第七話 醜悪たる最愛の贋物(9/10)
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中心部にいるアモンに向かって濁流の様に雪崩込んでいく土人形達を見ながらに、マニエルは深い息をついて地上に舞い戻り、下品に変じていたその表情を元の気品漂うものへと戻していった。
「おじさんとお嬢さんに感想を聞いて、始末しないと……ふふ」
そしてコツコツと靴を鳴らして、蟻地獄のような光景から背を向けて悠然と歩き始める。
「あ……?」
背後で起きたけたたましい物音と同時に、足元へと飛んできた物体がマニエルのくるぶしを掠めていったのに気付いた。
「……アモン」
それは吹き飛んで来た梨理の生首であった。
「不可能だ、あの体では……」
振り返ったマニエルが見たのは、一筋の漆黒を背から伸ばし、それを攪拌でもするかの様に空に振り乱して、辺りをごった返し、覆い被さった土人形達を瞬く間に砕いていく悪魔の姿であった。
「なんだそれは……っ?」
思わずそう言ったが、マニエルはその霹靂の様な翼に既視感を覚えていた。
やがて開けてきた視界。そこに倒れ伏したままのアモンの周囲で、何千とも無い梨理の声が呻き始める。
「痛いよアモン、どうして私を痛め付けるの?」
「アモンのせいで私は訳もわからず殺されてシチューにされたんだよ? それなのに、またこんな仕打ちをするなんて、酷いよ」
「痛いよー、助けてよ、助けてよ」
「どんな味だったの、私の肉」
「好きだよアモン。私の事守って」
どういう訳だか項垂れたままのうつ伏せの姿勢で、その黒い両腕だけを地に着けて上半身を起こしているアモン。その表情を伸びた黒髪が覆い隠しながら、背の漆黒を鞭のようにしならせ、伸び、縮み、太く、細くしながら自在に形を変えて、梨理の群れを容赦なく屠っていく。
「何なのだそれはッ!? 何を項垂れている、なんとか言え、その表情を見せろッ!」
再び高く飛び上がったマニエルがハープを鳴らすと、アモンの背後の土が盛り上がって、彼の手足を拘束具の様に固定して引き起こしていった。
そうしてそこに見えて来た男の表情に、彼女は我が目を疑いながら息を呑む事となる――。
「この……狂戦士め……ッ」
マニエルが引き起こしていったアモンの瞳は焦点が合わず虚ろで、彼女を見てもいなかった。呼吸も浅く、力無く口元は開かれて涎が垂れている。
そこでアモンの背の闇が土の拘束を破壊した。そして再びにうつ伏せに倒れてから、その両腕で上半身を起こす。だがやはりアモンは項垂れたままで、自由に動き回る体に首を揺らしているだけだった。
……そしてマニエルは思い至る。アモンの体が意志とは無関係に動き出しているという、奇怪極まるその事実に。
「完全に事切れている……間違いなく、奴は……!」
黒い大地に着かれた両腕が、土人形達を破壊する為に動き始めた。蠢く翼。一枚の暗黒が軽快に風を切る音を立てて破壊を開始する。
怪訝な表情のマニエルが思考する。思考するが、訳がわからない。
「お前のその異能力はなんだ、その黒い両腕は、翼は……ッ!? まるで、まるでそこにもう一つの意思があるかの様に……!」
やがて激しく駆け始めた黒き両腕は、主の下半身が地面に激しく擦れて血の道筋を作っているのにも構わず駆け巡った。
気を失ったフロンスへと這い寄っていたセイルは、狂気の沙汰へと埋没していくアモンを認めながら悲痛の声を上げていった。
「やめてアモン、どうなっちゃったの!? それ以上やればアナタの足が千切れてしまうっ!」
それでもアモンの猛進は止まらず、頭は深く俯いたまま止まらない。
「なんだそれは、なんだお前のその力は……! ダルフに似た翼は? その黒い体に別の誰かの……そんな事があり得るのかっ!?」
混乱するマニエルは、ハープを鳴らして巨大な石の矢じりを創造する。それはもはやバリスタ……否もっとでかく巨大で、アモンの身長を優に越える杭であった。
「だが、それがどうした! その石槍の投擲でお前は死ぬだけだ!」
空を切り裂いて射抜かれた巨大な杭を、アモンはもろに受けて大地に沈む。
「やったっ!!」
激しき舞い上がった土煙の隙間から、石槍の先端で体を地面に埋め込んだアモンの左腕が、その杭を抱え込んだまま、天に向けられるのが見えた。
「――はっ!」
頭上からの落雷を察知したマニエルがハープを鳴らして風に乗った。そしてそこに黒き落雷が落ちる。
「馬鹿めッ……アっ!!?」
空中を水平に移動した後、マニエルが視線を戻すよりも先にアモンは地に両腕を着いて飛び上がっていた。割れた掌が開かれてマニエルの顔面へと迫る。
「――ッックァっぶな!!!」
マニエルは首を捩ってその指先をギリギリで避けた。アモンの指が引きちぎった彼女の金髪を握り込んでいる。
反射的に風を起こしたマニエルは、アモンから距離を取るべく、その翼を広げて風を受ける体勢をとった。
アモンは失速し、何処を見ているやもわからぬ視線を空中に投げ出しながら、高度を落としていった。
「アーッハハハ! 危ない! 今のは本当に、本当に危なカッ――」
落ちていくアモンの背中から、闇の様な亀裂が空間を引き裂いていた。その裂け目は瞬時に延びて範囲を広げながら、遂にマニエルの灰色の翼を包み込む。
「ナァッ?!」
次の瞬間マニエルは絶叫していた。無理矢理に翼を捻切られるその痛みに、女の声を上げたのだ。
「――ッきぃああああああッッッ!!!!」
闇にもぎり取られた翼は風を受ける事が出来ず、アモンと共に地に墜落を始める。残された歪な片翼でその速度を緩め、なんとか落下死だけは免れた様だったが、もう二度と飛び上がる事は叶わないだろう。
土煙が二人の落下で高く巻き上がる。引き抜かれた翼からだらだらと流血をしたマニエルが、怯えた様子でその肩を抱き込んでいた。
「……ヒィイ! つば、翼が! ミハイル様より授かった我が栄光のッひひ、ひ――――――!」
土煙が晴れると、マニエルの眼前には既に地に両腕を着いたアモンの顔面が覆い被さっていた。
目と鼻の先の距離、彼女に覆い被さる様にして、焦点の定まらぬ視線がマニエルに向けられている。その相貌にマニエルは得体の知れない恐怖と暴力を予感して、体を縮めて竦み上がるしか出来なかった。
「ひぃぃいいいっっ!!」
その時になってようやく、アモンの瞳に色が落ちてきた。意識を取り戻し、自分の見ている光景を、まだ判然としない瞳で眺め、一度瞬いた。
――マニエルはその瞬間を見ていた。直ぐ眼前に見上げながらに眺めていた。
抜け落ちた表情が自分の頭上でみるみると色を取り戻していくのを。そしてそこに落ちてきた意識。それが呆然と立ち尽くしている事にいち早く気が付いたのだった。
途端に歪ませた口角。そして彼女は手元にあったハープを弾く。




