第五話 歯抜けの夢(2/8)
「あ……?」
「え、マッコイ様……は?」
近くに桃色の魔法陣が灯って仄かに光を放散しているのが見えた。転移の魔法陣が残す独特の痕跡を知覚する頃には、その黒き剛腕に騎士達が命を引き裂かれている頃だった。
「終夜鴉紋……っオノレ!!」
一足早く現実へと立ち返ったヴェルズが戦斧を構える。緊迫したその表情には一切の余裕など無く、霧の中を点々と移動していく桃色の魔法陣と、漆黒の閃光が駆けていく様を斧の穂先で追う事だけで精一杯だった。
白い景色の中で、鮮烈な血液だけが妙に映えて見えていた。震え上がったヴェルズの足元に、つい先程までニヒルに笑っていたマッコイの呆然とした首が転がって来て、完全に戦意を喪失してしまった。
そしてヴェルズはすぐ背後、その耳元に、深淵から湧き上がって来たかの様な、黒くて冷たい魔王の声を聞いたのだ。
「その戦斧でどうしてくれるって……?」
「あ……」
「もう十分に力を蓄えた……次はお前達が、虐げられる番だ」
背後よりヴェルズの首に両腕で取り付いたアモンは、彼が悶える様をその手に確かめながら、首をもぎり取った。人体の破壊される生々しい物音を響き渡らせて後に、その胴体を足蹴にして沼に突き落とす。
「ゴミは弔う必要はないな」
戦々恐々とした騎士達が声も上げられずに逃げ惑い始めると、今度は沼地から無数の腕が伸びて来て彼等を水底に引きずり込んでいった。重い甲冑に囚われて、誰一人として浮上して来れずに息絶えていく。
「ロチアートに思念が無いなど……とんでもない」
いつしかそこに佇んでいたフロンスは、紫色の魔法陣を起こして死人の群れを立ち上がらせていった。そうして周囲より、不滅の死骸が騎士達を沼へと追い込んでいく。
――堪らず何名かの騎士が村を抜け出して逃亡していった。
するとそこで村の外周を取り囲むように高い火の柱が上がって彼等を炎の檻に閉じ込める。そして徐々にと村を燃やし、騎士を火の手が追い詰めていく。
「みんな焼けてしまえ……私達を否定する、この世界、全部」
赤い瞳に炎を滾らせたセイルが、転移魔法を応用して村の外周に送り込んでいたの炎の火力を強めていった。
右の肩で印章が赤く灯っている。狂気じみたまでの魔力の膨大さ、そして異質さは、彼女の中で息づいた悪魔の因子が覚醒を始めた事を物語っていた。
本来十五歳になると天使の子に捧げられるとされる印章持ちの実態は、その血に悪魔の因子を強く引き継いでいる故の間引きに過ぎないのだが、いかんせんセイルの覚醒の時期が早い。もしやするとそれも、終夜鴉紋という人間の影響があるのかも知れなかった。
炎が巻いて、漆黒の暴風が戦場を吹き荒れる。沼地に追いやられた騎士をロチアートの亡霊が引きずり込む。
……やがて悲鳴は全て、炎の中に消えていった。
「何名か逃しました。後を追いますか?」
フロンスがその身を炎に照らし出しながらアモンとセイルの前に姿を現した。するとアモンは暗黒の中で、無意識に上げていた口角を下げていきながら答える。
「いや、必要ない」
「しかし、都の者に居処が割れてしまっては……」
「いいんだ。そろそろ頃合いだ。いつまでも息を潜めているつもりでも無かった」
フロンスは神妙な面持ちで頷いて。セイルは子供の様に嬉しそうに笑った。
「この三ヶ月で私も魔術を使える様になったもん。今度はアモンの力になれるよ」
「たったこれだけの期間で転移魔法のみならず、類を見ないレベルの炎の魔術まで習得してしまったセイルさんは一体どうなっているんでしょうね。天才と一言で語るには余りに度が過ぎている様にも思えるのですが」
白い歯を光らせてニカッと笑ったセイルの髪が、炎に弧を描いて舞っていた。その目に宿った紅蓮の恋慕は、その身を焼き尽くす位の熱を帯びてアモンへと向けられている。
「行くんだよね、アモン」
「いよいよ、その時が来たのですねアモンさん」
二人の視線を一身に集めたアモンは、焼け焦げた騎士の残骸を側に見やりながら静かに物語った。
「……そうだ」
俯いたアモンは灼熱の熱波と焼け焦げた肉の香りを鼻腔に感じながら、肩をピクピクと揺らしていた。
少し伸びた黒髪を表情に垂らし、肩を揺らしながら、騎士達の死屍累々の光景を見て、アモンはクスクスと体を揺らして嗤っていた。
――同じ人間の死骸が、山の様に積み上がっているというのに……。
「次はお前だ……マニエル」




