姉リリアナと同じ食事内容だ。

 硬いパンが一つ、そして具の少ない野菜スープ、それだけだ。

 そして母の言う、いつものようにとは、デコレーションケーキのみのメニューの事である。鬼か。


 姉と同じ食事は、ダイエットメニューとしても適しているかどうか、という内容だが、事細かにメニューの指定が出来るのもおかしかろうし、姉の状態を確認しておきたいというのもあった。

 なにより、食事が毎食デコレーションケーキのみ、というよりもマシである。


 母の虐待は、根が深い。

 双子の娘を産んでおいて、片方には貧乏生活を強いておき、もう片方には贅沢過ぎて体を壊すような生活をさせている。


「お母様。

 マリアナはお姉様のお食事が食べたかったのですわ」


「まぁ。でも、どうしましょうかしらね?」


 母は、私が幼くある事を好んでいると思っている。

 自分の事を名前で呼び、舌足らずな話し方をする方が機嫌が良さそうだ。

 伯爵家の生まれでもう十歳なのに、私に教育が施されず、読み書きも出来ない現状も、母が原因ではないかと疑っている。


 我儘を言う(マリアナ)を見て、満足そうにしていたのが今世の母だ。

 このままでは、人格が切り替わったように我儘がなくなった私を目の当たりにして、どんな行動を取るか予測できない。


 意識が切り替わる前のマリアナも、そこまで酷い子では無かったと思う。

 これ見よがしに姉だけに贈られる物に、然程の執着は無く、自分から欲しがった事も無かったはずだ。


 しかし、母の執拗なまでの誘導のせいで、マリアナ(自分)(リリアナ)に与えられた物を欲しがらないと、話が終わらない事に気付かざるを得なかった。

 母は、(マリアナ)(リリアナ)の物を奪わせて満足そうにしていたと思う。


 ……(伯爵夫人)、心を病みすぎだよ。正直、手に負えない。

 

 マリアナの記憶では、伯爵夫人が忘れた頃を見計らって、奇麗なままの贈り物を姉に返していたはずだ。

 ちなみに、姉からマリアナがお礼を言われた記憶は一切無い。

 実母に分かりやすく冷遇されている(リリアナ)には、(マリアナ)が我儘なだけだと映っているらしかった。


 ともあれ、食事だ。

 デコレーションケーキは阻止したい。


「駄目なら、お母様と同じ食事を食べたいわ」

 嘘。

 伯爵夫人の食事は、よく分からない薬が大量に振りかかったサラダだけだ。

 他の栄養をどうしてるかも知らないが、絶対に食べたくない。


 でも、

「仕方ないわね、リリアナと同じ食事をお食べなさい」

 あのサラダを、私に食べさせてくれた事は一度も無い。



 父が不在で、姉を無視する伯爵夫人と、私を常に睨みつけている姉との、気疲れするばかりで、足りない食事を終えて自室に戻って来た。


 メイドのままだが私の専属にしてもらったハンナに、脂ぎった体をもう一度洗ってもらって、一人にしてもらう。

 水の心配をしなくて良い所が、なんちゃってヨーロッパの良い所だ。

 魔石と魔道具で生活の便利さは現代並みだ。

 マリアナの知識には無くて、ハンナに聞いて分かった事である。


「ハードだったぁ、今日」

 然程何もしてないと言う無かれ。

 そもそも、状況がハードである。


「状況を整理しよう」

 マリアナは読み書きが出来ないので、筆記用具を用意してもらう事も出来ないが。

 

 先ず、この体の状況が思ったよりもキツイ。

 思うように動かないだけではない。


 常にイライラする。


 恐らく、食事バランスの悪さで、ホルモンバランスなどが取れていないのだ。

 カルシウムとかセロトニンとかが、致命的に足りていないと思う。


 このイライラを、精神力で必死に抑えつけて行動せねばならない。


 マリアナの癇癪持ちの理由だと思う。

 むしろこんな状態で、子供の精神力で、二日に一度位の癇癪で済ませていたマリアナは、我慢強い方だと思う。この状況にならなければ、同意はしてもらえないだろうが。


 にも拘らず、味方が居ない。

 父親は、基本的に家に居ない。

 母親は、二人の娘に別々の内容の虐待をしている。普通の判断力は期待出来ない。


 (リリアナ)には嫌われている。

 挨拶すら返してもらえない。

 

 姉と違って、家庭教師などを付けてもらっていない。

 乳母のような存在も記憶に無い。

 専属の使用人も居なかった。


 そして、使用人にも嫌われている。

 元凶は伯爵夫人なのだが、本人にぶつける訳にいかないせいか、その分もマリアナが被っている感じがする。

 後は、姉への同情の分が、上乗せかな。


 姉には、使用人が皆、味方している。

 伯爵夫人の前では乏しい食事しか摂れないが、陰で使用人が何とかしているらしく、やせ細った様子は無い。


 マリアナが、伯爵夫人の命令で自室に運ばれてくるお菓子を、姉と分けようと部屋を訪ねたら、菓子の甘い匂いが漂う室内から「お前の施しなど受けない!」と姉に怒鳴られた記憶がある。


 姉の味方はさらに居る。

 ジェレミー・クリプトン子爵令息。

 姉の婚約者だ。

 この国の貴族によくある金髪碧眼。

 姉は彼にベタぼれ状態と言っていいと思う。

 彼だけが、リリアナをマリアナよりも大事にしてくれている、と思っているように感じる。


 しかし、もう一人、イレギュラーが居る。

 それが姉の専属侍従。

 数年前、姉が何処からか拾ってきた。

 名をユリウスという。この国では少し珍しい黒目黒髪だ。

 作画コストの高そうな奇麗な顔立ちをしている。

 年頃は私達より少し上位。

 幼いとは言え、貴族女性に男の専属を付けるのも異例なら、こんな子供を侍従として雇うのもおかしい。


 メタ的な事を言うと、この世界は、姉を主人公にしたドアマットヒロインものではないか? と疑っている。


 多分これからの姉は、唯一の味方だと思っていた婚約者に裏切られて、エンディングで実は高貴な身分だったユリウスとのハッピーエンド、という流れじゃないかと思っている。

 そして、私は姉とは違って両親に溺愛されて育ったが故の我儘で、何処かでざまぁされる役。


 つまり私の死亡フラグは、現在の生活習慣病に加えて、物語の強制力、の二本立てという訳だ。


 ……泣いていいかな。

 

 気持ちを落ち着けるために、その日に出来た事を数え上げる。

 些細な事でも、ポジティブな事を並べていくと落ち着く。

 本当は書き出すのが効果的だけど、今日はしょうがない。


 一つ、今日は、癇癪を起さずに済んだ。

 二つ、歯を磨いたし、歯磨きを習った。

 三つ、お風呂に入った。

 四つ、ハンナを専属にしてもらえるように交渉して、成功した。


 良し、私、頑張った。


 今までこんな辛い状況で、マリアナはたった一人で頑張っていたんだ。

 これから、私だけは、何があってもマリアナの味方でいよう。

 そう、決めた。


 少し穏やかな気持ちになって、休む事が出来た。



読んで下さってありがとうございます。


もしも感想を送ろうと思って下さったなら、

どうか最後まで読んでからでお願いいたします。

無理してお書きいただく必要はありません。

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