第七話 醜悪たる最愛の贋物(10/10)
「馬鹿がッ!!」
体を投げ出したマニエルのすぐ隣の土が急速に変化を遂げ、太い槍となってアモンの顔面へと迫っていった――。
「……そういう事か」
「は……!? ぁ……あ??! なンデェエ!!」
アモンはマニエルの攻撃を完全に捉え損ねていた。ぼんやりとしながら全く検討違いの方向に視線をさ迷わせ、ハープの音色に顔を正面に向けた時に、自分の左の掌が、土から伸びてきた槍の切っ先をがっしりと掴んで止めているのに気付いて、自分の置かれた状況の全てを理解したのだ。
「何故だッこちらを見てもいなかった! 気付いてもいやがらなかったノニッ!!」
黒い左の掌は、彼の意識を飛び越えてひとりでに動き、その切っ先を止めた。その事実はアモン自身も良く理解していた。
「全部わかった」
そして今度は自らの意思で槍を掌握し、握りつぶす。
這い出して、弾かれた様に逃げ出したマニエル。必死の形相でアモンに背を向けて駆けながら、遮二無二ハープをかき鳴らす。
巨大な石の槍がマニエルとアモンとの間に形成され、その数十メートルにもなる鋭利が強烈に放たれる。
しかしそんな危機迫る状況にも関わらずアモンはゆったりと立ち上がって、黒く変化した自分の両の掌を開き、そこに視線を落とし始めた。
「お前だったのか、俺の内で喚き続ける正体。怒り迸る者は……赤い瞳を守り、人間を殺せと叫ぶのは」
風を切り周囲の地形を捲りあげながら、疾風に乗った鋭利がアモンに向かって来ている。
遠巻きに彼を見つめていたセイルはその視界に、アモンの表情を捉えていた。そしてそこにあった表情に衝撃を受ける。
「アモン……」
彼女の知る、はち切れんばかりの怒りを内包した表情は何処にも無く、ただ眦を下げて、穏やかな表情を落とす、彼女の知らない優しい男の顔が、風に髪をなびかせていた。
差し迫る凶悪な矛先を目前に、アモンは割れた右の掌を自らの眼前に開いて掲げ、そして握り込んで腰まで下げていった。
掌で一度隠された表情が再びに姿を現すと、そこには元のマグマの様な熱を滾らせた激情があった。
そうしてこれから渾身の一撃を突き出す為に、アモンは左の拳をギリギリと後方に引き絞り始めた。
――すると脳裏に、マニエルの声が甦って来る。
――一度聞いてみたかったのアモン。アナタはロチアートを救う為、ロチアート以外の全てを殺そうとしている……アナタは、それが正しい事だとでも思っているの?
その忌々しい言葉に反応する様に、アモンの背の一筋の闇が、長く熱っせられた地熱によって爆発して激しく噴き上がった間欠泉の如く、空の高くまで暗黒を噴出し始める。
そしてアモンは言い放つ。血の底から湧き上がるかの様な恐ろしい声で。
「何が正しくて、何が間違ってるかなんて、いちいち考えちゃいねぇんだよ」
背より噴き上がる闇に押されて、アモンはただ真っ直ぐに拳を繰り出した――。
迫って来ていた巨大な槍は、呆気なく亀裂を走らせ砕け散る――!
「馬鹿なッ! 私の出来うる最強硬度で練り上げた筈のっ!!」
憔悴しきった表情で情けなく逃げるマニエルに向かって、槍を割って突き抜けて来た漆黒が差し迫る。そしてもう一度、今度はダルフに割られた右の拳を引き絞った。
脈打つ邪悪が血管となってなって走り、はち切れんばかりの憤怒の怒りが拳に力を呼び覚ましていた。背中を見る程過剰に振り被られた漆黒の腕に、途方も無いだけの魔の極みが濃縮されていく、確かな深淵の感覚がある。
鳴る暗黒の雷鳴が、アモンの体を推し進めて何処までも噴き上がる――ッ!!
「ぁ……」
――振り返ると目前にあった拳に、マニエルは絶叫した。
「やめ……やめ! なんでも! 何でもするがらァァァァァアアアアアっっ」
「この世界にムカついて」
アモンの拳がマニエルの頬を捉える。
そしてそのまま拳に乗せて、翼の闇を出力して引き摺りながら、ひたすら真っ直ぐに向けていく――。
「ただ守りたいものがあっただけだ」
「ぃぃいひぃいいいぎぎいいいッッッ!!!」
押し付けられた拳で頬の骨が砕け、食い込んでいく。黒の翼による破壊の道筋が、大地を深く抉り、真っ直ぐに大広間を横断していく――。
「なんか文句がぁ――――!!!」
「いぃんぎぃいいァァァァァギアァァァァァアアアアアアッッッ!!!!!!!」
端正な顔の原型も残さない程に、マニエルの顔が醜く変形した。
黒が。
邪悪の黒が。
日中を翔ける閃光となり――……。
――――潰す。
「ッッッあ゛ぁんのかアアアアアァア――――ッッッッ!!!!!!!!!!!!」
音を立てて大聖堂の壁が派手に打ち崩されると、ようやくその闇が出力するのをやめていく。
――今の魂からの言葉を紡いだのは、アモンか、それとも割れた黒い掌か、あるいは……。
その答えを知るのは、大聖堂の壁に天使を叩き付けて立ち尽くす――この男だけだった。
消し飛んだ半身と口から滝のような血液を落とした天使の子は、話す事も叶わずに虚ろな目を天に向けた。そして、確実に来る死の間際に、再びに敵意を込めた瞳をアモンへ投げる。
アモンの足元の土が僅かに動いて、土で形成した口が現れた。最早話す事も出来ないマニエルに代わって、それは言葉を発する。
「……だが砕いたぞ……あの子はお前の拳を」
マニエルの表情から血の気が消え失せて、瞳を上転させて倒れた。しかし残された掌がまだ土を握り締める。
「奴は死んだ」
「フフ……細切れにしても、熱で溶かそうと、氷で固めようと、餓死させても、……ダルフは甦る。逆巻き続ける、キサマへの復讐の為に」
土の口に亀裂が走り、マニエルの掌が脱力された。
「あ……の子……の能力は……『不死』……だ…………いつまでも、何処までも、強くなり……キサマを――」
アモンがくだらなさそうに土の口を踏み潰した。そして踵を返していく。
「あ……」
――あの日、あのままの姿の、赤いカーディガンを着た梨理が、アモンの視線の先で、あの時のままに、記憶のままに、髪を揺らして笑っていた。
「バイバイ、アモン」
「梨理――――っ」
事切れた筈のマニエルの能力がどうして形を残していたのか。マニエルの能力だとしたら、どうして怨嗟で無く、こんな事を伝え、ただ緩く微笑んだのか。
「梨理ッ!」
説明のつかないままに形を成していた可憐な彼女は、土となって崩れ去る。
彼にとってそれは、狂おしい位に愛おしく、そして大切で、甘美な、最後の記憶の形だった。
アモンは必死になって彼女の溶けていった土を胸にかき集め、そして泣いた。声を出して。
「ぁぁぁぁぁあああああ…………ああああああ……………………」
彼の耳に、忘れかけていた雨の音が蘇ってきた。
秋雨はまだ降りやまず、曇天で空は陰り、都は焼け続けた。
まるで彼の心情を物語る様に――。
思い出に。決別を。
悪逆の道をゆくのなら。
叶えたい世界があるのなら。
立て、アモン。




