第七話 醜悪たる最愛の贋物(7/10)
「あ……ぁぁ…………ぁ……」
惨憺たるトラウマがいま息を吹き返し、俺を見下ろしていた。泣き出しそうな情けない様相で、俺は狼狽しながら後退っていくしか無かった。
「やっぱりアモンは、私が居ないとダメダメね」
――彼女の口癖……。二度とは聞く事のないと思われた肉声が、思い焦がれたその姿がそこに再臨していた。
頬を僅かに好調させた梨理が緩く微笑むが、その首から下の土の体は音を立ててパンプアップし、太い腕を俺に向けて伸ばして来る。
「ぁぁあ……ッ! やめろ、離れろお!!」
俺はその手を拒絶して振り払いながら、すくんだ瞳で梨理を見上げた。彼女は困ったような表情で、かつて俺に向けていたままに瞳を潤ませる。
「どうして逃げるの? 私……気持ち悪いかなぁ、こんな体になって」
「ひ……ッ!」
「でも、ちゃんと全部覚えてる。アモンと過ごした事、アナタへのこの……思いも」
マニエルは、まるで意思でもあるかの様に梨理に振る舞わせる。俺にしたってこれが梨理の甦った姿などでは無く、マニエルが梨理の姿を再現しているという事は承知している。
承知していたが……。
「覚えてる、よね? へへ、あの何もない草原に投げ出されちゃってさ……内心不安でどうしようもなくて、どうしよーって考えてた時に、アモンは言ってくれた。私の事好きだって」
「頼む……もう俺に何も語りかけないでくれ梨理……」
「今でもあの気持ちは変わらない? 私の事好きだって言ってくれたあの気持ちに? それとも、あのセイルって子にもう気持ち取られちゃったのかなぁ……」
「たのむから……たのむから、梨理……ッ」
『愛の探求』で僅かな記憶を読み取ったマニエルの操る土人形は、かつてと同じ表情で、そこに本当に意思があるのではと思わせる程の滑らかな口調で話し、コロコロと表情を変えた。当人しか知らぬ筈の記憶をほじくり返しながら、はにかんだり、拗ねてみたり、悲しんだり、俺はある筈の無い梨理の魂が、本当にそこにあるのではと錯覚させられていた。
「私は今でもアモンの事が大好きだから」
梨理は武骨な土くれの手足を振って俺の前に走り込むと、その顔をズイと至近距離に近付けて来た。
「あ……」俺は放心するしか無かった。
目は口ほどにものを言うと云うが、目前にある梨理の瞳に相違無い赤い虹彩に、様々な繊細な感情が見て取れた。かつての、あの時と同じ様に……。
「うっ――ボァッッ!!」
梨理の固く大きな拳が俺の腹に炸裂していた。転がって悶絶する事を余儀なくされた俺の頭上で、梨理は膝を折ってしゃがみこみ、朗らかな笑みを向けている。
――マニエル……畜生、マニエル……! 梨理を弄ぶな、これ以上お前の手で彼女を汚すな……!
俺は厳しい眼差で拳を握り込む。
「ぐッッお!!」
しかし俺は顔面を物凄い脚力で蹴りあげられ、鼻の骨を砕かれてもその拳を放つ事が出来ず、遂には固く握り込んでいた筈の拳も解いてしまっていた。
そんな有り様を見て、上空から声を圧し殺しながらマニエルは笑う。
「ぷ……クク…………くくく!」
すぐに奴の抑圧は沸点を越え――アハーハーハーハッ! と下衆な声と共に俺に降り注いできた。
「なぁーんだ。もう捨てたのかと思ったけれど……ただ取り繕ってただけだったのね、弱い自分と決別し、その野望を叶える為に」
うつ伏せになった俺の背に、梨理が踵を振り下ろして来て悶絶する。ダルフに砕かれ掛けた背の傷口を抉られて血の泡を吹く。
「まだあるじゃない。悪魔の様だと思ってたアナタの中にも、人間性が……愛する人を殺せないという人間味がっ!」
口許を歪ませたマニエル。
「この女の姿はあの日から一時も忘れなかったぞ……ただで終わらせはしまい。この翼につけた傷の屈辱、何百倍もの苦痛にして返してやる」
大広間の隅で事切れかけたセイルが、朧げな声を上げ始めるのを俺は聞いていた。
「戦って……駄目よ、そのままじゃ、死んじゃう、その女を……」
そしてセイルは醜い梨理を見ながらに、憎悪を携えた口調でもって、まるで懇願するかの様に俺にハッキリとこう続けた。
「アモン、その女を――殺して!」
だがそれでも、俺は忌々しげに梨理を見上げる事しか出来なかった。握り込んだ拳が放てずに、固い地面を殴り付ける。
目頭から熱い物が伝って砂を濡らしていた。




