第四話 天使の子(4/9)
「ん?」
俺の耳が自分達の立てるのとは違う物音を聞き取った。何処か近くで、まるで枝を擦り合わせるかの様な軋んだ物音が確かにしている。フロンスとセイルもその異変に気付いた様子だった。
「アモン。こっちからも」
「あちらからもです。囲まれました」
森の至るところから唐突に湧き上がる不可解な物音。しかし一介の兵であれば、もっと素直な足音などが聞こえる筈だ。
一つに固まって背中を会わせた俺達。セイルは怖がって俺の背中を強く握っていた。
やがて闇の木立の向こうから、覚えのある声が聞こえて来る
「貴様……許さんぞぉ、俺をこの俺をロチアートなんかに喰わせやがって」
「メルトか? しかしメルトは……」
そしてまた別の声が背後の闇から続いて来る。
「我のみならず弟の命まで奪った罪、償わせてくれようぞ」
「アモン。あの時の騎士様の声だよ」
「ドルト・メニラか、しかし何故だ、奴も確かにこの手で……」
「アモンさん、まだです、至るところから」
鬱蒼と茂る暗い森の奥から、堰を切った様に亡霊の声が俺達に語り掛ける。
「痛い……まだ痛む。お前に裂かれた腹が」
「やっと都の騎士になったばかりなのに、お前さえ来なければ!」
「家畜に喰われるなど、屈辱の極み。この恨み貴様の末代まで祟って……」
「父さん母さんごめん。あいつに殺されたんだ。あの悪魔に!」
「殺してやる」
何時しか俺は死人の声に囲まれていた。訳が分からずに額から冷たい汗が垂れて視界を遮って来る。
「どういう事だフロンス」
「わかりません。わかりませんが人間の出来る芸当ではありません。私の『死人使い』でも、生前の声や意識は再現出来ません」
「つまり……」
――その瞬間、とてつもない豪風に襲い掛かられた。辺りの草木までもが飛び散って、勢い良く空に流されていくのが見える。
俺は咄嗟に黒くなった腕を地面に深く突き刺して、下半身が浮き上がる程の猛烈な突風を堪え忍んだが、セイルとフロンスは共に後方に吹き飛ばされていった。
「セイル! フロンス!」
フロンスはセイルを抱いて防御魔法で身を包んだ。しかしその突風の勢いのままに、大木に背中を打ち付けて血を吐いた。
「くっ……セイルさんは、無事です」
フロンスが苦悶の表情で腕を開くと、そこからセイルが顔を出して辺りを見回していくのが見えた。
「逃げて……ください。天使の子とは決して闘わない……でくだ……私は置いて」
意識を失ったフロンスに駆け寄ろうとすると、背後から強烈な気配を感じて俺は振り返らざるをえなかった。
「二匹の家畜は後でどうとでもしましょうか」
余りの風に地形が変わり、そこにあった木々が折れて視界が開けていた。そしてその先から、月光に照らされながら、緑色の翼で空を漂う存在が降りて来る。
エメラルドグリーンのローブを身に纏い、金の長髪をひるがえすその女は、背に生えた翼を羽ばたかせながら地に足を着ける。
「翼……っ!」
緑色の澄んだ瞳が俺を正面に見据える。まるで伝承にある天使の様な姿形をした女は、手元の小さなハープを一撫でして、ポロンと音を立てた。
「天使の子……か?」
「私を知らないのです? はぁ、よもや私が名乗らねばいけないとは……」
さも面倒そうに子首を傾げながら、その女は名乗り始めた。月光に白くその身を輝かせながら、左の顎にほくろのある印象的な口元で。
「第七の都ネツァクを守護するマニエル・ラーサイトペント。アナタの言う所の天使の子です」
フロンスがあれ程危惧していた存在が、気付いた時には目前に佇んでいた。確かに何か尋常では無い気配、ただ事では無いそういった風格が、この女からは滲み出している気がする。
「仲間毎吹き飛ばしたみたいだが、良かったのか」
「私は一人で来ましたよ? 騎士達をこれ以上減らされるのは困りますので。あはは、凄く止められましたけど、無視して来てしまいました」
口元を隠して上品に微笑するマニエル。肉感的な容姿とは裏腹に、その女から迸る凄まじい力を肌に感じる。
「一人だと? では先程の無数の声は何なんだ?」
「あぁ、あれですか。うぷぷ……アナタはその異能力の腕で沢山の人を殺したのでしょう? ならば沢山の人達の怨念では無くて?」
「怨念?」
「それで、どうするのです? 怪我もしている様です。アナタのお仲間は逃げろと申していたようですが……」
「ふん」
――すまんフロンス。
俺は大股を開いて拳を構えていく。この拳に滾る張り裂けんばかりの怒りが、逃走という選択を自失させている事にも気付かずに……。
「そうですか、罪深いお人」




