第五話 歯抜けの夢(7/8)
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夜中にここを出ると言っていたのにも関わらず、俺達はそこで横になり続けていた。
体中が痺れ、酷く酩酊した様に視界が回り、平衡感覚すら失って前後不覚となり、その激しい吐き気に体を捩っているのだった。
――ギィ。
強烈な痺れで身動きも取れぬ俺達の元へと、誰かが近付いて来ている。様子を窺う様にしてゆっくりと、少しずつこの部屋へと続く扉が開かれていって、暗く静謐だった室内に、廊下に灯ったランタンのオレンジ色の光が一筋になって射し込んで来た。俺の苦悶に歪んだ表情がそこに照らし出される。
室内の様子を覗いた後に、何者かはゆっくりと扉を開いていった。
ギシギシと軋む木製の車椅子の車輪が回る音がしている。
メリラは白い寝間着姿のまま、その手に銀色の短剣を携えて、静かに侵入を果たして扉をソッと閉じていった。
俺はその姿を何とか見上げるのが精一杯で、枕元にまで近寄って来た彼女に対して、僅かばかりの声も上げられずに呻いていた。
先程までとはまるで違う般若の面を貼り付けた様な表情で、メリラは短剣の切っ先を俺の心臓に向けて振り被った――。
「どうして……?」
メリラが手を止めていたのは、茫洋としたこの暗黒の傍に立ち上がり、振り下ろしていった両刃の鋭利を直接握り込んだ者がいたからだった。目を凝らし、暗い室内に俯き加減になりながら腕を前に差し伸ばした少女に気付いたメリラは、血液の伝う短剣を地面に落としながら驚嘆した。
「ぁ……ぁあ、あ……」
俺は目を剥いて絶句していく彼女の表情を頭上にしながら、半開きにした瞳を明後日の方角に向けたままの幼い少女が闇に立ち尽くす姿に、声を失うしか無かった。
「よもや知らなかったとは言いませんね、メリラ」
部屋の隅から、朧げな紫色の魔法陣の発光がある。
見ると、壁の側に座り込み、背中を預けた格好のフロンスが唖然とするメリラに語り掛けていた。フロンスもまた俺と同じ様に全身の痺れに身動きの一つも出来ないのだろう。軽蔑を込めたその表情を、彼女の方へと僅かに傾けていくのがやっとな様子だった。
「アナタがスープに仕込んだティロモスの毒は、成熟した肉体に対しては一刻も持たない遅効性の毒ですが、それを未発達の子供なんかに使ったら、呼吸抑制を起こしてしまうという事を」
メリラがゾッとした表情で幼き影のその表情を覗き込んでいく。
するとそこに生気の残されていない少女の有様を見て、肩を震わせ始めた。
室内にはセイルのすすり泣く声だけが響いていた。
先程短剣の刃を直接握り込んだ事で、少女の指の何本かは皮一枚で落ちそうになっていた。
それでも少女は、もう痛いとも、苦しいとも、何も訴える事はない。
喜んだり、笑ったり、悲しんだり、驚いたり。つい先程まで、その全身で目一杯に躍動していた生命がもうそこに無い事だけが浮き彫りになっている。
幼き少女は亡霊となったその瞳を傀儡人形の如く立ち上げて、落ち窪んだその瞳の奥に空虚を覗かせる。
重力に沿って垂らされて、脱力したその指先より垂れた血液が、血溜まりを広げて俺達の眼下に広がっていった。
フロンスは苦悶に歪んだ悲しそうな表情を見せたまま語る。
「ネルは死んだのです」
「ぁ……」
その言葉を受けて顎を落としたメリラは、車椅子の上に静かに座しながら、自分のしでかした罪の重さに押し潰されそうになっている様に俺には見えた。




