第六話 黄金の瞳(1/7)
第六話 黄金の瞳
胸糞の悪さを覚えたまま、俺達は周囲を高い市壁に囲まれた第七の都ネツァクの市門までやって来ていた。市壁の向こうにそびえた修道院の尖塔を、俺は忌々しく見上げながらこの心火を滾らせる。
怒りに任せて乱暴に踏み込んで行こうとする俺を、フロンスが冷静に制止していた。
「私達の襲来は既に都側に観測されている筈です。であるのにこの市門に門番の一人も構えないのは妙です」
「奴の策略毎、全て血に染めてやる」
先程から心がささくれだって収まらない事に気付いていた……俺は自分でも制御が効かない位に苛ついているらしい。
しかし強行するという俺の無策にセイルもフロンスも呆気なく同意を示した。その様子からも、二人もまたこの不条理に静かに怒っているのが理解出来た。
細く入り組んだ路地を歩いていくと、いつか立ち寄った商店街に出た。と同時に忌まわしい記憶が甦るが、かつての景色とは違いそこに人の気配は無い。
都の民は伝令により、この密集した家々に身を潜めているのだろう。耳を凝らすと人の息遣いが側に聞こえて来る様だった。となるとやはり、マニエルは俺達の襲来を既に察知していると言う事になる。
そこでフロンスが呟いた。
「こんなに緑豊かだったでしょうか、この都……」
「いや……自然を操る能力を持つ奴にとって有利になる場を整えたんだろう」
都の至る所に緑や木々が見える。花の咲く花壇が各家の前に構えられているうえに、何よりも足元にあった敷石が全て取り外され、土を露にして草木が茂っている。
「都で戦闘になる事に備えていたと……アモンさん、やはり我々はここに誘い込まれた様です」
「ああ、だが関係ない。民も兵もマニエルも殺すだけだ」
朝陽昇る寂しげな商店街を歩く。所狭しと並ぶ木製の家から無数の視線を感じたままに、俺はその先に見える白亜の教会の藍色の尖塔を目指す。
あそこにマニエルがいる。梨理の死を弄び、俺達の結末に腹を抱えて笑いやがったあのクズが。
腕が燃える様に滾っている。
熱い……アツイ……あつい。
真っ直ぐにただ前だけを見据えていた俺のすぐ側で、勢い良く観音開きの窓が閉められた。
……ピタリと足を止める。
そうして家の中からこちらを窺う民へとジロリと黒目を差し向ける。
「ムカつくんだよさっきから」
いい気になるのも大概にしろよマニエル。
今こうして怒り迸らせた俺を、貴様は何処かで観察しながら嘲笑しているのだろう……! この俺をいつまでも手のひらに乗せたつもりで笑っているのか!
それで民を守った気になっているのか?
お前達は俺の大切な人を殺した。数え切れない位の赤目の人間達を殺した。
――俺が無益に民を殺す筈が無いと、何故そう言い切れるんだ?
右腕を振り上げて、その拳を壁に叩き込んだ。瓦解していく壁にフロンスが驚愕して振り返っている。
崩壊した家屋の奥で、母親と思しき女とその少女が片身を寄せ合いながら、震える瞳で俺を見上げていた。そして悲鳴を上げた。全身を震わせながら助けを乞う様に落涙して。
俺は首の骨を鳴らしながら歩み出して、僅かにも揺れ動かなくなっていた心で言った。
「こいつらを殺しながら、炙り出すんだ」
何故この親子はこんな顔をするのだろうか?
まるで悪魔でも目前にしたかの様に縮み上がり、その表情に深い絶望のシワを刻んで。
……何故だ?
これはお前達が先に始めた事なのに。お前達は平然と殺し続けて来たのに。
「お願い、殺さないで。どうか子供だけは」
――殺さないで。
梨理もお前達にそう言ったはずだ。涙を流して助けを乞うた筈だ。
被害者ヅラして、随分と虫が良すぎるんじゃないのか?
