第四話 天使の子(2/9)
「何故なんだ。なんでお前は俺の両親を殺したんだっ! 心優しい俺の父と母を、村の人達を!」
「……」
俺は何度叩き伏せても立ち上がる男を見下ろしながら、忌々しいといった口調でもって答え始めていた。
「あいつらは、俺の大切な人を殺した。俺の大切な人を、生きる理由を! 瞳が赤いというだけの理由で俺の大切な人をッ!」
「……」
「お前にわかるか? 信頼しかけた人達に、大切な人を殺され、刻まれ、その肉を喰わされた俺の気持ちがッ!? この怒りがッ!!」
いつしか俺自身も、このダルフ・ロードシャインという男の尋常ならざる熱に浮かされているかの様だった。互いの語気が強まり、次第に俺達は絡まり合うかの様に肉薄しながら牙を剥き出し合っていた。
――いい加減黙らせようと、俺は本気の拳を振り上げる。この漆黒の腕の剛力を持ってすれば、一撃で砕けぬ生命など無い筈だ。目障りなこの男を、次の一撃で終わらせる。そうすればもう、この男の耳障りな声も二度とは聞く必要が無くなる。
「だったら――」
ダルフは言った。
そしてその時――。
奴の足が電気を纏い、一歩踏み込むのが見えた。紫電走らせ筋肉に電気を流し込んだその速度は、俺の反射速度を凌駕していた――。
「っ……な!?」
「――お前が今仲間にさせてる行為は何なんだっ!」
ダルフの拳が俺の顔面を捉えていた。そして続けざまの剣による刺突が腹に向かって来る。
「図に乗るなぁっ!」
黒の掌がそれを防ぎ、刃を握り込んで粉砕した。
ダルフと額を付き合わせる。俺を射抜いていく瞳は凛々しく、まるで正義を纏いながら向けられているかの様だった――。
「この腕で握り潰したのか?」
「……っ!」
「その掌で俺の父と母を握り潰したのだろうっ!」
「黙れ!!」
振り払う俺の腕を、ダルフは短くなった剣でどうにか受ける。
「たった一人のロチアートの為に村人を惨殺したのか! 家畜の為にっ!」
「何がロチアートだ! コイツらは、瞳が赤いだけの人間なんだ! 俺達と同じ様に考え、悲しみ、笑い、生きたいと叫ぶっ! 人間なんだっ! 俺達と何が違うという!!」
俺は地に両腕を着いて加速した。超低空からの高速度でダルフの目前にまで飛来すると――右の拳で腹を貫く。
「がぁ……ッ!!」
腹部を貫かれたダルフだったが、宙に浮かされたその姿勢のまま、俺の顔面に両の掌を押し当てる。
――その瞬間、激しい稲光が俺に痛烈なる衝撃を与えた。
「アアアアっっ! がぁあっ!!」
咄嗟に振り払うと、奴はそのまま地に投げ出された。
未だ全身にビリビリとした電撃を走らせながら俺もよろめいたが、その足で深く地を踏んで耐える。
そして息を荒げながら、腹部に風穴の開いた男を見下ろしていった。
「……おま、え……も」
「――ッ!?」
腹から臓腑を垂れ流し、絶命したと思われたダルフは、口を開く度に血を吐きながら、未だそこに正義という過激を携えながら俺を見上げる様にしていた。
最期の時まで輝きを失わぬ瞳。その執念に、俺は内心空寒いものを感じざるを得なかった。
「おな、じ……だろう……仲間に……ロチアー……トに、人間を喰わせ……」
「俺は……」
俺は俯いた表情を影に染めながら、まるで自分が発したものとは思えぬ様な、おぞましい回答を提示していた。
「その屈辱を、その恐怖を、その惨さを、この世界の奴らに味わわせてやりたい」
赤い瞳の人間は食用肉という責め苦を永劫のように強いられてきた。やられたのだからやり返す。これは復讐の物語なのだ。
そうすべきなのだ。そうする為に俺はこの世界に召喚されたんだ。
同胞の恨みを晴らす。生きたまま肉を焼かれ、未だ責苦を受ける仲間達を解放する為に、邪悪な人間共を滅ぼし尽くす為に、俺は――。
「……っ?!」
――なんだ? 今のは……。俺がそう考えていたとでも言うのか?
