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【悪逆の翼-road dark-】  作者: 渦目のらりく
第四話 天使の子
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第四話 天使の子(7/9)


「あ…………あ……」


 あまりに細部まで再現された梨理の表情に、俺の中に様々な感情が巻き起こって言葉を失う。現世に三度蘇った彼女を前に、俺はただ穴が開く程に見つめる事しか出来なくなっていた。


五百森梨理(いおもり りり)。ですか、ロチアートに大層な名前までつけて……くく。あらあら、ですがそうなるとやはりアナタは何のために戦うのですか? 大切な人はもうこの世には居ないではないですか?」


 梨理の木偶が、緩く顔を揺する俺に歩み寄って来て、ゆっくりと口を開き始める。


「どうして助けてくれなかったの……アモン」

「……ッ!」


 不気味な木偶の体に生前のままの梨理の顔。そして声音までも同じにする存在に絶句して、俺は全身の骨を抜かれたかの様な感覚に襲われた。全身から力が抜けて、もう身を(すく)ませる事しか出来ない。


「痛かった……痛かったの」

「梨、理……」


 その瞬間、強烈な蹴りが俺の腹にめり込んでいた。


「ぐ……おっっ!」

「死にたくなかった。どうして助けてくれなかったの?」


 うつ伏せになって血を吐く俺の横腹を梨理が蹴り上げる。反撃しようと拳を握るが、やはり出来ない。俺は確かに愛した女を前に、反撃の手を持たなかった。

 それは梨理では無い。そんな事はわかっている。彼女の魂が弄ばれているのだという事も理解している。目を瞑り、ただ拳を捻り込めばいい。そうすればこの悪夢は終わる。

 ――そんな事はワカッテイル!!

 だけど例え木偶だとしても、その顔をして、その声で持って、あの日の記憶を語る彼女に俺は、拳を握り込む事が出来ないんだ。


「私の()。どんな味がしたの?」

「うッ……うぅ……梨理。許してくれ梨……」


 更に蹴り上げられた俺の横腹から、鈍く骨の折れる音がした。

 悶絶した俺が涙を流し始めた様を見て、マニエルは上空で笑い転げていた。最早上品に振る舞う事も忘れ、大口を開けて腹を捩っていた。


「あーははは! あは、あは! アモンさん! どうひて、どうひて戦うのですか? ロチアートの為ですか? 梨理さんの為ですか? アーハハッ! どちらももう救えないではないですか! 死んでる、だってもう死んでるからぁ! あーヒャヒャヒャヒャ!!」


 倒れ伏した俺の体を引き起こし、正面から首を絞めて持ち上げ始めた梨理。目前にある彼女そのものの赤い瞳が、俺を心底怨むかの様に睨み付けて来る。


「エヒッ、エヒッ! ああっ、わかった! アナタは死に急いでいるのでは? だからこんな無謀な戦いに身を投じるのですね? たった一人で世界を敵に回すのですね? アハーハーハーっ! 早く梨理さんの元に逝きたいから!」


 ギリギリと締め上げられる首に俺が嗚咽を漏らし始めると、マニエルはまた嬉しそうに手を叩く。垂れる鼻汁を指で拭い、なりふり構わず跳ね回る。


「愛する人に恨まれて、締め上げられてゆっくりと死ねるなんて、アモンさん。ロマンチックですよ、うふふふ」

「あぁ……ヵ……」


 ――その時、俺の元に差し込んで来る少女の声があった。


「アモン!」


 セイルがフロンスの側を離れて走り始めている。

 俺は「来るな」とセイルに言おうとしたが、締め上げられた気道からもう声は掠れて出ずに、ただ首を振るうだけしか出来ないでいる。

 すると目前で梨理の木偶は俺の首を締め上げる力を強くしていきながら、いたぶる様に語り始める。


「……アモン、生きて」

「……っ!」

「ぷくくくーっ! 知っていましたかアモンさん? いや知らないでしょうねぇ、アナタの大切な梨理さんは、死の間際にこう漏らしたのですよ」


 ――知っている。そんな事わかっている。

 もう発声する事も叶わない体をなずがままにされながら、俺はそう思う。

 

「アモンさん! 誰でもないアナタに向けてね。ですが、アナタは愚かしくも自滅の道を選んだのです。これでは梨理さんが報われないでは無いですか! ひはははっ!」


 ――お前が俺と梨理との記憶に触れるな! 穢らわしいその手で、俺と梨理との記憶を汚すな!


