第四話 天使の子(3/9)
*
俺達はフロンスに連れられて村の外れの生い茂る木立の中に入って行った。草木掻き分け、フロンスが指先に灯した光を頼り夜の森を歩んでいく。
程無くすると、白き光に表情を照らし出した男がこの世界について語り始める――。
――この世界には一つの大陸と九つの都があり、“セフト”という名の統治機構が支配している。
各都には“天使の子”と呼ばれる統治者が存在し、その超常的な力によって都に魔物を遠ざける結界を展開し、人類の楽園を維持している。
しかしその力を維持する為に天使の子は、ロチアートの中で数年に一度、体の何処かに神秘の印章を受けて産まれ落ちる印章持ちと呼ばれる存在を喰らう必要がある。
聞いているだけで反吐が出そうになる話だった。そんな眉唾ものの伝承の為に、セイルは喰われそうになっていたのだ。
全て聞き終えた俺は、前を行くフロンスの背中に問い掛けた。
「さっきの騎士達はどれ位いるんだ?」
「各都には例外を除き、百名からなる国家騎士隊が三部隊ずつ配置されています」
「待てよ、つまり各都に三百名の騎士が控えているという事だが、余りに少な過ぎないか?」
こちらとしては好都合であるのだが、などと考えていると、あっけらかんとした声が草むらを行く背中から返って来た。
「いいえ、むしろ多過ぎる位ですよ。犯罪などほとんどありませんし、仕事は魔物の討伐位ですから」
犯罪がほとんど無いだと? ネツァクの都で垣間見た妙に平和ボケした民達の事を思い出していると、セイルが俺の袖を引いて得意気に白い歯を見せる。
「この世界には一つの統治機構しかないから、世の中はすっごく平和なんだって私は習った」
真顔の横に添えられた控えめのピースが気になったが、ひとまず俺は納得した。
――一つの大陸を一つの統治機構が管理している。それ故に戦争もなく覇権争いなどの火種も無いという事なのか。だとすれば騎士隊の規模にも頷ける。もしやするとこの世界の総人口は限り無く少ないという可能性もある。
目前に立ちはだかった背の高い枝葉を遮りながら思案していると、いよいよ本題に入っていくのか、フロンスが声音に妙な重みを持たせて言い始める。
「先程私はアモンさんの野望を叶える為に手が無い訳では無いと言いましたが……これはまぁ、考えてみれば当たり前の話でもあるのですが。要はこの世界の調律者である九人の天使の子を全て始末すれば良い訳です」
――たった九人の天使の子を殺せば、神に等しき力を手に入れられる?
荒唐無稽な話しだったが、どちらにせよ、この世界を統治している天使の子を全て殺せば、新たなる統治者として実権を握れる事は確かだった。
緩やかに降り注いで来る白き月光の下で、俺はこれからなすべき事を明確に理解していた。
「天使の子を全て殺せばいいんだな」
「今はそれにすがるしかありません。もっとも、そんな事の出来る力があれば、最早それは神の様なものでしょうが」
「待てフロンス、じゃあ何故あの場を離れた、あそこでマニエルとかいう天使の子を待てば良かったんじゃないか?」
フロンスは肩を落として嘆息すると、細い目で俺を見た。
「アナタは天使の子という存在の恐ろしさを、その強大さをまだわかっていない」
「なんだ?」
「いいですか、アモンさんの異能力は確かに強靭です。ですがもしこれから天使の子に出会ってしまったら、とにかく逃げることだけを考えてください」
「……」
「天使の子の力はアナタを……人間を遥かに凌駕しています。相手取るにも、今はまだ力が足りません」
「人間を?」
「そうです。騎士の数が少ないのは各都に天使の子が居るからでもあるのです。天災を打ち返し、千の軍勢を一人ではねのける存在は、もはや人では無く、天使の子なのですから」
「……」
「アモンならきっと大丈夫だよ!」
むくれるセイルを見て、フロンスはそれ以上の言葉を仕舞い込む。
「そうですねセイルさん。それではお二方、早くこの場を離れましょう」
うすぼんやりとした月の光と、フロンスの指先に灯した光を頼りに森を彷徨い歩いていく。虫の声などの一切が無い闇夜の森は静謐で、自分達が枝を踏む音や、草を掻き分ける音だけが妙に耳についた。
何気もなく俺は思う。
――どうしてこの世界には人と魔物しかいないのだろうか。