俺の答えに言葉を失ったダルフ。そして白んでいく意識の中で、尚も俺へと敵意を剥き出す。
「……悪魔、め。必ず貴様を殺しに……行くぞ、覚えておけ……覚えておけ、アモン……」
事切れたダルフ。
胴体にこれだけ巨大な風穴の開いた男の死は明確で、最後に語った予告は叶えられぬものだという事がわかる。
「悪魔はお前達の方だ」
俺は一人呟いてダルフを見下ろした。黒い腕が元に戻ると、地肌が幾多の騎士達の血で赤黒く濡れている。
「アモン!」
ダルフの亡骸の前から踵を返すと、セイルが駆けて来た。随分と心配しているのか、頬を紅潮させて涙ぐんでいる。
「どうしたセイル。俺が負ける訳が無いだろう」
「ううん……違うの、違う」
「どうした……怪我をしたんで心配をかけたか? 強かったよアイツ、確かダルフとか言ったか」
「違う、そうじゃあない」
「……じゃあなんだ?」
「泣いてるよ……アモン」
セイルに言われてから、やっと俺は自分が目尻から温かい滴を垂らしている事に気が付く。
「なんだ……なんでかな……なんで」
俯いて、訳の分からぬ涙を拭う俺の頭を、セイルはソッと抱き締めた。この思いを慰めるかの様に。
「大丈夫だよ」
セイルの言葉に俺は身を預ける。こうしていると、まるで梨理がそこにいるみたいだった。
しばらくして、頃合いを見計らった様子のフロンスが尋ねて来る。
「アモンさん。アナタはこの世界全てが許せないと私に言いました。その思いに相違はありませんか」
「ああ」
「ならば聞かせて下さい。アナタの目的は何なのです?」
「赤い瞳の人間が喰われる事の無い世界」
あっさりと言い放った俺の解答に、フロンスとセイルが顔を見合わせている。
「……それは最早、この世界の全てを創世し直すかの様な、神の領域の話しかと」
「アモンはどうして私達にそんなにしてくれるの?」
セイルの腕の中から離れていきながら俺は瞳を沈ませた。
「俺の愛した人を、俺の全てをこの世界が殺したからだ」
何故だかセイルがギリギリと奥歯を噛み締めるのが聞こえて来る。
するとそこでフロンス割って入って来た。
「……途方もない目的ではあります。しかし、手がない訳ではありません」
「なに?」
俺は視線を上げていきながらフロンスの言葉に耳を傾ける様にする。しかし彼は指を立てて提案する。
「アモンさん、一先ずここを離れませんか? あまりジッとしているとすぐに援軍が来ます」
俺は頷いたが、振り返るとそこにある、未だ炎を上げたこの村の事が気に掛かった。
「いいのかフロンス」
「私がこういうのも非情に聞こえるかも知れませんが、今は一時でも早くここを離れるべきかと。私達がここを離れれば、これ以上無為にロチアートが殺される事は無いでしょうし、それに次の敵軍が……いや、二つもの隊を壊滅させたとなると、そろそろ天使の子が現れてもおかしくは無いかと思いますので」
「天使の子……」
「そうだわ……アモンって別の世界から来たから天使の子の事も知らないんだわ」
セイルが俺の疑念に助け舟を出すと、咳払いをしたフロンスは歩み出しながら言い始める。
「ゴホン。……そうですね、簡単に言えば天使の子とは、人智を超えしこの世界の調律者とでも言いましょうか。今ここに天使の子が現れれば我々は即座に始末されるでしょう。我々には力が足りません。とにかく全て移動しながら説明します。こちらへ」
フロンスの操る亡骸が、その呪縛を解かれ再び地に伏せていく。




