第七話 醜悪たる最愛の贋物(2/10)
顔を歪めて額に青筋を立てた天使の子の、怒りを孕んだ静かな口調が俺に降り注いで来る。そしてハープの旋律が樹木の檻の形状を変えて、中世の時代に創造された拷問器具鉄の処女を思わせる残虐的造形となって扉を閉め始めていた。
「どど、どうするんですかアモンさん、考え無しに挑発しても、セイルさんの身に危険が及ぶだけです!」
当惑するフロンスの声を耳元に覚えながら、俺は先程述べた確信を持ってセイルへと語り掛ける。
「あれをやれ、セイル」
随分と痛めつけられたセイルはやっとの思いで上体を起こしていきながら、俺の言葉を咀嚼している様に見えた。
しかし理解に及ばず、首を振って声を上げる。
「あれって、あれってなんなのアモン! 私、潰されちゃうよ!」
セイルは閉まりゆく扉の隙間から、信じられないといった風な声を上げる。
――この時、俺の中で喚く黒い意志が、いよいよとこの身の表層へと到ったかの様に。俺のこの口を操り、俺のこの意志を剥奪しながら、真っ黒の視線を天上へと押し上げていた。
「お前の炎はそんなものでは無かった。俺たちの中に渦を巻いた劫火は、その程度の玩具で抑え付けられる様なものでは無かった」
「……アナタ……誰なの?」
セイルのつぶらな瞳にそう問い掛けられていた。
――俺が誰かだと?
何を言っている? 何故そんな事を問う?
俺は俺だ。俺は……俺の名は。
目一杯に怒らせた瞳で、俺は咆哮する。
「思い出せ。今こそ蘇った――叛逆の意志を!」
セイルの肩で印章が赤く、紅蓮に染まる。
俺の見立て通り、その身が覚えていなくとも、その身に宿り永く連綿と受け継がれて来た我等の因子はそれを記憶していた。
マニエルでさえもが手を止め掛けた、アイアンメイデンの内部から漏れ出した灼熱。そして次の瞬間には、檻も手枷も全て焼き尽くす漆黒の炎が、セイルの束縛を解いて彼女を宙に投げ出していた。
「ベルンスポイア鉱石を……焼き切っただと? なんなんだその黒い炎は」
唖然とし掛けたマニエルだったが、すぐにその緑色に灯る眼光を立ち上がらせながら、落下していくセイルと俺の姿を交互に見やった。
「悪魔の因子が覚醒を? ……しかしそれがなんです。終夜鴉紋、アナタ幾ら息巻こうともその姿」
粘つく唾液が線を引いた口元で言いながら、マニエルの舐める様な視線が俺を足元から見上げて来る。
丸焦げの全身は出血でまだらに染まり、片方の瞼は痙攣して上がらない。右の拳は大きく裂けて、力が入らず緩く開かれている上に、焼けた肺では呼吸がままならず、前屈みになって息を荒げるしか無い。
俺のそんな有様を見て、マニエルは微笑していやがるんだ。
空より落下して来たセイルの身を受け止めて、オレは彼女の耳元に命じる。
「焼き払え、全てその炎で。この都ごと」
「でもアモン……そんな事をしたら都に住んでいる何万人の民の命が失われちゃう。本当にいいの?」
「民達などどうでもいい。忘れたのか、奴に焼き払われた子供達の事を。痛め付けられた体を。植え付けられた憎悪を、怒りを。弄ばれた梨理の魂を」
混乱するフロンスとセイルに、俺の内なる意志は飄々と続けていった。
いつしか瞼の痙攣は止まり、ゆっくりと目尻がつり上がって、額に激情の血管が浮き出しているのを俺は他人事の様に知覚する。
「今度は奴等に味わわせる番だ。俺達の痛みを!!」
噴き上げる烈火の感情に弾き出された押された俺は、その場にセイルを置いてから、割れた拳を強く握って空に漂う羽虫をどう捻り潰すかだけを思考していた。
そちらを見てもいない、そんな俺の横顔に、セイルが呟くのが微かに聞こえた。
「アナタがそうしろと言うのなら私は殺す。たとえ罪の無い命であったとしても。それが数え切れないだけの魂であったとしても」
「セイルさん!?」
この大広間全体を包む巨大な桃色の魔方陣が展開されて、セイルは一人静かに地に手を着いていく。
「『煉獄』ッ!」




