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上ノ巻 「巫女の母娘は、荒城で月を望む」

挿絵の画像を作成する際には「Ainova AI」を使用させて頂きました。

 かつて嵐山の山頂に山城が築かれていた事を知る者は、御維新から十年余りの歳月の経った今となっては決して多くはないだろう。

 何しろ明治六年の廃城令よりも遥か以前に、この嵐山城は打ち捨てられてしまったのだから。

 山城国守護代である香西元長(こうざいもとなが)公によって築城された嵐山城は、城主である元長公が細川氏の跡目争いで敗死された事で廃城となり、そのまま人々の記憶から忘れ去られてしまったのだ。

 主郭や櫓を始めとする建築物は既に無く、往時の様子を辛うじて伝えるのは、半ば苔生して土に埋もれかけた石積があるばかり。

 数百年以上に及ぶ歳月を経て風食した古城の遺構は、こればかりは往時と変わらぬ秋月の澄んだ光に照らされ、静かな眠りについていた。


 そんな秋の夜の静寂に包まれた嵐山の城趾に立つ私達の姿は、事情を知らぬ者の目には些か場違いな物に写るのかも知れない。

 白い着物と赤い女袴の巫女装束に、散髪脱刀令の流れに逆行するかのような帯刀姿。

 既に三十路に差し掛かった私だけならまだしも、今年で七歳になる娘の花之美(かのみ)もまた、同様の巫女装束の腰に躾刀の脇差を差しているのだから、御維新から十四年が経過して西欧化の進む今日の人々には殊更に奇異に感じられるだろう。

挿絵(By みてみん)

「心の準備は宜しいですね、花之美?京洛牙城衆(きょうくがじょうしゅう)戦巫女(いくさみこ)として(あら)ゆる国難を退ける為にも、そして我が深草家の跡目を継ぐ為にも、貴女には優れた武人として大成して頂かねばならないのですよ。」

「心得て御座います、母上。この深草花之美、父上や母上を始めとする同門の先人方からの御指導を糧に、今日まで精進させて頂いたと自負しております。」

 秋の月光を反射して煌めく銀髪の下で輝く一対の赤い瞳が、力強くも澄んだ眼差しで此方を見返して来た時、私は我が子が正しい方向へ成長している事を改めて実感した。


 貞観(じょうがん)の御世に結成された霊能力者の武装集団を起源とする我々京洛牙城衆は、帝の御座所である京の都からも程近い嵐山の牙城大社(がじょうたいしゃ)を拠点に汎ゆる悪の脅威と戦ってきた。

 応仁の乱や源平合戦を始めとする数々の戦乱で生じた野武士に、そうした戦乱や朝廷内における権力闘争の敗者達が恨みを募らせた末に転じた悪鬼悪霊の類、そして時の幕府や朝廷によって禁じられた邪教集団。

 京洛牙城衆が今日まで歩んできた歴史は、こうした多種多様な悪の脅威との戦いの歴史であると言っても過言ではないだろう。

 私こと深草志乃(ふかくさしの)にしても、動乱に揺れる幕末の京を愛刀片手に駆け抜けたものだ。

 帝の御座所である京の都を守護し、日本に迫る悪鬼羅刹の輩を討ち滅ぼす。

 その使命感に裏打ちされた若き情熱があったからこそ、私は様々な悪の脅威に打ち勝ち、こうして今この場に立っているのだ。

 そして若き日の私に勝利をもたらした純粋な情熱は、我が子にも確かに受け継がれていた。

 京洛牙城衆で戦闘を司る戦巫女の先人として、そして何より実の母親として。

 可愛い我が子の真っ直ぐな成長は、実に頼もしい限りだ。


 そんな将来有望な娘だからこそ、次の質問は喜ばしい物だった。

「さりながら、母上。憚りながら御伺い致しますが、此度の鍛錬は何故に城趾で行うのでしょう?鍛錬場ならば、我が牙城大社にも立派な物が御座います。それに何故、日没をお待ちになったのか…」

 それらの疑問は此度の鍛錬の要と言うべき物であり、そこに着目した我が子の慧眼も贔屓目無しに素晴らしい。

 然しながら、迂闊に頬を緩ませる訳にはいかない。

 何しろ私は母親であると同時に花之美の師匠でもあるのだから、相応の威厳を持って接する必要があるのだ。

「良い所に気づきましたね、花之美。それでこそ、京洛牙城衆の戦巫女候補生にして我が深草家の跡取り娘。鍛錬に入る前に、一つずつ順を追って解き明かして差し上げましょう。」

 威厳を持って接するのもまた、一つの親心。

 そう己に言い聞かせながら、私は母親としての甘さを懸命に抑えるのだった。

「この嵐山に築かれた山城には、香西元長公に仕えた兵達の誇り高き思念が今尚確かに残っているのです。武士の魂の持ち主である彼等の思念に、確かに見守られている。そう意識しながら鍛錬に励む事で、武人としての気概も自ずと育つという物です。それに牙城大社の巫女である私達が刃を交えて励む鍛錬には、鎮魂の演舞という意味合いも生じてくるのですよ。」

「武人としての心も育てる鍛錬に、古の兵達に感謝と敬意の思いを捧げる鎮魂の演舞。此度の鍛錬には、そのような意義が…」

 感慨深げに呟きながら、花之美は苔生した石積や曲輪の名残りを始めとする山城の遺構に向けていた。

 その眼差しには、永正の錯乱を香西元長公の下で戦った兵達への畏敬の念が込められているのだろう。

「そして日没を待ったのは、あの満月の月光が私達の鍛錬に好都合だったからに他なりません。ここまで申せばお分かりでしょう?」

「委細承知仕りました、母上。狐憑きの一族である私達にとって、降り注ぐ月光は神狐の霊力を増幅させる良き触媒。月夜の日に祝詞を唱える鍛錬は今までに何度か行いましたが、此度の鍛錬もそれに類する物なのですね。」

 得心そうに微笑む我が子の赤い瞳は、墨を流したかのような夜の闇の中で殊更に明々と輝くのだった。

 どうやら花之美に宿る狐憑きとしての闘争本能が、降り注ぐ月光によって活性化しつつあるらしい。

もっとも、それは私も同じ事なのだけど。

 流石は狐憑きの家系として嵐山で鳴らしてきた深草の一族、お互いに血は争えないという事か。

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