ビッグモーター不正事件で気になった事
ビッグモーターの不正事件が連日取り上げられています。気になった事を二点、簡潔に書こうと思います。
ビッグモーターの不正がどういうものだったかは散々ニュースになっているので説明は端折ります。ビッグモーターというのは中古車販売の大手ですが、顧客に対して、あるいは保険会社を騙して(あるいは保険会社と共謀し)、利益をあげていました。
ニュースを見ていて気になったのが、詐欺としかいいようのないやり方で、無理やり客にローンを組ませたりしていたのに、消費者の側からの告発でビッグモーターの不正が明らかになったのではない、という事です。直接的なきっかけはビッグモーターの社員の内部告発で、そこから保険会社が調査に入り、問題が明らかになりました。
後から調べると、消費生活センターに8000を超える相談が寄せられていたそうです。それほど問題視されていたのに、そこからはビッグモーターの問題は明らかになりませんでした。
私はこれから社会の格差が広がると予想しています。そこで、危惧するのは、今回のビッグモーター事件のように、不正をして利益を得た会社でも、政治家やメディアと癒着する事によって、問題をなかった事にできるのではないか、という事です。
実際、メディアと完全に重なり合っていたジャニーズ事務所のジャニー喜多川の、ジュニアタレントへの性的虐待の件は、日本のメディアは積極的に取り上げようとしませんでした。
格差が広がるという事は、底辺の大多数に媚を売るより、上の方の富裕層と繋がりあった方が得が多いという事を意味するでしょう。底辺の人間はただ、数が多いので、彼らには適当にガス抜きさせたり、騙したりする必要があります。ビッグモーターもそんな意識だったのでしょう。
早い話、この社会で成功したければ、①大衆を騙す ②大衆から巻き上げた金で政治・メディアを黙らせる という二つを実行するのが有利になるのではないかと思います。
格差が広がれば、貧しい層を相手するよりも、富裕層を相手にした方が得ですから、ますますそういう方向に行きます。ビッグモーターの不正は内部から暴かれましたが、ジャニー喜多川の件のように、これからはメディア・政治・大企業といったものが連なりあって問題をなかった事にしようとすれば、それができてしまう世界になってしまうのではないか。それが今回のビッグモーター不正事件を見ていて、感じた一つの危惧です。
もう一つは、ビッグモーターの社長は六十億の家に住んでいるそうですが、日本の司法や警察・検察はどこまでこの社長らの存在に手をつけるのか、という事です。具体的な指示がないから不問にする、という事にならないか、心配しています。
もしそうなったら、この社会はどれほど不正な方法を使おうと、「やったもん勝ち」の社会になってしまいます。はっきり言ってしまえば、強姦しようが、人を殺そうが、何をしようが、権力と金を得れば逃げ切れるというようなそういう社会です。そうすると誰しもがそこに向かって運動していき、世界は殺伐とします。また、そういう権力のある人間に頭を下げれば自分も得できますから、そういう人達が増えるのではないかという事です。また、そうした人間に虐待されても、泣き寝入りする以外に方法はありません。これも格差社会と関係している問題でしょう。
社会の格差というのは底辺の人間にとって問題のように思われていますが、実際には上部の人間にとっても良くない事でしょう。それがわからないのは長期的な視野を欠いているからです。
というのは社会が上と下に別れれば、そこで強烈な闘争が起き、社会は不安定になるからです。貧しい者の最後の武器は、殺される事を覚悟にした暴力しかありません。社会の上部が法律を変えたり、上部層で関係しあって不正をなかった事にする事が続くと、貧しい者は死を覚悟した暴力に活路を見出そうとする事になります。数で言えば貧しい人間の方が多いのでこの闘争は厳しいものになるでしょう。
そうなると社会は不安定になり、生きるのが苦しくなってきます。塀を高く巡らして、貧民が入ってくるのを防いでも、不安は消えません。
この先の社会はそんな風になるのではないかと危惧しています。今回のビッグモーター不正事件は、消費者の政府への苦情やクレームがほとんど無になっていたと知って、心配になりました。これからますますこうした事が増えるかもしれず、「やったもん勝ち」の世界は加速していくかもしれません。
しかし未だに経済の無限性を絶対視する価値観は世の中の主流ですので、やはりこれからも、ビッグモーターのような会社は出てくるだろうとは思います。数値の「右肩上がり」が絶対化されれば、その過程における道徳性や人間性はどうでもいいものになります。全てが数なら、その過程はどうだっていいのです。
そういう人間性を廃棄した人間像こそが、ある意味で資本主義に適合した「ニュータイプ」なのかもしれません。ビッグモーターのコンサルをやっていた小山昇は(この人は多数の死者を出した北海道の遊覧船会社のコンサルもしていました)「数字は人格」という事を常日頃から言っていたそうです。ビッグモーターという会社はその哲学をそのまま貫徹してしまった会社なのかもしれません。
ビッグモーターの求人には「二年目で年収二千万」というような広告がありました。そういう金の裏にはやはり色々なものが山積していたのでしょう。