第四話 天使の子(8/9)
黒い煙を上げながら、翼を焼け焦がして天使が地に落ちる。
俺は自分の上腕を囲む様に発生した黒い光の魔方陣を見下ろしながら、まるで知っていたとでもいうかの様に、すんなりとその技の名を口にした。
「『黒雷』ッッ!!」
技を放った後、俺はフラフラとよろめいた。半死半生の最中に、更にとてつもない魔力を消費して、最早立っているのがやっとだった。
倒れ掛けた俺を抱き留めながら、セイルが驚いた声を出す。
「あ……アモン、今のって魔法……?」
俺は赤い毛髪を静電気で逆立てたセイルを見下ろしながら答えた。
「そうらしい。どうやったのか今でもわからねぇけど」
梨理の木偶が、主からの魔力供給が尽きてバラバラの木片に戻っていく。
「倒したの……かな?」
セイルがそう言い掛けた時だった――暴走する深緑と共に、空間毎捻って呻き声を上げる存在が立ち上がって来る。
「あぁもぉんッ!!!」
片翼を焼け焦げさせ、身体中に煤と泥を着けたマニエルが体を起こして、血走った目で俺を睨み付けていた。長かった金色の頭髪もぐちゃぐちゃに焼け焦げて、先程までの優雅な居住いは微塵も無くなっている。
「ちょうじにぃ! 調子に乗るなよ! 貴様のその途方もない傲慢が……そんな傲慢が赦されるとおもっでいるのが!?」
「滑稽だなマニエル、天使の子などというその呼び名が」
かと言って、俺の方も満身創痍には変わりは無かった。
そうして未だ余力を残した奴は遂に立ち上がって、指の一本も動かせぬ俺に向かって膝を震わせながら歩み寄って来る。手元の壊れかけたハープが手荒に弾かれると、周囲の木々が再び人の形状を取っていき始める。
そして天使は顔を真っ赤にしながら絶叫する――。
「ぞんなわがままが赦ざれるのはぁあっ!! ぁぁあ神だけだぁぁあっっ!!!!」
遂に木偶となった木々は、再びドルトとメルトの顔となり武器を持った。額に青筋を立てて激昂するマニエルと一緒になって迫り来る。
「アモン、逃げよう、アモンっ!」
慌てふためきながら俺を引っ張っていこうとするセイルだったが、俺はその場を動こうとしなかった。
……何故だろうか。馬鹿げているが、そんな絶望的状況でもまだ、俺の心には動揺や恐怖などは微塵も無く。あるのはやはり逆巻く炎の渦だった。
「なら神も殺してやる」
「……ぬぅぅッ!! 何処までも不徳な奴めがっ! 最早貴様に勝ちの目は無いであろうがっ囀るなッ!」
マニエルは地に張った大木の根を湧き出でさせて、俺の全身を何重にも縛り上げて磔にしていく。その強度は先程の非では無く、もう俺に残された力ではどうにもならなかった。
木々に埋もれていきながら、俺はマニエルに懇願するセイルの声を聞く。
「ヤダ、アモンを殺さないで、お願い!」
そんな少女の戯言など耳にも入っていない様子で、マニエルは根に巻き付かれていく俺を睨め付けていた。
「貴様さえ……貴様さえ来なければこの世界は平和だったのだ。……この世界に悪は必要無い。貴様を必要としている者もまた、いない!」
「やめてよやめてッ! いやぁああ!」
ドルトとメルトがマニエルの合図で構えを取った。そして根で巻き上げられて身動きの取れない俺に向かって、その刃を振り上げる――。
「な! ……ぬぅう邪魔をするか教育係めがッ!」
僅かに意識を戻しかけていたフロンスが、俺の前に防御の魔方陣を展開させてその斬撃を防いでいた。
「アモン……さん……」
「鬱陶しいわっっ!!」
マニエルの突風によってフロンスの防御魔法は即座にかき消される。
頭を掻きむしって血を飛散させながら、黒焦げになったマニエルは怒りに目を剥いて悶絶していた。
「小賢しいぞ家畜共っ!! 人間以下のゴミの癖に何を抗う! 我々の為に生かされてきた貴様ら家畜風情が楯突くなぁっ!!」
もはや正気かどうかも疑わしい天使の子の狂態を仰ぎながら、フロンスは冷静さを保った顔付きのまま顎を上げて顔を斜めにしていった。
「我々は……」
そしてフロンスが紡いだ息も絶え絶えな一言に、マニエルは絶句する――。
「我々は人間だ」
家畜に自我が芽生えた。
「――っは……?」
その罪深くおぞましき事態にマニエルはきっと息を飲んだのだ。それ程までにロチアートという種族はさも当然のように、何百年も、何千年も、人類に喰われる為だけに存在し続ける食料に過ぎなかった。
パンは何の為に作られているのか――人間が食べる為だ。
ロチアートは何の為に生かされているのか――人間が食べる為だ。
「……ッ」
当然だ。当然の事で不変の物であった……筈だ……。
――そう、言いたいんだろう? 人間共。
「我々はぁあっ!! 人間だあぁあっ!!」
フロンスの振り絞った絶叫に、マニエルは血相を変えた。冷たい感覚が背を伝ってでもいったのか、その全身で身震いしていくのが見える。
「もうお前達の時代は終わりだ」
確かな予感と共にそう唱えていたのは、俺の口だった。
「……はっ」
俺の視界が巨大な根に巻かれて覆われていく最中、マニエルは失念していたとでもいうかの様に木偶の手を止めていた事に気が付き、くぐもった声を放ち始めた俺へと青褪めた相貌を振り返らせて来る。
「そう遅くは無い未来。赤い瞳の人間達が、意志を持って進撃を開始する」
「何を訳の分からない事を言って……破綻……している……おま、お前は……!」
「梨理を殺されたから……でもそれだけじゃない。俺の中で何かが喚き続けるんだ。一人でも多くの人間を殺せ。赤い瞳を救えと。醜く哀れで利己的な、薄汚い人類へと復讐を遂げろと――!」
「死ぃいねぇええッッ!! 悪魔めぇえぁぁあっ!!」
ドルトとメルトの木偶が刃を繰り出して来た。その背後からはマニエルの生成した巨大な矢じりまでもが高速で迫って来ている。
その全てをセイルはおそらく、俺の背後から見ていた。それ故に絶体絶命の俺の運命を克明に理解したのだろう。
――だからこそ目醒めた。
「駄目ぇえッ!!」
セイルは逃げる所か縛られた俺にしがみついた。そしてその刹那、右の肩の印章が輝き、足元に桃色の魔方陣を展開して俺を包んでいた。




