第七話 醜悪たる最愛の贋物(8/10)
「前もその木偶には攻撃出来なかったもんねぇ~。余程大切な相手なのね、そのロチアート。五百森梨理……あんなに息巻いていたのにその体たらく……あッハッ!」
「――だぁまれッッ!!」
「おやおや、最愛の存在を殴るのかしら……?」
俺はうつ伏せの姿勢から砂を握り込んで立ち上がり、熱を持った眼差しで梨理を射抜く。そして再びに拳を握り込む。
――こんな姿にされて一番嘆いているのは梨理の筈だ。彼女を弔う為にも、俺はこの土人形を葬り去る。
だが決意を込めた俺の拳を見下ろした梨理が、悲しそうに口許を動かし始めた。
「やめてよアモン……あんな思いをしたんだから、もう痛い思いはしたくないよ……アモンは、私にそんな事するの?」
潤んだ瞳を見せる梨理の瞳に、俺の脳裏に、胸を貫かれてフックに吊るされた彼女の凄惨な姿が去来する。
彼女は俺のせいで。俺が弱く不注意だったせいで、想像も絶する苦痛と恐怖に塗り染められながら息を引き取った。
……俺のせいで、俺のせいで梨理は。――そんな彼女を、俺はこの手で殴り付けるのか?
たとえ贋物だとしても、そんな事は……。
「……ッ」
詰め寄ってきた梨理の脚が俺の横腹を捉えていた。そして続け様の拳で再度叩き伏せられる。
目を丸くしたマニエルが、手を叩いて喜んでいた。
「キャーーーッははへへへへ!! そうよねアモン。だってアナタはその女の為に世界に怒っていたんですものね! その女の為にこの世界を変えようとした! だ……か……ら!! その女に手を出せば、ほんっとうに誰の為に、何の為に戦ってるのか、何にもわからなくなってしまうものねぇ~えヘヘヘッ!」
俺は再び全身に力を漲らせ、筆舌に尽くし難い憤怒で真っ赤になった鼻先をマニエルに向けて立ち上がる。
「キサマが梨理を語るな……ッ!!!」
「はい~?」
「キサマらが梨理を語ルナッ! 梨理を殺して喰わせただけでは飽きたらず……ッ! 弄びやがってッ! こんな人形でよくも、よくもよくもォオオオオオ!!!」
溢れ出す激情。腕を上げて走り込んで来た梨理を、俺はその感情に任せて殴って吹き飛ばした。様々な思いに葛藤しながら、涙を振り撒き、顔を見ない様にしながら腕を無理矢理突き動かしていた。
衝撃に舞い上がらせたヘアピンを俺の足元に落としていきながら、後方の土人形達を巻き込んで梨理は遥かに吹き飛んでいった。
「はあ?」
マニエルは怒号を上げる俺を見ながらに、空中で脚を組み、その上に頬杖をつきながら呟いた。
「あーあ、やった。つまんない……純愛物語はここで終結。終幕。バッドエンド」
マニエルがハープを奏で始めた。すると辺りの土が蠢き土人形が増殖を続けていく。いつまでもいつまでも、何処までも増えていって大広間を埋め突くす程になる。
こうなるともう勝負にもなっていない。俺はただ、奴の嗜虐心が満たされるまで蹂躙される玩具でしか無いのかもしれない。
満身創痍の俺はその光景を見つめるしかなかった。そして一体の土人形が前に出て、その全身を蠢かせながら形を変えていく。俺の目前で。
「――っっあ」
マニエルの奏でる曲調は、甘く、とろける様なバラードだった。ゆっくりと落ち着いた、かつての純愛を思い起こすような情緒的な曲。忘れかけたあの純情を呼び起こす様な流麗な旋律。
「会いたかったのでしょう? 今会わせてあげる」
全身を蠢動させる土人形は、やがてその全てを梨理の形に変えた。華奢な体から生白い手足を覗かせて、お気に入りの赤いカーディガンを纏い、短いスカートを履いて……そう、あの日のままの姿と形で、胸を銀のフックに貫かれて吊るされていたその直前までの出で立ちで、
――梨理は。
感情の窺い知れぬその表情を、風になびく長い前髪の隙間に窺わせていた。
「ぅ……あ、あ……………――ッッッ!!!」
所狭しと現れ出でる土人形の千の兵が、俺を取り囲み、梨理の顔面を身に付けて見つめていた。
まさに地獄絵図だった。俺にとってそれは、地獄だった。けれどその場にはきらびやかで美しい旋律が流れ落ちて来ていた。まるで俺の望む世界と、世界の望む未来が相反しているかの様に、ノスタルジックで、ロマンチックな曲調が彼の終わりを祝福する様に。
「ぅァァァァアッ!! マニエ、ーーつうう!!!! マァニエルゥウウウ!!!! ァァァァマニエルッ!!!!!!!」
責苦に悶えて俺は吠え続けた。その絶望の光景に大粒の涙を振り撒きながら、それでも灼熱の怒りに身を寄せて。終わる事の無い激情を携えて。
マニエルの呟きが、吸い込まれるかの様に俺の耳に侵入してきた。
「一度聞いてみたかったのアモン。アナタはロチアートを救う為、ロチアート以外の全てを殺そうとしている……アナタは、それが正しい事だとでも思っているの?」
「マニエル!!! ァァァァア!!!!!!」
怒りの臨界点を越えた俺は、我を忘れてこみ上げる怨嗟を吐き続け、とうに限界を越えていた全身に力を入れて白目を剥いた。そこから血の涙が垂れ始める程に。
梨理の完全復元体は俺を優しく見つめて微笑みながら、この胸に飛び込んで来た。
「――っ!」
そして何の抵抗も見せられぬ俺に、そっと唇を合わせる。
――そして囁く。
「もういいよアモン。一緒に帰ろう」
かつての最愛との口づけ。贋物だが、もはや最愛そのものとの口づけ。幸福にうちひしがれても良い程の、二度とは甦らぬと思った瞬間。その幸福の最中にも、俺は何かに取り憑かれたかの如く、憤激の血相を携えて、だがしかし握り込んだ拳を放てずに、自分の中の何者かとの激しい葛藤を続けていた。
俺の身を引き裂いてしまう位の激しすぎるその感情を、セイルが瀕死の体で眺めていた。
「アモン――!!!」
震える拳を突き出せないでいる俺に梨理は覆い被さり、地に押し付ける。仰向けに倒された俺の体の上に、彼女の顔を貼り付けた千の土人形が雪崩のように押し寄せて来る。
「……奇しくも最後まで人間としての心を守ったのかアモン。最後まで、その拳を最愛の人物に叩き付ける事が出来なかった。……あぁ、アナタほどの悪魔が、そんな感情に押し潰されて終わりを迎えるだなんて……やっぱり滑稽ね」




