第五話 歯抜けの夢(6/8)
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夕刻となり、俺達はまたあの大きなテーブルの前に座していた。俺達がここを訪れているという事が都の騎士達にバレては大変な事になるという事で、メリラの一存でネルもこの家に留まっていた。
「メリラさーん! お腹すいたー!」
「もうすぐ出来るわよネル。少しお待ちなさい」
キッチンの方からメリラの声がする。奥でフロンスと二人で食事を作っているのだ。居間にはランプの灯りが灯されて、セイルがネルと人形で遊んでいた。和やかな空気がこの場を満たしていく様だった。
「今日のご飯は何かなー? お肉は最近めっきり出てこないから、野菜のスープとパンかなぁ? でもねー、メリラさんのスープはすっごいすっごい美味しいんだよ? ネルはそれが大好きなの!」
キッチンの方からフロンスとメリラの笑い声がして来た。頬杖を付いた俺はセイルに語り掛ける。
「しかし、すっかり長居する事になってしまったな。夕食を食べたらすぐにここを発とう。また迷惑を掛ける事になってしまうかも知れない」
「そうねアモン……でも」
セイルは細い目をしてキッチンの方から聞こえて来る笑い声に耳を傾けている様子だった。
「出発は明日にしましょうよ。だってあんなに幸せそうな二人の邪魔を出来る筈が無いじゃない」
思えばフロンスの笑い声を聞くのは久々の事だと思った。セイルに諭され掛けた俺だったが、フォークとスプーンをぶつけてカンカンと音を立てて遊び始めたネルを眺める様にしながら思い至る。
「いや、だからこそここをすぐに出る。もう二度と、ネルの様な子供を戦火に巻き込む事が無いように」
「……そうか。ううん、そうね。アモンが正しいわ。まだまだ私、甘えていたみたい。こんな幸せを守る為に、私達は戦うんですものね」
俺の眼差しを受けて微笑んだセイルを、ネルが見上げる様にして首を傾げた。
「何の話しお兄ちゃん達?」
「ううん、何でも無いのネルちゃん! あっ、そうだ。今夜はお姉ちゃんと一緒に寝ようね?」
「いいよー! ご飯の後でいっぱい遊ぼうね! あとね、あとね、外の世界のお話しも聞きたいな! お姉ちゃん達は外から来たんでしょ?」
「え……いいけど、外の世界の事が気になるの?」
「やったー! ネルはね、ここから出たこと無いの! だから大人になったらここを出て外の世界を旅するのが夢なの!」
するとセイルは驚いたような表情でネルの頭に手を置く。
「自分の将来を語る子なんて、始めてみたわ」
「そうなの?」
「そうよ、だってロチアートは大人になるまでに出荷されるでしょ?」
「うーん、皆にそう言われて馬鹿にされるんだー……でもネルはね、もっと自由に好きなことがしてみたいと思うのー!」
自分と同じ疑念を秘めた少女に何を思ったのか、セイルはネルを抱き締めながら確かに伝えていた。
「ネルちゃん。その気持ちは誰が何て言おうと絶対に間違ってないんだよ? 誰に否定されても、その気持ちは間違ってなんかない」
「ほんと? でもみんなは変だって言うよ?」
「変なんかじゃない。だってかつての私も同じ気持ちでいたから……そして私達はその為に闘っているんだから」
「……?」
「ふふ、何でも無いの……とにかく、ネルちゃんが自由に外を旅出来る様な、そんな世界がすぐに来るから……ね、アモン」
「あぁ、必ずだ」
歯抜けた口ではにかむ少女に、俺とセイルも自然と口元を弛ませていた。
「お待たせしました」
フロンスが朗らかな笑顔でメリラの車椅子を押してキッチンから現れる。
「今日は私の得意料理ですよーうふふ」
メリラもまた、両手にスープの入った皿を持って楽しそうに笑っていた。
「メリラのスープは絶品なんですよアモンさん」
「わーいメリラさんのスープだー!」
「ネルの大好きなカレーも特別に用意したのよ」
「カレー!!?」
席に着いた四人の前に皿が並べられていく。献立はネルの予想通り野菜の沢山入ったスープとパンに加えてカレーまで現れた。
「さぁ食べてください! お肉は使ってませんから」
「ネルの大好きなカレーだ、やったー!」
「何と良い日でしょう。またメリラや子供達と食卓を囲むことが出来るなんて」
俺達は笑い合い、食事を始めた。
「メリラさん、カレー旨い! ネルカレー大好き!」
「沢山食べなさいネル」
「あとね、このメリラさんのスープはもっと好き!」
「そう、良かったわ、ふふ」
口いっぱいに頬張るネルを見て皆で笑った。
「メリラ、アナタはスープを食べないのですか?」
フロンスの言う様に、メリラの前にはカレーとパンの皿しか準備されていない様子だった。
「いいのフロンス。火傷の影響で、あまり熱いものとか硬いものが食べられなくって……ほら、スープには穀物とか沢山入ってるし」
「そうでしたか……では、私の分のパンをどうぞ」
「いっ、いいのよフロンス。長旅で疲れているのでしょう? アナタが食べてください」
「いえ、メリラにもお腹いっぱいになって欲しいのです」
「……もうフロンスったら」
「見てアモン。あの二人なんだか良い雰囲気よ」
「好きにさせてやれ」
「フロンスさんとメリラさんは仲良しだー!!」
食事を終えた後、順番に風呂を借りた。セイルとネルが二人で入浴している内に、俺達は都が戦場となる事を伝えた。メリラは「その時が来たら子供達を連れてすぐに避難出来る様に準備しておく」と真剣な面持ちで答えてくれて、フロンスは心底ホッとした様に胸を撫で下ろしていた。
メリラは寝室に向かったが、残された俺達は大広間にそれぞれ布団を敷いて休むことになった。
それからネルはセイルと同じ布団に入り、瞳を輝かせながら外の世界の質問をし続けていた。
輝かしい未来を語る少女の勢いに、気付けば俺もフロンスも穏やかな表情で話しを聞いている。
ネルは余程楽しかったのか、いつまでもいつまでも嬉しそうに笑い続けて眠ろうとはしなかった。
やがて事切れる様にしてネルは目を瞑った。セイルは少女を自分の布団に連れて毛布を被せ、それを合図にフロンスが部屋の灯りを消した。俺達も束の間の仮眠を始める。
「外の世界は……なんでもあるぞ……おっきいぞ……楽しいなぁ」
そんなネルの寝言に俺達は吹き出したが、すぐに静寂が訪れた。