「惨禍そのものを連想させる強者の存在に、お前達は自分達の命運を諦観する事しか許されない!」
俺達はその摂理の元に、永劫に思える時を踏み躙られて来たとそう言うのに。
俺のこの右腕が、躊躇いも無く親子に向かって振り上げられていく――。
「待ってアモン、どうしてそこまで……」
引き留めようと俺の腕にすがり付いて来たセイルを振り払っていた。
「どうして……? どうしてだと?」
驚愕として振り返った少女へと、俺はこの熱情をありのままに吐く。
「昔、同じ事をされたからだ」
絶句したセイルは、確かに俺の目を覗きながら瞬きを繰り返していた。
「昔……昔って? アナタが何を言ってるのかわからないよ。アナタはついこの間にこの世界に来たんじゃないの?」
「……」
「昔なんてある筈が無いのに、何を言って――」
「思い出さないのか?」
「え……?」
狼狽えるセイルとフロンスを無視して俺が家屋に踏み込もうとした瞬間であった。
「――アモンッ!!!」
正面の路地を抜けた大聖堂前の大広間から、大気を震わせる程の怒りに満ち満ちた一人の男の怒声が響き込んで来た。やはり何処かから様子を窺っていたのか、俺の所業を見兼ねて声を荒げた風に感じられた。
「……もう釣れたか」
ねっとりとした笑みがつい溢れてしまう。俺は踵を返して細い路地を抜けた先の大広間へと振り返っていった。
「気を付けてください。この気配からして、恐らくは再結成された第二十国家騎士隊かと思われます」
「……ふん、残った兵をありあわせた有象無象だろう」
暗い路地の先に陽の照る大広間が見えてきた。奥にそびえ立つ白亜の大聖堂が太陽を照り返して、そこは驚くほどに輝かしく感じられた。
かつて俺がドルト・メニラに吹き飛ばされた噴水が見えた。しかし土は剥き出しになって、木立が並んだその空間は、今や森の様にも見える。
「待っていたぞ」
何者かの声に臆する事もなく、俺は光の中に身を投じていった。その先に待ち受けていたのは、陽射しを反射する百の甲冑だった。既に騎士が扇状に陣形を構えて武器を抜いている。
……そして先程から俺の名を呼んでいた忌々しい輩は、その執念をたっぷりと声に孕ませながらこう続けた。
「待っていたんだ……あの時から……今この日をッ!」
一人の金色の甲冑を纏った騎士が兵をかき分けて俺の前に現れる。どういう訳か兜を被っておらず、するりと指の抜けそうな長髪をたなびかせて、猛りながらもゆったりとその瞳を開いていった。
俺はその男との宿命めいた因縁に言葉を失っていた。
「お前は……何故?」
奴の存在を視界に認めると同時に、俺の瞼はみるみると見開かれていった。
同時に拳銃で胸を撃ち抜かれた様な衝撃が胸を走る。
動揺する俺を獣の様な視線で睨み据えるは正義を携えた――黄金の瞳。
「貴様は必ずこの手で殺す。全ての民達の為に……何をしてでも!」
満天の星屑を散りばめたその男の瞳に宿る、滾る復讐の大火が俺を射抜いていった。
並々ならぬ激情の意志が、白く整った鼻筋にシワを作り、強く噛み締めた歯を剥き出しにしている。
「何故だ……生きている筈が無い、お前は、間違いなく……間違いなくあの時に……殺した筈だ」
腹に風穴を開けた筈の男が、手に鉛色の巨大なクレイモアを持ち、顔の前で切っ先を地面に向けて十字架を形作った。背に大聖堂を抱え、神々しくも見える金色の騎士は主に誓い、瞳を閉じる。
俺は咆哮していた。掻きむしりたくなる程の心臓の鼓動に任せて――その男の名を。
「ダルフ・ロードシャインッ!!」