「……ちが、う……!」

「はぁ?」


 なんとか捻り出した俺の否定の声は、奴の琴線に触れたらしい。

 気の抜けていた表情を唐突に律したマニエルは、次に厳格な言葉使いと声音でもって、俺に最後の問いを投げ掛けて来る。


「では答えてみろアモン。お前が肩を入れるロチアートは助けなど求めてはいない。お前の愛した者はもうこの世には居ない。何故お前は戦うのだ」


 これが天使の子の威厳とでもいうのだろうか。突如変貌した重厚な物言いに、辺り一帯が張り詰めた様に緊張していく空気を感じた。

 緊迫したその場にセイルが走って来ているのが見えていた。


「アモンを放してっ!」

「はぁ、もうここで締めてしまいましょうか」


 マニエルはさも面倒そうな表情をして、梨理の木偶の空いた左腕を鋭利な形状へと変化させていった。それでセイルを一突きにするのだという魂胆は語らずとも感じられる。

 俺は死に物狂いで、息も絶え絶えな声を絞り出す。


「来る……な……!」

「待っててアモン!」


 必死にセイルの方を見ていると、頬に冷たい物が付着するのを感じた。

 見ると、心底つまらなそうにしたマニエルが、俺に唾を吐きかけたその口元を腕で拭い、瞳を冷酷に歪ませていくところだった。


「……語る言葉も持たぬか。ならばまた、お前の目の前で大切な物を失わせてくれる」


 遂に俺の目前にまで迫ったセイルに向けて、梨理の木偶が槍の様な左腕を突き出す――。




 極魔(ごくま)の意志が揺れ動いていた。

 俺の中で、渦巻く邪悪をその手に握り締めながら――確かに。




 セイルの顔前まで迫っていた木偶の左腕は、すんでのところで弾けて地面に落ちている。

 俺の右手が意識を越えて、梨理の左肩を掴んで砕いていたのだ。


「はあ?」


 その光景に憤激した様子のマニエルは、眉間に深いシワを寄せ集めながら片方の眉を吊り上げ始めた。


「てめエ。愛した女に攻撃するのか」


 俺は木偶に吊り上げられたまま、掠れた声で言い始める。


「……ぐだぐだ……ぐだぐだ」


 ――その時にはもう、俺の中で、何かが確かに蠢く感覚を覚えていた。


 俺は自分の首を掴んだ木偶の胴体を殴って後退させた。

 その隙にセイルを抱き止めて背後に隠す。だが至る箇所から出血し、全身が軋む様な痛みを覚えた。息も粗く整わず、俯いて垂れた前髪の隙間から前を窺う様にするのが精一杯だった。


「痛い……痛いよぉアモン。やめてよ」


 梨理の木偶が立ち上がりながら涙を流していた。だが俺はもう動ずる事もなくマニエルを見上げていく。


「ぐだぐだぐだぐだと……っ!」


 逆巻く黒い感情が俺の中で目を覚ましかけているのを悟っているのか、奴は瞬きするのを忘れて俺を凝視し続けていた。

 ……奴もまた、何かを感じてるのかも知れない。

 俺の中で紅蓮の闘志が、怒りという名のエネルギーが、全身を駆け巡って視線を苛烈にしていき始める。


「うるせぇんだよ……戦う理由だの何だの……そんなもんいちいち持ち合わせてなくちゃいけねえのかよ……ああ゛ン?!」

「……なに?」

「てめぇらの世界に俺を当てはめてんじゃねぇ。俺は()()()()の為に戦っている!」

「お前の……世界?」


 マニエルは上空からぽっかりと口を開けて放心してから、怪訝な表情でこちらを見下ろす様にしていた。

 言わずもがなわかる――そこにある感情は侮蔑。そして奇妙なる違和感も拭い去れないでいる、その不気味。

 俺はゆっくりと口を開いていく。まるで自分のものであってそうでは無いかの様に、声がこの口元から滑り出していく。


「俺が見て、感じているものが俺の世界だ。俺が貴様らを悪だと言ったなら、それが全てだ。それ以外はどうだっていい」

「な……」


 激情の眼で見上げるは怒り。ただ純粋で果てのない憤怒。いつまでも燃え盛る灼熱のマグマ。

 ――そう、自分の有り様を客観的に観測している自分に気付く。

 俺の狂態を見て言葉を失っているマニエル。


「なんだ……おまえはっ……一介の人間が(うそぶ)くにしては余りにも過ぎる傲慢(ごうまん)っ……しかしなんだ。どういう訳だか得体の知れぬ、果て度もない狂気をお前から感じる……!」


 身を凍らせながら、マニエルは激しく叱咤(しった)を始めていた。動揺した額に冷たい汗を一筋垂らしていくのが見える。


「お前は異常だ……悪魔め!」


 ――それがどうした。いつだって貴様らは、テメェの定規でものを言いやがる。


 そして俺の中の悪魔は吠える。地の底から這い出して来るような怒声を俺の喉から捻り出しながら……。


「黙れ……貴様らが……貴様ら世界(全員)が俺に合わせろッッ!!」


 その瞬間、マニエルに向けて頭上に掲げていた俺の掌に異変が起こる。そして何やらわからぬ力に俺は確信すらも持って、頭上で開いていた掌を握り締め、力強く腰まで引いていた。


 ――一瞬、辺りを強烈な白い閃光が包むと、次に神の怒りの様な爆音が起こる――。


「――ッッがぁあハっ!!!」


 とてつもない轟音と、稲光と共に、天より黒い雷がマニエルの背に落ちていた。

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