第四話 天使の子(9/9)
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ドルトとメルトの一撃の後に、マニエルの巨大な矢じりが木偶もろとも大地を穿ち、土煙を上げる。
「……なに!?」
しかしそこにはアモンの姿も印章持ちの姿も無い。
マニエルが視線を上げると、先程までフロンスが背を預けていた大木の前に、桃色の魔方陣が発生する所だった。
「逃がさんっ!!」
無数の矢じりが刃を煌めかせて飛んでいったが、それらは魔方陣の中で唐突に姿を消した彼らには当たらなかった。
「――ッ……! ちくッ……しょぉぉおオオオオッッ!!」
マニエルは猛り狂って周囲に突風を吹かせ、木々や草花をぐちゃぐちゃに混ぜながら吠えた。まるで天災そのものが彼女であるかの様に、大地がひるがえって地形が揉みくちゃになる。
「印章持ちが特異な魔力を目醒めさせ始めた、悪魔の因子を……! 早く刈り取らねば恐ろしい事になる!」
興奮冷めやらぬマニエルは、手元のハープが傷付くのも構わず、振り回して木片を砕き続ける。
――自分達を人間だなどと嘯いたあの教育係といい『転移魔法』という希少な魔法属性を発現させてしまった印章持ち。
「……なんなのだあいつらはっ! なんなのだアイツラハァァアッッ!! ついこの間までただのロチアートだったのでは無かったのか!! それともこれもアモンが原因なのかぁあっ!!」
――そして何より、邪悪に極まる憤怒を内包したあの男――終夜鴉紋。
奴の内部には何か、未知で強大な、恐ろしいものが息づいている気配があった。
邪悪……あれは間違い無く悪しき者の気配……であった筈なのに。
……あれは、あれは一体なんだったのか。言うのもはばかられるが……あれは、あれはまるで、我等人類に使命を与えし本物の天使――ミハイル様の御前に立ったあの時に感じた、神秘に近い何かの残滓の様にも感じられた……。
奴の中で魔が完成し、その人格を完全に奪い去ってしまう前に始末しなくではならない。この世界の安寧の為に。
マニエルはそう直感していた。
未だ血走った目で癇癪を起こしているマニエルは、そこらにあった大木の幹をメキメキと捻り上げて大地に叩き付ける。
そんなマニエルの元に、ふらふらと亡霊の様に歩み寄って来る者がいた。
怒りに我を忘れかけた天使の子はその存在を、自然を掌握する能力『聖霊の領域』で察知すると、突風に乗った片翼で、その存在目掛けて飛来していく。
「――ッ!」
途中手に取った木片を刀に変化させて、その切っ先をふらふらと近付いて来た存在の首元に押し当てる。
その切っ先が触れて彼の首元からは赤い血の一筋が垂れていた。
「な……」
彼は腹に風穴を開けて、身体中から血を吹き出した有り様のまま、未だ燦然と輝く正義の眼を携えていた。
その存在を見たマニエルの衝撃は相当なものであった。
何故なら、道中で認めた彼は確かに、間違い無く死んでいた筈なのだから。
「お前は……」
ブロンドの長髪が月明かりの元に流れる。彼の手元には、銀色の兵士の剣が力強く握り締められていた。
「アモンは……アモンはぁッッ!?」
――敗北を喫した騎士が、復讐の炎を燃え滾らせて現世に舞い戻った。
「あ……あはっ! アッハハハハ」
途端に醜い笑みを浮かべたマニエルは、その兵士の血みどろの頬を指先で撫で上げた。
「アモンにあてられたのは、アナタもだったのね。ダルフ・ロードシャイン」




